エルフの工房(1)
若草と土の匂い。小鳥の鳴き声。樹冠の隙間から差し込む陽光が眩しい。
両手を何度か開いたり閉じたりした後、その場でトントンと軽く飛び跳ね、身体に異常がないことを確かめる。どうやら転移は無事成功したようだが、目の届く範囲に相棒の姿は見えない。
捜査官と水先案内人。
異世界での捜査は通常二人一組のコンビで行われる。
大雑把に役割を振り分けるとするなら、現地での聞き込み調査を初めとした実務は捜査官が、その他後方支援は水先案内人の任務となる。捜査官は現地の文化、風俗、文明レベルなどの基本的なことから始まり、都市や町、集落の位置や交通機関の利用方法など、捜査を進めるうえで、必要不可欠な情報の大部分を水先案内人から与えられる。そのため、水先案内人は捜査官の到着に合わせ、転移予定地に待機する手筈となっている。そのはずだが、姿が見えないということは、何か不測の事態に見舞われているのかもしれない。
「ま、師匠に限り、そんなことは無いと思うけど」
理一は体をほぐしながら改めて周囲を確認する。
背の高い樹木が林立し、生い茂った枝葉が日光を遮っているせいで、少し肌寒く感じる。足元には下草も生えているが、自然のまま全く人の手が入っていない森ではない。管理の行き届いた林道が存在している。下草と落ち葉に足を滑らせないように注意しながら、理一はとりあえずそこを目指すことにした。山歩きは想定していなかったが、移動に支障は無さそうだ。
数歩進んだあたりで急に空に陰りが差した。理一は足を止めた。樹冠の隙間から空を仰ぐ。特徴的なシルエットが青く澄んだ空を旋回していた。一羽の大鷲。巨大な両翼。広げれば、その体長は二メートルにも及ぶだろう。遠目でもはっきりと視認できる。空の王者。
「師匠!」
呼びかけに応じ、一直線に降下を始めた大鷲に対し、理一は左腕を構え反動に備えた。
大鷲は狙い澄ましたように理一の元へ。しかし、着地する直前に速度を緩め、左腕へとふわりと収まった。
「相変わらずうまいよなー」
「長年の経験の賜物だ。誉めても何も出んぞ」
大鷲は喉を鳴らし、ニヤリと笑う。
理一の相棒、水先案内人の師匠は見た目こそいかめしい大鷲の外見だが、それは仮初の肉体だ。師匠の本体はここにはいない。
生体部品を用いて精巧精緻、管理局の技術の粋を集めて組み上げられた遠隔操作の遠隔操作の生体機械だ。体に触れば柔らかい羽毛の感触や体温、その息づかいまで感じられる。
捜査官が生身で現地入りするのに対し、水先案内人は生体機械を用いて捜査に当たる。直接危険に身を晒さなければならない捜査官としては、不公平さを感じずにはいられない。だが、管理局には管理局の言い分があって、理一も一応は納得している。
異世界の多様性保護。
それこそが管理局の最優先課題であり、理一たち捜査官が生身で異世界へと派遣される理由だ。
情報そのものが異世界保護の観点から言えば、害悪と見なされているためだ。
水先案内人は、情報源へのアクセス権限が捜査官とは比較にならないほど高く設定されている。言い換えれば、そのせいで義体でしか現地へ赴くことが許されていないと言った方が正しい。
管理局において、異世界とは、独自に発展した文明であるという見解が一般的だ。
また、異世界同士の接触によって、文明同士が混ざり合い、均質化してしまうことも同時に広く知られている。先進的な知識は、まるで水が流れ落ちるように、文明の発達へ指向性を与え、多様性の消失へと繋がる。
管理局に暮らすものから見れば、異世界の文明レベルは総じて低い。
だが、それはあくまで管理局側の人間の視点で見れば、という話だ。
世界を定義する根本原理。
管理局と異世界では、そもそもとして世界の在り方そのものが異なっている。
例えば、理一たち管理局の人間は空気のない空間では生きられないし、水中で生活することも不可能だ。重力の大きさが変化するだけでも運動に支障をきたす。だが、それはたまたま生存する環境に適応した結果そうなっているだけで、偶然の産物とも言える。
異世界には異世界の環境に適応した人間が当然のように暮らしている。異世界において有利な適応が管理局の人間によって、または現地人自身の手によって遅れた文明と断じられたとしても、本当のところそれは誰にもわからない。
それゆえに理一たちの世界において、異世界へ干渉することは法で禁じられている。
「今回の仕事は?」
「そう急くでない。なかなか良い環境だぞ、ここは」
師匠は理一を曖昧に見るだけで話を始めようとしない
理一は思い切って地べたに座り込んでみた。座禅を組んで目を閉じる。
背の高い広葉樹に囲まれ、差し込む木漏れ日やチチチとどこからともなく聞こえてくる野鳥の鳴き声、葉ずれの囁きに身を浸す。
管理局では決して味わえない空気。副交感神経が刺激され、リラックスした雰囲気に自然と筋肉が緩んだ。
「精霊信仰が浸透している異世界」
