理一と琴音(2)
「うみゅ? どしたの、理一。食べないの?」
幸せそうに顔をほころばせながらショートケーキを頬張る様子からは、残念ながら才女の片鱗はどこにも見当たらない。
「琴音って、国立士官学校の学生だよな?」
「うん、そうだよ。って何? 私言わなかったっけ?」
「ああ。初めて聞いた」
「そうだったかな。あれ? じゃあ理一はどうして私が国立士官学校の生徒だってわかったの?」
くりくりとした大きな目を丸めて本気で不思議そうに首を傾げる。
「あっ! そういうことか」
自分の着ている特徴的な臙脂色の制服を確認しているので、彼女にもようやく推理の糸が結びついたらしい。
「でもなんでいまさら? 理一ならもっと早く気づいても良さそうだけど」
「どうしてだろうな。興味なかったからじゃないか」
「むぅ。私は興味津々なのにぃ。不公平だぁー」
「お前が興味あるのは、多次元捜査官であって、俺じゃないだろ」
「何よ、それ」
多次元捜査官に選ばれる人間は、数万人、もしくは数十万人に一人の割合と言われている。
倍率だけを見れば、国立士官学校への入学など足元にも及ばないほどの難関だ。しかし、一般には知られていないが、多次元捜査官になれるかどうかは本人の努力や才能というより、運否天賦によるところが大きい。だから理一は自分の境遇を単純に誇る気にはなれない。
琴音は国立士官学校の学生であることをおそらく誇りに思っている。そして多次元捜査官に憧れを抱いていることも理一は何となく感じている。
「国立士官学校まで行って、琴音は何になりたいんだ?」
「わたし? 私は、そうね。なりたいものならあるんだけど、ちょっと難しいかなぁ。この前、初めて試験受けてみたんだけどね。周りは年上ばかりで気後れしちゃった」
わざとらしく肩をすくめて首を振り、舌を出して悪戯っぽく笑った。
「ふーん。そんなもんか」
「って、興味無いんかーい! なんか私の扱い、ぞんざいな気がする」
琴音はがっくりと肩を落としているが、理一は彼なりに、最大限の配慮を持って彼女には接しているつもりだ。
多次元捜査官たるもの、どのような些細な情報であれ、仕事で知りえた情報を無断で一般人に漏らすことは法律で固く禁じられているし、悪質と認められれば罰則も適用される。それを世間話にでも興じるように、琴音には話して聞かせている。いわば特権的な待遇を用意しているわけだが、彼女は知る由もないだろう。
多次元捜査官は、その存在そのものが貴重なため、プライベートに関する情報は厳重に秘匿されている。
目立たず騒がず影のように社会に溶け込み、日々を送る。
理一は多次元捜査官になってからというもの、何年も誰とも繋がりを持たずに生きてきた。
一番長い付き合いと言えば師匠だが、その師匠ともプライベートでは一切関りが無い。理一は師匠の本名も顔も何一つ知らない。仕事柄、長期不在になることが多いため、隣人と顔を合わす機会もめったにない。挨拶程度は交わすが、所詮その程度だ。
万に一つも素性の漏れる可能性は無いはずだった。にも拘わらず、琴音はどこから嗅ぎつけてきたのか、ある日、マンションの理一の部屋の前で堂々と待ち構えていた。そして開口一番「あなた、多次元捜査官ですよね!」ときたから、理一は我が耳を疑った。しらを切って騒ぎ立てられると余計にまずい。そう思い咄嗟に部屋に連れ込んだのが運の尽きだった。それ以来、しつこく付き纏われ、異世界の話をせびられている。
琴音が将来管理局の幹部候補として登用されるようなことがあれば、プライベート以外でも顔を合わす機会があるかもしれない。
「まさかな」
多次元捜査官と最も関わりが深い職業、水先案内人は国立士官学校卒業生の進路先としては、有力候補の筆頭に挙げられる。けれどもその厳しい審査試験の倍率は多次元捜査官に勝るとも劣らない。おそらく考えすぎだ。理一は早々にその馬鹿げた空想を打ち消した。
「ねぇ、そろそろお話の続き聞かせて」
「ああ。わかった」
琴音のような箱庭無菌室純粋培養のお嬢様には、自分が語る御伽話に夢見るくらいで丁度良い。それが理一の正直な気持ちだった。