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パラレルダイバー  作者: 木林タカシ
青の商人
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青の商人(5)

「意外だな。即答するかと思ったが・・・・・・何を迷う必要がある?」

 敷地から出るのを見計らって師匠が声をかけてきた。

「犯罪者を野放しにする気はない。任務遂行の障害となるものは全て排除する。それが生きて戻るための鉄則だ。その教えは正しいと思うよ。それでも気が進まない仕事というのはあるもんだなあと」

 ポケットに両手を突っ込み、薄暮に沈み始めた空を見上げる。移ろう空に気の早い星たちが瞬き、夜の到来を告げていた。

「任務さえ終われば、彼らとは二度と出会うこともあるまい。エリックの成功にしても、この世界リージョン全体の発展と天秤にかけられるような類のものではない。我々は天秤バランサーだ。犯罪者によって不自然に傾いた異世界のバランスをあるべき姿に戻すだけのことだ。何を迷う必要がある?」

 師匠は問答そのものを楽しむように同じセリフを繰り返した。おそらく師匠は理一の内面の葛藤などお見通しだ。

「そう、迷う必要などないさ。大義名分は立つ。俺たちは世界の平和を守る正義の使者だ。大事の前の小事など犬の餌にしてしまえ。かくして悪は滅び、異世界には平和が訪れる。小さな犠牲は世界の礎へ」

 理一は歌うようにして心にもないことを口ずさむ。

 任務遂行を最優先とするならば、感傷に流され、特定の個人に肩入れするなど愚の骨頂だ。けれども、現地人ネイティブにも彼らの生活があり、それらは守られるべきものだ。このまま犯罪者を捕えて仕事を終わりにするのは簡単だが、さすがに夢見が悪そうだ。エリックとカリーナ。理一は異世界で出会った不器用な二人を好きになりかけていた。

「師匠、悪い。やっぱり俺にはあの二人を見捨てられない。自分の仕事だけ終わらせて終わりにしたくないんだ」

「何を謝る? 迷う必要はないのだろう?」

 師匠は三度同じセリフを繰り返した。師匠にはまるで最初から理一が下す結論が見えていたかのようだった。まだまだ師匠にはかなわないなと理一は思った。

「犯罪者は捕える。二人の仲は取り持つ。店の経営は傾かせない。部外者の俺たちのせいで、彼らの未来を脅かすわけにはいかない」

「言うは易く行うは難し。何か策はあるのか」

 試されていた。師匠にはおそらく何か策がある。しかし、どちらかが一方的に寄りかかっているようではいつまでたっても真のパートナーにはなれない。理一はこんな些細な問題で師匠を幻滅させたくなかった。

「まずはエリックの工場へ潜入する。話はそれからだ」

「ふむ。いい線だ。七十五点といったところか」

 師匠のお墨付きに、理一はうなずき返した。

 現状ではレイヴァンを問答無用で逮捕することはできても、エリックたちのアフターケアまでは全く手が回らない。レイヴァンの信用を失墜させ、彼らの信頼を勝ち取る何かが必要だ。

「ご褒美に一つ良いことを教えておいてやろう。エリックの父親が亡くなった原因はどうやらレイヴァンにあるらしい」

「マジか!?」

「成功者へのやっかみも多分にあるだろうが、エリックの店の周囲からはキナ臭い噂が絶えない。いちいち真偽を確かめるのも嫌になるほどにな。しかし、火のないところに煙は立たんよ」

 その噂が本当ならこの世界の法律でもレイヴァンを裁くことができる。エリックからレイヴァンを引き剥がす格好の材料となるだろう。

「さっすが師匠! ところで裏付けは?」

「それを今から探しに行くのだろう」

 師匠は鷹揚に笑った。

 決行はその日の深夜。街全体が寝静まった頃合いを見計らって、エリックの工場へと忍び込むことに決まった。

 電灯はおろかガス灯の光さえ存在せず、暗闇に沈んだ街を銀色の月明りだけが優しく照らしている。石畳の街路に人の気配はないが、どこで誰に見られているかもしれない。理一はフード付きの外套を目深に被り直した。

「完全に不審者のいでたちだな」

「まさにまさに」

 師匠の軽口に理一は余裕を持って返した。

 急ぎすぎず、遅すぎず。

 気配を殺し、足音を消し、完全に闇に同化して細い路地を突き進む。ふと立ち止まり夜空を見上げると、満月が孤独に浮いていた。

「夜警にでも出くわすと厄介だぞ」

「それもそうだな」

 一般人に遭遇したところで追跡を振り切ることなど動作もないが、時間のロスは避けられない。異国情緒あふれる夜の街並を楽しむのは諦めるしかなさそうだ。

 市街地を早足で駆け抜け、エリックの工場前にたどり着いた。

 鉄門扉は固く閉ざされ、工場は高い塀で囲まれていた。その上敷地全体が青く薄い霧に覆われている。少なくともこんな霧は昼間には存在していなかった。防犯装置の類だろうか。何らかの仕掛けが施されていると考えたほうが無難だろう。