理一が落ち着きを取り戻す頃合いを見計らって師匠が話を再開した。
「精霊信仰?」
目を閉じ、自然体で空気に肉体を溶け込ませたままで師匠の言葉に耳を傾ける。
「簡単に言うと、世界のあらゆるものには精霊の魂が宿っているという考え方だ。原住民は、火水風土の四元素から世界は形作られ、それぞれを統括する神が存在すると信じている」
「まるでおとぎ話だ」
理一が口笛を吹いて言うと、師匠はおかしそうに笑い声を上げた。
「実はそうでもない。この世界にはいわゆる『魔法』が実在する」
「魔法?」
「そうだ。魔法だ。本やゲームの中で見たり聞いたりしたことは無いか? あの『魔法』だ」
理一が思わず目を開いて師匠を見ても、師匠は静かに佇んでいるだけで、冗談を言っている雰囲気は微塵も感じられない。
「へー。それは楽しみ」
つまり、それがこの世界の独自性を定義する根本原理。
師匠が言う『魔法』とは異世界で独自に発展を遂げた技術の一種だろうと理一はあたりをつけた。少なくとも管理局には存在していない。
「というか、思いっきり仕事の話してるじゃねーか」
「ふふふ。私は意地が悪いのだ」
師匠はひとしきり笑うと、コホンと一つ咳払いをした。
「さて、そろそろ良い案配だ。誰かくるぞ」
師匠の言葉を裏付けるように、理一にも足音が届いてきた。
林道の向こうから現れたのは一組の男女だった。早足で歩く女を男が小走りで追いかけてくる。理一は師匠とともに草影に身を潜めた。
遠目から見ても美しい女だった。
腰まで届く長い髪は陽光を受けて金色に透け、瞳はまるで翠玉のように輝いている。薄萌葱色のロングワンピースの上から白いシャツを羽織り、のぞく手足はすらりと長い。女としては背も高く、スタイル抜群だ。
ただし気になる点が一つだけ。髪の間から先の尖った特徴的な長い耳が飛び出していた。それさえなければ、外見上は理一たち管理局の人間と何ら変わらない
絶世の美女に理一が見惚れていると、ほうほうの体で追いついてきた男がその手を掴んだ。
「話くらいさせてくれ」
「話なんてない。こんなふうに付き纏われたら迷惑よ」
女は冷たく言い放ち、男を鋭くにらみつけた。美人なだけに迫力満点。理一は思わず口笛を吹きそうになったが、さすがに自重した。
「何をしているのだお前は」
小声で呆れたようにたしなめられ、理一は身振りだけで小さく謝罪する。
女にどれだけ強く睨みつけられても、男の方も決して引こうとはしない。強張った顔のまま女を見つめている。
しびれを切らしたのは女の方が先だった。困ったように握られた左手のあたりで視線をさまよわせた。男は慌てて掴んでいた左手を解放した。
「僕の行動が君を困らせているのは知っている。だけど、こうでもしないと君は僕から逃げてばかりだ」
「そうやって非難するのね」
「違う! そうじゃない!」
男は声を荒げたが、女が身をすくませたのを見て、悲しそうに目を伏せた。
「そうじゃないんだ。どうしてこうなるんだよ。僕は君と話をしたいだけなのに」
「私こそごめんなさい。言いすぎたわ」
女は形だけの謝罪をしたが、頭も下げず男の顔を見ようともしない。
どこかぱっとしない印象の男だった。怜悧そうな美女の隣にいるせいで、余計にそう感じるのかもしれない。
年のころは二十代半ばから三十手前に見える。シャツの上にジャケットを身に着け、ゆったりとした長ズボンを穿いている。小奇麗な格好をした、どこにでもいそうな男だ。
「理一、どちらがそうだ? それともどちらもか?」
師匠の声が直接聴覚神経に作用した。
理一の耳の内側には、超小型の骨伝導イヤホンが装着されている。普段は使用していないが、師匠の判断で使用する場合もある。調査対象の近くで内緒話をするには、うってつけの道具だ。しかし、先ほど突っ込みを入れる際に使わなかったのはどういう風の吹き回しだろう。現地人に聞かれても良い場合は使わないのかもしれない。
「男の方だ。おそらくな」
理一は音として存在できるかどうかぎりぎりのラインで発声した。師匠にはそれで問題無く聞こえているはずだ。
「そのブレスレット、新作?」
「そう! そうなんだ! コイツのおかげで店の売り上げは鰻登り! 閑古鳥が鳴いていたのは過去の話さ」
師匠との会話に気を取られている間にも、現地人二人の話はお構いなく進んでいく。彼女が言及しているブレスレットは男の手首に嵌められた金属製のものだと思われる。
銀色の光沢を持つ印象的な装飾品だ。
しかし、理一にはそれが全く別のものに見えている。
青い燐光。
男の動きに合わせて、たなびくようにそれが撒き散らされている。
師匠には見えない。
もちろん現地人の二人にも見えていないだろう。
だから、理一は自信を持って「男の方だ」と答えることができた。
「行かないわよ。行かなくてもわかるもの。私の居場所は無いって」
「そんなこと……」
話は終わりとばかりに女は踵を返した。男はそれ以上追いすがらなかった。二人の距離が開いていく。