3 二人目のジーノ(ジーノベルト) 後編
品定めをされているのだろうか?
エリナは特別な美人ではないし、リリーのように男性の庇護欲をそそる可愛らしさもない。けれど顔立ちは整っているし、プロポーションには自信がある。ほっそりした腰に豊かな胸。肌はキメ細かく滑らかだ。貴族相手の高級娼館でも充分通用するのではないだろうか?
エリナがそんな事を考えていると、ようやく紳士が口を開いた。
「実は、ある貴族の方の子供を産んで頂きたいのです」
「……はぁ?」
予想の斜め上をいく勧誘に、思わず間抜けな声を出してしまったエリナ。
「えーと……愛人になるということでしょうか?」
「違います。子供を産んで頂きたいのです」
それって愛人とどう違うのだろうか?
エリナの訝し気な視線に気付いた紳士が説明を始めた。
「その方は――私がお仕えしている旦那様ですが――奥様を深く愛していらっしゃいます。ですので、決して愛人を欲していらっしゃる訳ではないのです」
「はぁ」
「旦那様と奥様は貴族には珍しい恋愛結婚をなさいました。が、ご結婚後5年経ってもお子様に恵まれません。こういう場合、普通ならば旦那様が第2夫人を娶るか、親戚筋から養子を迎えるか、どちらかの方法を取ります」
「そう……されないのですか?」
「実はお二人の結婚は、旦那様のご両親やご親族皆様の反対を押し切って、無理を通したものなのです。反対された理由は奥様のご実家の爵位が低く、家格が釣り合わない事でした」
「お貴族様って大変ですね」
「ええ、大変なんです。反対を押し切って結婚したのに5年経っても子供が出来ない。旦那様は高位貴族の長男で後継ぎでいらっしゃいます。ご両親は、旦那様が奥様と離縁して、改めて家格の釣り合う家の令嬢を正妻として迎えることを望まれています」
「なるほど」
「そこで貴女に旦那様の子供を産んでもらい、その子を旦那様と奥様の間の実子ということにしたい訳です」
「何故、私なんですか?」
「蜂蜜色の髪と翡翠色の瞳が奥様と同じなのです。背格好も似ている。そして王都にお身内がいらっしゃらないということは秘密が洩れにくい」
「尚且つお金に困っていて言う事を聞きそうだ……ですね?」
「吞み込みの早い方で助かります」
「要するに私の身体と産まれてくる子供を寄越せということですか……」
「もちろん、貴女には高額の謝礼を致します。女性の人生を変えてしまう内容の依頼ですから、それに見合う額を用意します」
「……わかりました」
「え? よろしいのですか?」
「私、今晩泊まる所すらないんです」
エリナに選択肢などなかった。
一人の貴族に囲われるのならば、娼館で不特定多数の男の相手をするよりずっと良い。どうせジーノとの結婚は無くなったのだ。自暴自棄になって故郷を飛び出した自分には、むしろ勿体無い位の話ではないか。エリナは覚悟を決めた。
その日のうちに連れて行かれたのは、王都の郊外にあるパジェス公爵家の別邸であった。
そう、まさかの公爵家である。
名門パジェス公爵家の長男セドリックが依頼主であると知らされ、エリナは言葉を失った。エリナを勧誘したのは、そのセドリックが最も信頼している側近らしい。
もしもセドリックとエリナの間に男の子が産まれれば、その子はパジェス公爵家の次々代後継者となる――しがない平民の自分が産んだ子が名門公爵家を継ぐ? そんなことが許されるのだろうか? 自分はとんでもない事を引き受けてしまったのではないか? エリナは恐ろしくなってきた。けれど、ここを逃げ出しても何処にも行くあてはない……
一年後、エリナは玉のような男の子を産んだ。
エリナと同じ蜂蜜色の髪と、セドリックと同じ青い瞳を持つ美しい赤子だ。
セドリックも、その妻アメリーも大層喜び、エリナを労ってくれた。
赤子は夫妻によって「ジーノベルト」と名付けられた。
