青の商人(4)
街で適当に調達した地図とメモ帳の切れ端を片手に街はずれまで。
かなり広い。周囲をコンクリート製の高い塀に遮られ、敷地内の様子は判然としない。飾り気のない外観から工場か何かだと思われる。
入口には初老の守衛が一人。
理一が要件を伝えると、特に疑われることもなく入場を許可された。
「鷹飼の男が来たら通すようにと伺っております。あちらの事務所へどうぞ」
夕日に赤く照らされた工場棟を横目に流しつつ、守衛に支持された方角へ。
近代的な赤煉瓦造の洋館。それがどうやらエリックの事務所のようだ。
扉をノックすると、意外にもエリック本人が姿を表した。
建物の外装の豪華さから執事やメイドの出迎えがあってもおかしくないと勝手に勘違いしていた。そのことを告げると、エリックは「そんなに儲かっているように見えますか。参ったな」と愛想笑いを浮かべた。
「外観は立派ですが、所詮ハリボテですよ。よほど買い取り手が無かったんでしょうね。安く手に入ったのは良かったんですが、中身はボロボロでして。現在リフォーム中です」
口では謙遜するが、通された部屋には立派な執務机と応接セットが鎮座ましましていた。革張りのアームチェアーに腰を下ろすと、ほど良く体が沈み気持ち良い。
全体的に堅苦しい雰囲気を醸し出しているが、執務机の隅に一対のぬいぐるみが仲良く肩を並べて座っているのを見つけ、理一は気持ちが和んだ。
男女のカップル。女の方は先の尖った特徴的な耳をしている。エリックとカリーナ、二人を模したものだろう。
「さて依頼というのは、他でもありません」
執務机から黒檀の応接テーブルへぬいぐるみを運び、エリックは理一の向かいに座った。
「彼女との仲をなんとか取り持ってはくださいませんか」
「初対面の人間に頼むことか、それ」
ある程度予想はしていたが、まさか単刀直入に切り出されるとは思っていなかったので、理一は面食らった。
「もしお互い逆の立場でしたら、私だってそう思うでしょう。ですが、取り付く島もないとはこのことでして、私としてはなんとかして仲直りしたいと考えていますが、八方塞がりなんです。どういうわけか、カリーナはあなたのことを信用しているようですし。渡りに船とはこのことだと直感しました。恥を忍んでお願いします。何とぞ、何とぞよろしくお願いします」
両手でぬいぐるみを押し出し、黒光りする机に額をこすりつけて懇願する。
「惚れた弱みか」
「そんなことはありません。決してそのような邪な感情では。第一全く相手にされていませんし」
「じゃあこの人形は? まさか自分で?」
「それは昔まだ仲が良かった頃にカリーナが。だから全然特別な意味は無いですよ」
エリックは少し考えるそぶりを見せたが、割とあっけなく真相を暴露した。頭の痛い話だった。
「どうかされましたか。どこか具合でも?」
「いいや、全く。絶好調だよ」
事件の核心に迫っているという実感はある。しかし、二人の仲違いの根本的な原因は事件とはあまり関係ないところにありそうだ。
「概ね君たち二人の関係は把握できた。それで彼女を説得するあてはあるのか?」
気を取り直して問いかけると、エリックの顔がぱっと明るく輝いた。
「依頼を受けてくださるのですか?」
「それはまだ判断しかねる。もう少し詳しく話を聞いてからだ」
餌に食らいついた魚をみすみす見逃す気は毛頭無い。しかしだからと言って安請け合いする気もさらさらない。情報は可能な限り引き出しておきたかった。
「これが商談ならもう店じまいしたいところですが」
エリックは涼しい顔をして懐に片手を突っ込み、手のひらサイズの小箱を取り出した。小気味良い音がして開いた蓋の奥には青い宝石付の指輪が座っていた。
「どうでしょう?」
「どうって……」
宝石に関しては門外漢だが、そんな理一でも一目で模造宝石だとわかる代物だ。正直なところエリックの意図が読めない。
「ではもう一つ。今度はこちらをご覧ください」
模造宝石の横に同じような小箱を並べたが、新たに取り出した小箱は青い燐光を帯びていた。蓋を開けるまでもなく理一には中身の予想がついた。犯罪の証拠品だ。
「どうですか?」
再び小気味よい音が響いて蓋が開いた。奥には深海の冷たさを感じさせるような青い宝石の指輪。その美しさを誇示せんとばかりに妖しく青い燐光を放っている。
