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パラレルダイバー  作者: 木林タカシ
灰色の医者
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灰色の医者(1)

 浮ついたそわそわとした感覚。肉体が異世界へと同期するにつれ、不確かさは失われ、自分が自分であることを認識できるようになってくる。軽く手足を振って体をほぐしてみた。問題なさそうだ。

 理一が転移を果たした場所はごみごみとした小汚いビルが建ち並ぶ路地裏の一角のようだ。天を貫く高層建築の間を縫うようにしてネオンの光が瞬いている。

「さて、どうしたものかね」

 前回と比較し、随分と科学技術が発達した異世界のようだ。少なくとも魔法とは無縁の世界のように思える。

 試しにすっと目を細めてみても、何の兆候も見られない。ひとまず近くに犯罪の痕跡が残っていないことは確認できた。いつもならそろそろ師匠が大儀そうにしながら姿を表す頃合いだ。

「新しいパートナー、ね」

 水先案内人には現地入りした捜査官を可能な限り素早くサポートすることが求められる。しかし、その姿が見えない。優秀なベテラン水先案内人の師匠と同じように仕事が捗るとは最初から思っていないが、先行きに一抹の不安を覚える。

 理一は待つことを諦め、路地裏から抜け出すことにした。出鼻を挫かれた形だが、異世界で自由に羽を伸ばす機会など滅多に訪れない。監視の目が無いとなれば、自然と気持ちが高揚する。理一は記念すべき異世界への一歩を踏み出した。

 静かすぎるくらい静かだった。人の気配がまるで感じられない。だからというわけではないが、はっきり言って理一は油断していた。

 大通りへ出ようとしたところで、横合いからの思わぬ衝撃によろめいた。

 子供だ。

 よそ見をして突っ込んできた体勢のまま尻餅をつこうとしている。少年はぶつかった衝撃で胸に抱えていたビジネスバックを宙に放り出していた。薄鈍色の燐光が尾を引いている。片手で素早く確保した。

「おっさん、どこ見てんだよ!」

 甲高い声だ。罵声を浴びせられたが気にせず、理一は少年の手首を掴み、立ち上がるのを手助けする。思いがけずあっさりと立ち上がれたことに少年は驚きを禁じ得ない様子だが、はっと我に返り、理一の手を振り払った。

「煤けた夜空を見ていた」

 理一はわざとらしく遅れた回答をした。

「何を冷静に答えてんだ! いいからバック返せよ!」

 逆上した少年が理一の腕からバックを引ったくろうと躍りかかってくる。理一はそれをワルツのステップでも踏むように華麗にかわしてみせた。

「おいおいおい。人にものを頼む態度じゃないな、それは」

「いいから返せ!」

 諦めずに少年はつかみかかってくる。理一はダンスのパートナーでも演じるように、その血気盛んな攻勢をなだめすかし、のみならず、バランスを崩して転びそうになったときには体を支え、まっすぐに立たせてやった。

「ふ、ふざけやがって」

 目深に被ったハンチング帽の下から憎悪のこもった視線を投げつけられる。それほどまでに重要な品物がビジネスバックの中には隠されているということだろう。

「返せ返せと言うが、元々お前のものじゃないだろう。これは」

「どうしてそれを」

 少年は驚きに目を見開いたが、理一としては簡単な推理を働かせたにすぎない。少年は年の頃なら十代前半、ほつれの目立つ薄汚れたジャケットと長ズボン、色落ちの激しいハンチング帽を身につけている。対するビジネスバックは分不相応という言葉がぴったりなほどピカピカで牛革製。一目で彼の持ち物ではないと知れた。

「あなたのおっしゃられるとおりです。やっと追いついた」

 薄鈍色のスーツで身を固めたサラリーマン風の男が新たに表れた。細長いレンズをした角張った眼鏡をかけている。走ってきたのだろう。息を切らせ、額には玉の汗が浮かんでいた。

「そのバックは私のものです。返していただけますか?」

 息を整えつつ、ポケットから取り出したハンカチで額の汗を拭う。端整な顔立ちをした利発そうな男だった。理一よりは年上だろうが、さほど年齢は変わらない。どんなに多く見積もっても三十には達していないだろうと思われた。

 男の顔を認めた少年は理一の背後に身を隠した。先ほどまでの強気な態度が嘘のように怯えていた。

「ちなみに俺がコイツを手放したらどうなるんだ?」

「そうですね。少々お灸を据えてやりますかね」

「なら、できない相談だな」

「それは残念です」

 男の姿が一瞬理一の視界から消失した。驚愕、だが考えるよりも早く、体が本能的に回避行動を選択した。伸びてきた腕を片手で受け流し、肩から男の懐へもぐりこんだ。そのまま体重を乗せて、肘で男の胸を強打する。理一は飛びずさり、男は数歩たたらを踏んだ。

「お前、何者だ?」

「あなたこそ」

 男はニタニタと笑っている。咄嗟のことで手加減ができなかった。常人ならば悶絶してのたうちまわってもおかしくない。だが、男は平気な顔をして笑っている。理一は得体の知れない気味の悪さを感じた。

 遠くからサイレンの音が聞こえた。ウォンウォンと鳴るサイレンは徐々に近づいてきている。男は短く舌打ちをした。

「それは預けます」

 男は捨て台詞を残し、あっという間に姿を消した。

「おい! オレたちもズラからないとヤバイぜ! これは親切で言ってやってるんだからな!」

 男の消えた暗闇を見つめていた理一の袖を少年が引っ張って言った。

「なるほど。ご親切にどうも」

「オレはズラかるからな!」

 念押しのように叫ぶと、少年は路地裏へ向かって走り出した。理一は少年の後をついていくことにした。少年は狭い路地裏を、ビルの谷間を、右へ左へと自分の庭だとでも言うように突き進んでいく。

 割れた窓ガラス、捨てられた街、ゴーストタウン。

 整備、管理されなくなって久しいビルが至る所に突き立っている。まるで出来の悪い墓標のようだ。

「って、おっさん何で追っかけてくるんだよ!」

「なんでって。荷物を預かりっぱなしだから?」

 理一がビジネスバックを見せびらかしておどけて言うと、少年は急制動、バックを奪い返さんとばかりに飛びついてきた。ひらりひらりと身をかわす。何度か繰り返すと、少年は両手を膝についてがっくりとうなだれた。すぐさま顔を上げて、理一を親の敵でも見るように睨みつけてきた。

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