青の商人(9)
数日後、エリックはレイヴァンを引き連れ、カリーナの家を訪れた。
定刻通り。日は高い。
カリーナの隣に理一の姿を認めても、エリックは何も言わなかった。驚きもしない。
理一がカリーナと入念に打ち合わせを重ねたように、彼らにも準備万端備えるための時間は十二分にあったはずだ。
どちらが用意周到か。理一は不謹慎にも楽しみを覚えていた。
利害関係者が無事一堂に会した。テーブルを挟み、カリーナとエリック、理一とレイヴァンがそれぞれ向かい合うようにして席についた。
「本日はお忙しいところをわざわざご足労くださりありがとうございます。私からのたっての希望を叶えてくださったことにまずは厚くお礼申し上げます」
「いえ、こちらこそお招きいただきありがとうございます」
カリーナが微笑を浮かべ慇懃に挨拶を述べると、エリックも笑顔で会釈を返した。
「さて、早速だが、本題に入らせてもらってもいいかな」
舵取り役は理一が担うことになっている。誰からも異論が出なかったので、理一は構わず続けることにした。
「あらかじめ誤解のないように言っておく。俺はたまたまこちら側に座っているが、完全に彼女の味方というわけでもない。それは彼女も了解しているし、エリックも知っていることだと思う」
理一は二人の顔を交互に見た。エリックは少し緊張した面持ちでうなずき、カリーナは相変わらず微笑をたたえていた。
「カリーナとエリック、双方のためにこの場をセッティングした」
「まるでお見合いですな。私は仕事の話と聞いて同席したのですが」
レイヴァンが呆れたように口を挟んだ。
「もちろんそうだ。他人の恋路を邪魔して馬に蹴られて死ぬのは俺だってごめんだ。二人のプライベートにまで足を踏み込むつもりはない」
テーブルの下で手の甲をつねられ、理一は思わず声を上げそうになった。カリーナは表情一つ変えていないが、心穏やかではないらしい。急に表情を変えた理一を対面に座ったエリックとレイヴァンが不思議そうに見ていた。
「すまない。いや、何でもない。気にしないでくれ。リラックスさせるつもりだったが、お姫様はどうもご機嫌斜めらしい。ここからは真面目にいこう」
理一がカリーナに目配せすると、彼女は軽くため息を吐いた。
「話というのはほかでもない。今後の彼女の待遇についてだ」
いったん緩みかけた空気が再び引き締まった。
エリックがどこまで話を通しているか探ろうとしたが、レイヴァンの顔色に変化は無い。
「カリーナはエリックの案に大筋で合意している。だが、レイヴァン氏とうまくやっていけるかどうかを不安に思っている。こちらとしてはレイヴァン氏の意向を伺いたい」
「それは、彼女の下で働くということでよろしいか」
レイヴァンは眼光鋭く射貫くようにカリーナを見たかと思うと、机を指先で軽く数回トントンと叩いた。
「経営的な判断は全てエリック氏に任せていますがね。とは言うものの、腐っても私はデザイナーの端くれ。正直に申し上げて面白くはない。もし仮に彼女のほうがデザイン性に優れているというなら、現状の説明がつかないではありませんか? 私の方が格段に売れている。事実としてね」
背もたれに体を預け、不敵な笑みを浮かべていた。
「売れているかどうかという指標で見ればそうかもしれないな。しかし、売れているからと言ってデザイン性に優れているかどうかは別問題だ。少なくともエリックはそう考えていると俺は見ている。どうかな?」
理一は慌てることなく最高責任者へと話を振った。
レイヴァンが何と言おうと、最終的な決定権はエリックにある。強気な態度こそ崩さないが、レイヴァンもそれはわきまえていた。おとなしく引き下がり、経営者の発言を待つ姿勢を見せた。
「私はレイヴァン氏のことを高く評価しています。何より売れているという実績は強い。売り上げのみで比較するなら、それこそ雲泥の差です。店長の趣味で売り場を占拠している。そんな心ない言葉もちらほら耳にします」
エリックは努めて冷静だった。淀みなくすらすらと言葉を紡ぐ。おそらく想定質問の一つだったのだろう。レイヴァンは隣で満足そうに頷いている。二人の間に綻びは見られない。切り崩すには骨が折れそうだと理一は感じた。
残酷な現実をエリック本人の口から直接聞かされたカリーナはというと、表情一つ変えることなく経営者の顔を見つめている。
「売れれば売れるに越したことはありません。しかし、お客はしょせん素人です。プロにはプロの仕事がある。何を置くかは私が自信をもって選ぶべきです。商品を並べるからには責任があります」
「私のプロデュースでは責任を果たせないと?」
不機嫌を露わにレイヴァンが横から口を挟んだが、エリックはひるまず言葉を続けた。
「店頭で商品を眺めているうちに、当初買うつもりの無かったものまで買ってしまう。いわゆる衝動買いというやつですが、レイヴァン氏の提供する商品は、その究極の形だと感じています」
「それでは満足できませんか?」
レイヴァンの口調にわずかながら棘が混じり始めていた。
「一介の商人としてはそれで良いのかもしれませんが」
「ひとまず富は得られたので、次のステップへと進みたい。つまり名声のフェイズだとおっしゃりたいわけだ」
エリックの主張を代弁するかのようにレイヴァンが言葉を引き継いだ。そして心底幻滅したと言わんばかりにため息をついた。
「あなたはそれで納得しますか? まるで御輿のお飾りですよ。エリック氏が欲しいのは歴史と伝統だ」
「どういうことでしょうか?」
「あなたに認められるということは、つまり、あなたの村に認められるということだ。歴史と伝統、技術的な裏づけ、箔がつくとでも言いかえればいいでしょうか。私のような新参者では眉唾をつけられる。だからあなたが必要だと。そうエリック氏はお考えのようだ」
「誰もそんなことは言っていないでしょう」
窘めたエリックを片手で制し、レイヴァンはさらに言葉を続ける。
「あなたの技術ではない、ということです。ま、私としては言われたとおりに自分の仕事をやるだけですがね。あなたは違うのでは?」
プライドが許さないでしょう?
口にこそ出さなかったが、暗に告げていた。
安い挑発だ。エリックの本意ともまるで異なる。だが、カリーナとエリックの関係は冷え切っている。万が一ということもありえないとは言えない。このままレイヴァンのペースに乗せられるのは危険だと理一は感じた。
「いったん休憩にしよう。答えるのはその後でもいいだろう」
「そうですね。私たちのほうでも少し話し合う必要がありそうです」
理一の提案にエリックが素早く同調した。レイヴァンを伴って退出する。去り際のエリックと目があった。何かを期待するように理一を見ていた。