ジーノベルトはセドリックとアメリーの間に産まれた実子という事にされ、エリナの存在は世間に隠された。秘密を知るのは、ごく限られた人間だけである。
夫妻は慈悲深い人たちであった。エリナのことを改めて”乳母”として雇い、ジーノベルトの一番近くに置いてくれたのだ。
セドリックとアメリーはジーノベルトを「ジーノ」と愛称で呼んだ。
そして乳母であるエリナも夫妻から愛称呼びを許され、我が子を「ジーノ様」と呼ぶようになった。
エリナは毎日ジーノベルトに母乳を与え、たくさん抱き、あやし、話し掛け、おむつを替え、成長を見守った。
首が座り、寝返りを打つようになり、お座りが出来るようになり、ハイハイをし始め、やがてつかまり立ち、そして伝い歩きをするようになったジーノベルト。
「ジーノ様」と呼びかけると、にぱぁと嬉しそうに笑ってエリナに抱きついてくる。
⦅ 可愛い。なんて可愛いのだろう。私のジーノ…… ⦆
しかし、やがてジーノベルトが1歳の誕生日を迎え乳離れをすると、エリナは主夫妻に暇を願い出た。
心優しい夫妻は「ずっとジーノの側に居ればいい」と引き留めてくれたが、エリナは正直に懸念を伝えた。
「ジーノ様は旦那様と奥様のお子様です。私が近くに居ると、将来、余計なトラブルが起きるやも知れません。現に、最近頻繁にこちらの邸にいらっしゃるようになった、旦那様のご両親の公爵様ご夫妻は、私に疑いの目を向け始めていらっしゃいます。この先、もしもジーノ様の容姿が私に似てきたりすれば、疑いが確信に変わることでしょう」
エリナの話を聞いたセドリックとアメリーは黙り込んだ。
ジーノベルトの母親がアメリーではない事が知れれば、二人は間違いなく公爵夫妻から離縁をするよう申し渡されるだろう。万が一にも真実を知られてはならないのだ。セドリックとアメリーは、真に愛し合っているのだから……
エリナはジーノベルトを出産した直後に、セドリックから大金を渡されていた。平民のエリナが一生遊んで暮らして尚、有り余る額の金である。相当な贅沢をしても使い切ることは不可能だろう。乳母を辞めても生活に困ることはない。
そろそろ我が子から離れるべきだ。
主夫妻の為だけではない。
誰よりも大切なジーノを守る為だ――
屋敷を去る日。
エリナは1歳になったばかりのジーノベルトを抱き上げ、その額に長いキスをして別れを告げた。
「さよなら、ジーノ。愛してる」
エリナの目から涙が溢れる。
エリナの泣き顔を見て不安になったのだろう。ジーノベルトも泣き始めてしまった。エリナは、泣きながら自分にしがみ付いて来るジーノベルトをアメリーに渡した。セドリックはエリナを抱きしめ「本当にすまない。ありがとう、エリナ」と言った。
セドリックとエリナの間には、肌を重ねたことのある男女特有の、ある種の親密さがあった。お互い、決して恋愛感情がある訳ではないのだが、セドリックはどこかエリナに気を許していたし、エリナもまた、本来ならば雲の上の存在である公爵家の長男セドリックに臆する事が無かった。
他の使用人に対しては貴族然とした態度を取るセドリックが、エリナの前では気を抜いて自然な笑顔を見せるのだ。妻のアメリーが気付かないはずはない。けれど彼女は知らぬ振りを通してくれた。それどころか、いつもエリナに感謝と労いの言葉を掛けてくれたのだ。それはセドリックに真に愛されているという自信から来る寛容さかもしれない。
そしてエリナは、そんなアメリーだからこそ信頼することが出来た。
⦅ 奥様は必ずジーノを大切に育てて下さる ⦆
セドリックもアメリーも涙を浮かべてエリナを見送ってくれた。
アメリーの腕に抱かれているジーノベルトは、泣きじゃくりながら懸命にエリナに向かって手を伸ばす。その姿は、まるで本能的に実の母エリナと離れまいとしているかのようであった。
エリナはそんな我が子に後ろ髪を引かれながらも、一度も振り返らずに立ち去った。
こうしてエリナは二人目のジーノと別れたのである。