 理一は腰に下げた長刀を鞘から引き抜いた。磨き抜かれた白刃が月の光を受けて銀色に輝く。理一の愛刀無縁だ。

 多次元捜査官は犯罪者に対抗するため、それぞれ固有の武器ブレイカーを持つ。そしてその特性は、持ち主の個性を色濃く反映したものとなる。  

 強制断絶。それが無縁の特性だ。無縁はその名の通り異世界同士の関係性を断絶させる。

 犯罪者によって干渉され、歪められた世界の理を強制的に元の状態へ回帰させるための刀だ。

 理一は反動をつけて壁を蹴上がった。空中で刃を一線。工場を覆い隠していた青い霧は一瞬で消失。その勢いのまま敷地内に着地した。

 身を沈め、周囲を観察する。どうやら警備犬が哨戒しているようなことはなさそうだ。

 身を起こすと、師匠が空から降りてきた。

「いつ見ても惚れ惚れする。お前とパートナーを組んでいて良かったと実感する数少ない瞬間だ」

「そうか? こんなの誰がやっても同じだろ」

「お前には信じられぬかもしれぬが、失敗の種はどこにでも転がっているものだ。敵に見つかるだけならまだしも、返り討ちに合うこともある。そんな時、私たち(ティンカーベル)は言いようのない無力感に苛まれるものだ」

「そんなもんか。しくじったことないからわからん」

 理一はその言葉の通り一度たりとも犯罪者に遅れをとった覚えがない。

 しかし、それは師匠の功績によるところも大きいのだろうと思う。

 水先案内人は転ばぬ先の杖だ。彼ら無くして多次元捜査官の仕事は成り立たない。

 理一は師匠以外と組んだことは無いが、彼――彼女かもしれないが――は相当優秀な水先案内人だろう。今でこそそれなりの信頼を得ているが、新人時代は幾度となく助けられた。理一は師匠に仕事のやり方を一から教えられたようなものだ。

「まぁお前も年を取れば、そのうちわかる時が来るさ」

「師匠いくつだよ。年齢もそうだけど、いい加減男か女かくらい教えてくれてもいいだろ」

「ふふ。想像にお任せするよ」

 最初から素直に答えが返ってくるとは思っていなかったので、理一は特に気にせず、任務に集中する。

「出入り口は?」

「正面玄関と裏口、資材搬入用の大扉、他にもいくつかあるが、裏口から行くのがおすすめだ」

 建物へ忍び寄った。しかし、裏口の扉には鍵穴もドアノブもついていなかった。その代わりと言ってはなんだが、普通ならドアノブがついているあたりに薄い長方形の台が備えつけられていた。自然と手のひらを押し付けたくなる。試してみたが、扉はうんともすんとも言わなかった。

「生体認証?」

「その通りだ。この世界では魔法ということになっているだろうがな」

 指紋なり声紋なりで個人を識別する仕組みは、理一たちの世界ではありふれた技術だ。

 師匠の目が妖しく光った。

「もし魔法であれば手出しできなかった。だが我々の世界の技術であれば破るのは容易い。開けたぞ」

 扉を抜けて工場の中へ。

 そこにはファンタジーとは全く無縁の世界が広がっていた

 武骨な鉄製の機械が立ち並び、電動機の駆動音と化学薬品の匂いが支配する理一にとってはお馴染みの空間だ。袋に梱包済みのシャツがコンベアに乗って運ばれていく。

「こりゃたまげたね」

「完全自動化されているな。よくも作りあげたものだ」

 コンベア上の商品は例に漏れず青い燐光を発していた。

 理一は青い光に導かれるようにして奥を目指す。広い工場内を闇雲に歩き回るようなことはしない。欲しいのはレイヴァンを追い詰めるための確たる証拠だ。

 そしてそれは程なく見つかった。工場の中心部、奥まった位置にひときわ強く青い燐光を発する円筒型のガラス槽が三つ。ヒトの欲望に直接働きかける薬品。その原液が精製されていた。

 理一はガラス槽に手を触れた。気泡が浮かんでは消えていく。

 いま無縁を一振りすれば、工場の中枢機能をたちどころに麻痺させることは可能だろう。

 その技術もろとも自分たちの痕跡を消し、レイヴァンを本国へ送還する。多次元捜査官パラレルダイバーの任務としては及第点だ。

「師匠、写真は?」

「言われるまでもなく。犯罪の動かぬ証拠だ。この目にバッチリ収めた」

 電子制御で動く師匠の目には様々な機能が付加されている。カメラ機能もその一つだ。

 欲張りすぎて長居した結果、誰かと鉢合わせするようなことになっては目も当てられない。不法侵入の足跡を残さぬように素早く工場から脱出した。

物足りなさは感じるものの一定の成果は得た。

「七十五点か」

 工場に忍び込む前に師匠が下した評価を理一はいまさらながらに思い返していた。

 確かに今夜の成果では七十五点が良いところだ。レイヴァンを追い詰めるには、まだ少し心もとない。

「俺、エリックの依頼を受けることにするよ」

「そうか。してその心は?」

「自己満足」

 エリックとカリーナのプライベートに踏み込んでまで仕事の完成度を高めようとしている。それを自己満足と言わず何と言えよう。だが、師匠は軽く笑っただけだった。

「そうだな。だがこんな辺境の地へ孤立無援で飛ばされているのだ。それくらいの我が儘は許されても良かろう」

「早く帰りたいんじゃなかったのか」

 理一は驚き、思わず聞き返した。

「今でもその気持ちに変わりはない。だが私は理一の主体性を尊重すると最初に言ったはずだ。己の言葉を忘れるほど耄碌もうろくしてはおらぬよ」

 びゅうと一陣の風が通り過ぎ、煽られた外套がぱたぱたと音を立てた。雲が流れ、銀色の月に陰りが差していた。暗闇が迫りつつあった。

 エリックとの交渉。そのいかんによっては事態急変もありうるだろう。

 理一は襟を正し、闇の中へ溶け込んだ。

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