青の商人(10)
「さて、こちらも作戦会議といこう。ここまでは概ねこちらのペースだ。頼りない経営者と暴走気味の支配人。事前レクの通りだろ?」
理一がおどけて言うと、固く強張っていたカリーナの表情がいくらか和らいだ。
「全然想定外のことばかりで驚かされました。けれど、エリックと曲がりなりにも落ち着いて話ができたのはひとえにあなたのおかげです。ありがとうございました」
礼を言って顔を上げたカリーナはどこかさっぱりとした表情をしていた。
「それにはまだ早い。まだ何もしていない。大事なのはこの後だ。レイヴァンの悪事を白日のもとへ引きずり出す」
「犯罪の証拠、ですね。しかし、私にはどうしてもわからないことがあります」
カリーナは迷っていた。なかなか話を切り出そうとしない。
エリックの口から直接今後の待遇について言質を取れたことで満足してしまったのだろうか。それは困る。だが彼女の気持ちも痛いほどわかるだけに理一も強くは言えない。
ここでひとまずエリックの申し出を受け入れ会合を終了したとしても、彼女にとっては大きなプラスだ。理一に付き合って犯罪の証拠探しに舵を切る義理は無い。躊躇って当然だ。
「レイヴァンの犯罪のせいで魔法が使えなくなる。一見もっともな理由に聞こえますが、それだけではないですよね?」
理一はカリーナの感の鋭さに驚かされた。彼女の関心がそちらへ向かうとは全く予想外だった。
理一の探している証拠は二つある。
一つは異世界からの技術流入。そしてもう一つはエリックの父親殺害の証拠だ。彼女に協力を仰いでいるのは前者だけで、後者については殺害のさの字も出した覚えがない。会話の中に潜む微妙な違和感に気づかれたのかもしれない。
「どうしてわかった?」
「あなたが探しているものが見えてこないからです。あなたの口振りだと犯罪の証拠はすでに見つかっているような気がします。それなのにあなたはまだ証拠探しを続けている。ダメ押しに自白が取りたいだけなのかもしれませんが、それにしては・・・・・・。すみません、うまく言えないのですが」
エリックの父親がレイヴァンに殺害された疑惑。それはいまだに疑惑の範疇を超えていない。レイヴァンが危険な相手と知ってカリーナが尻込みする可能性も考えられた。
「すべてこちらの都合だな」
理一は自嘲気味につぶやいた。
カリーナは問題の当事者だ。彼女には自分の未来を選び、つかみ取る権利がある。それを蔑ろにすることは誰であろうと許されない。
例え事実を知って交渉の余地が無いと彼女が判断したとしても、理一がそれを責めるのはお門違いだ。
「エリックの父親が殺害された証拠を探している」
「そう……ですか」
理一が意を決して白状すると、カリーナは短く息を吐いた。そこに驚きの色は無かった。静かに席を立ちあがり理一に背を向けた。
「やはりそうなのですか。なんとなくそんな気はしていました」
カリーナの声から責める響きは感じられない。だが聡明な彼女なら正しく理解したはずだ。ことと次第によっては前半で取り付けた約束など何の意味もない。全て茶番だ。
技術流用だけならば店の看板に傷はつかない。内々で処理すれば良いだけの話だ。だが、殺人事件となれば話は変わってくる。レイヴァンを解雇したところで風評被害は免れない。
人知れずレイヴァンを本国へ強制送還する。理一ならそれを選ぶこともできた。だが、エリックとカリーナの間にしこりを残したままにしたくなかった。
「どうする? 降りたければ降りてもかまわない。レイヴァンを秘密裏に始末するくらいならどうとでもなる」
「あなたたちの法で裁くということですか?」
「そうだ」
しばしの沈黙があった。振り向いたカリーナは無言で理一を見つめていた。理一はカリーナから目を逸らさなかった。彼女がどのような判断を下そうとも、それに従うつもりだ。
「後半も当初の計画通りでいきましょう」
カリーナは深くは語らなかった。後半戦の準備もしなければならない。カリーナはいったんキッチンへ引っ込んだ。
ほどなくしてエリックとレイヴァンが戻ってきた。穏やかな雰囲気。特に揉めるようなことはなかったらしい。
理一、エリックとレイヴァンの三人は席に着いたが、カリーナはまだ戻ってきていない。
理一が様子を見に行くと、準備にはもう少し時間がかかるということだった。
「待たせてすまない。カリーナはいまお茶を淹れている。彼女の淹れるお茶は絶品だ。飲んだことあるかい?」
「お茶を、ですか?」
理一は軽く探りを入れた。カリーナはエリックに対して特殊なお茶を淹れたことは無いと言っていたが、その効果を知っていても不思議ではない。
「昔は良く淹れてくれていたのですが。最近は話すら聞いてもらえませんでしたから」
エリックは愛想笑いを浮かべた。どこか嬉しそうに見える。特に他意は無さそうだ。
カリーナが準備しているのは親交の杯だ。初対面の理一に彼女がふるまったいわくつきの逸品だ。親交とは名ばかりの疑心暗鬼の杯。それをこれから二人にふるまおうとしている。
もし本当に何も腹黒いところが無ければ何の問題も生じない。だが、レイヴァンから何も出てこないということは考えにくい。鬼が出るか蛇が出るか。見ものだ。
「お待たせいたしました」
カリーナが戻ってきた。柔和な笑顔。各自の前へカップを並べ、ティーポットから琥珀色に輝く親交の杯を注いでいく。白い湯気が立ちのぼり、爽やかな香りが鼻腔を突き抜けた。
「どうぞみなさま、遠慮せずお召し上がりください」
エリックとレイヴァンは何の疑いもなく親交の杯に口をつけた。カリーナもそれに続いた。飲んでいないのは理一だけだ。このまま飲まずに再開すれば、一人だけ有利な条件で会談に臨むことができる。