「なんというのかな。アクセサリーのことはよくわからないが、後から出してきたもののほうが良いような気がする」
両者の違いはレイヴァンの手が加わっているかどうか、その一点に尽きると思われるが、理一は神妙な顔をしてしらを切った。
「やはりそうですか」
エリックの返事には何の感慨もこもっていなかった。
「これらは元々同じものです。ただし、後からお見せしたほうにはある加工が施されています。それではこちらはどうですか?」
三度取り出された小箱。パカッと小気味の良い音がして蓋が開く。
一目で違いがわかった。青い煌めきが全身を貫き、その玲瓏さは見るものの心を一瞬で鷲掴みにする。ため息が出るほどの美しさ。気を抜くと衝動的に手が伸びてしまいそうだ。
「これが彼女のオリジナルです」
エリックは満足そうにうなずいた。
「原材料、作業工程はほぼ全て同じですが、作り手が異なれば、こうもわかりやすく差が出ます。しかし、それでもなお売れる商品はというと・・・・・・」
エリックは二つの箱の蓋を順に閉じ、最後にレイヴァンの商品を残した。
「なるほどな」
理一が納得したのを確認してエリックは最後の蓋を閉じた。
「彼女の作品には二つほど問題点があります。一つは製作期間が長すぎること、そしてもう一つはその製作期間の長さゆえに、一点一点が高価になってしまうことです」
「だが、彼女とレイヴァンの商品は競合しないだろう。明らかに客層が異なる。レイヴァンの商品は、次々と発表される新作をお手頃な値段でお気軽に取っかえ引っかえするような人間がメインターゲットだ。彼女の商品を欲しがるような高級志向の客層にアピールできていないだけじゃないのか。もしくはほかに何か理由でも?」
我ながら意地の悪い質問だと理一は思った。カリーナの商品が売れない理由は誰よりも知っている。レイヴァンの商品はある種麻薬のようなものだ。人間の心に直接作用し、購買意欲を煽りたてる。他の要因が完璧に同じでも、その加工を施されているかどうかで売り上げは雲泥の差だ。時と場所は変われど、易きに流れる人の性質は変わらない。それゆえに管理局では禁止技術に指定されている。技術の進歩、ひいては世界の発展を妨げる原因になりうるからだ。
技術流出だけでも重罪だが、禁止技術の流用となれば、さらに悪質だ。
商売のプロであり、レイヴァンの商品を直接扱っているエリックなら、たとえ理論的なことはわからなくとも、何らかの違和感を抱いていてもおかしくはない。
だからこそ聞いてみたかった。現在の不自然な状態をどのようにとらえているのか。彼がどのようにしてカリーナの商品を売るつもりなのかということを。
「共存、できると思うのですよ」
エリックは目を伏せたまま、静かに語り始めた。
「カリーナを主席デザイナーとして迎え入れ、レイヴァンをその下に据える。彼の作品には創造性と想像性、その両方が欠如している。とにかく売れさえすれば良いという発想だ。しかし、商売とは、商品開発とはそういうものではないと思うのです。昔はそれがわからなかった」
「後悔しているのか」
理一の問いかけにエリックは少し間を置いた。
「実際のところよくわかりません。レイヴァンを引き込むことに父親は最期まで反対していました。けれど彼無くして今日の成功はありえなかった。生活に余裕ができたせいで、欲が出てきたのかもしれませんね」
「カリーナにそのことは?」
「伝えられていません。できることなら自分の口から伝えたい。その手助けをしてくださいませんか?」
カリーナの才能とレイヴァンの技術が合わされば、鬼に金棒だと考えるのは至極当然の流れだ。誰も不幸にならない妙案だと思える。しかし、それは決して叶うことのない望みだ。
犯罪の動かぬ証拠を突き付け、レイヴァンを本国へ送還する。
理一の任務達成はそのまま店の経営に対する大打撃へと直結するだろう。最悪倒産もありうる。犯罪の片棒を担いでいるとはいえ、エリックにはその自覚がない。あまりにも酷な話だ。
「少し考えさせてくれないか。依頼を受ける前に二、三調べたいことがある」
「いいでしょう。いまさら少しくらい遅れたところでどうこうなる話でもありません。良いお返事を期待しています」
エリックは要件を伝え終わると、分別のある商売人らしくあっさりと身を引いた。だが、窓から外を眺めるその後ろ姿はどことなく寂しそうだった。