理一と琴音(4)
「というので、今回の話は終わりだ」
「へー。師匠とはこれで終わりなんだ」
理一の感慨をよそに、琴音は何とも気のない返事をした。直接面識のない相手のことだから、それも当然の反応と思えるが、彼女からはむしろわざと興味のないふりを装っている印象を受ける。
「お前、もしかして今回のことで思い当たる節があったり、何か隠したりしてないか?」
「理一の次のお相手は誰なんだろうっていう単純な興味。十六歳ってことは私と変わらない歳なわけでしょ。今年試験受けてた子、他にいたかなぁって」
琴音は不思議そうに小首を傾げているが、彼女が思い描く都合の良い未来は簡単に想像がついた。
「……お前が受けてた試験って水先案内人の試験なわけ?」
おそるおそる確認するが、彼女は目を合わせようとしない。
「受けてたんだな」
「う、受けてないし! 会場近くで雰囲気を味わってただけだし! それはいつかは受けようと思ってたけど!」
苦しい言い訳に苦笑を禁じ得ない。
彼女がなぜそうまでして隠したいかは不明だが、隠されれば隠されるほど暴きたくなるのが人間の性というものだ。
「じゃあ安心だな。俺も琴音みたいなのと仕事しろと言われたら逃げ出したくなる。子守じゃあるまいし」
「それはいくら何でも失礼でしょ!」
さては師匠は後任の人事を知っていたなと理一は思った。
「いや、失礼っていうのは私に対してじゃなくて、そのパートナーに対してだけど。その人も正式に試験を受けて合格したわけだから、年が若いからとか女だからとか、そういうことで差別するのは良くないと思うの」
「女だから?」
「だから、仮に! 仮の話をしてるの! 私は!」
ミニテーブルへ身を乗り出し、必死に抗弁する様子がおかしくて、理一は笑ってしまった。
「ま、そういうことにしておきますか」
「だーかーらー。違うって言ってるのに。もう」
頬をぷくっと膨らませてそっぽを向く。
琴音のわかりやすい反応を見ていると、水先案内人の試験には職業適正検査が設けられていないのかと一抹の不安がよぎる。だが管理局上層部の考えが理解不能なのは昨日や今日始まった話ではない。末端の理一は下される命令に諾々と従うのみだ。
叫び過ぎて喉が渇いたのだろう。琴音はカップの中身を一気に飲み干した。
そんな素直な彼女に対して理一は一つ悪戯を思いついた。良心が咎めるが、ことの真偽を確かめるには極めて有効な方法だ。
「なに? 何なのよ、もう」
「いやー、何でもないよ。ところで琴音、いま飲んだお茶どうだった?」
「どうって……普通においしかったけど?」
「そっかー」
理一はあえてそれ以上何も言わず、座椅子の背もたれに体を預けた。中空を見上げる彼女の思考を誘導するために、理一は彼女のカップに視線を落とした。
琴音の表情が困惑から理解へ、そして蒼ざめ、さらに怒りへと目まぐるしく変化した。
「なんてものを飲ませるのよ!」
「さあ? ここで問題です。私はいったい何を飲ませたでしょう?」
琴音が瞬時に回答にたどりついたことは一目瞭然だ。しかし、理一は彼女の口から直接聞かせて欲しかったので、わざととぼけたふりをする。
「親交の杯でしょ!」
叫び声を上げてわなわなと震える。
「一口飲んだところで気がつくべきだった。ここには私の知らない茶葉があるわけないのに。全然知らない香りがしたから、理一も気が利くようになったなーって喜んだのに、この仕打ち! 酷い、ひどすぎるーーーーッ!」
そのままミニテーブルに顔を伏せてしゃくり上げる。
これには悪戯を仕掛けた理一の方が面食らった。まさか泣かれるとは思っていなかった。本当に軽い悪戯のつもりだったのだ。実際には親交の杯は出していない。魔法の効果が表れない同じ種類の茶葉。カリーナからお土産にと渡されたそれを琴音に出した結果がこれだ。
「琴音、ごめん! ゴメンな! 親交の杯じゃないから!」
顔を上げた琴音の前で自分のカップを一気に飲み干す。
「親交の杯じゃないから」
猛獣を手懐ける調教師のように、両手を前にして琴音の反応をうかがう。涙に濡れた瞳で見つめられると、鋭い針で胸をチクチクと刺されるようだ。
「そ。だと思った」
「……はい?」
琴音は両手でカップを持ってにこにこと笑っている。
変わり身の早さに愕然とする。彼女は「そ。だと思った」と言った。つまり彼女は理一の企みを看破していたということだ。親交の杯を盛ったという嘘のその先を。
「異世界固有の法則は持ち帰れない。基本中の基本だよ」
人差し指を立てて得意げに講釈を垂れる。
「理一が真に迫った演技をするから、危うく騙されかけたけど」
「・・・・・・ははっ! あははははっ!」
まんまと一杯食わされた。琴音が最年少で水先案内人の試験を突破したというのはあながち嘘ではないらしい。
「ちょっと、理一。ちゃんと聞いてる? 試すようなことされて怒ってるのはホントなんだからね!」
「ああ、聞いてる。聞いてるよ。悪かったって」
痙攣する横隔膜を引き締めようとするが、うまくいかない。
師匠の代わりはいない。だが、それは次の相手が誰であろうと同じことだ。琴音がパートナーなら、少なくとも退屈はしないだろう。
「これからもよろしくな、琴音」
「どういう意味よ、それ」
理一が握手を求めると、琴音は困ったように笑いながらそれに応じた。
第一章終了です。
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