1 一人目のジーノ
エリナが一人目のジーノと別れたのは17歳の時だった。
地方の小さな町で生まれ育った同い年のエリナとジーノは、幼い頃からの許婚だった。
と言っても、貴族の政略結婚のように意味のあるものではない。
お互い平民の家庭に生まれ、仲の良かった父親どうしが口約束をしただけの許婚――それでも幼児期からずっと「エリナは大きくなったらジーノのお嫁さんになるんだよ」と、親に言われ続ければ、その気になる。
エリナは何の疑いもなく、ジーノと結婚する未来を思い描きながら成長した。
小さな頃から、しっかり者のエリナに比べ、ジーノは少し気が弱く大人しい男の子だった。ジーノはこの国では珍しい青色の髪をしていて、そのことで揶揄われることが多かった。そんな時、いつもジーノを庇ったのはエリナだ。同い年なのに、エリナに頼り甘えるジーノ。傍から見ると、二人の関係は姉と弟のように見えた。
けれどエリナはジーノに恋をしていた。
穏やかで一緒にいると癒される。男だからと言って強くなんてなくたっていい。ジーノは心優しい。充分に素敵だ――エリナはジーノを全肯定していた。
二人はとても仲睦まじかった。
二人が共に17歳になると、双方の親がそろそろ結婚式を挙げようと言い始めた。
その頃、既に平民向けの公立学校を卒業していたエリナは家業の宿屋を手伝い、同じ学校を卒業したジーノもやはり家業の花屋を手伝っていた。
エリナには兄がいて、宿屋はいずれ兄が継ぐ。ジーノは一人っ子なので、もちろん花屋を継ぐ予定だ。結婚したら、エリナは花屋を手伝うことになっている。店の後継ぎの嫁になるのだから当たり前だ。
エリナは、子供の頃から、自分は将来ジーノと結婚して花屋の女将になるのだから――と、花や植物に関する本をたくさん読み、学校を卒業してからは宿屋の仕事の合間に、ちょくちょくジーノの実家の花屋に通って、彼の両親に花の扱いを教わっていた。
「すみません。エリナとは結婚出来ません」
それは青天の霹靂だった。
エリナとジーノと双方の両親とで結婚式の具体的な日程などを決めようと、ジーノの家に集まっていた。そこで突然、ジーノが、エリナとは結婚出来ないと言い出したのだ。
呆気に取られる双方の両親。そしてエリナ。
最初に口を開いたのは、ジーノの父親だった。
「ジーノ! 突然、何を言い出すんだ!」
ジーノの母親も大きな声を出す。
「一体どうしたっていうの!?」
ジーノは震える声で、けれどハッキリと言った。
「俺はリリーと結婚する」
リリーは町の食堂の娘だ。エリナやジーノより一つ年下の16歳で、可愛いらしい顔をした食堂の看板娘である。
小さな町だ。年の近い者は皆、知り合いで、それなりに親しい。エリナとジーノも子供の頃からリリーを知っているし一緒に遊んだこともある。
「リリーと……そういう関係なの?」
エリナはジーノを見据えて尋ねた。
「ごめん……つい1ヶ月ほど前にリリーから告白されて……その……付き合ってる」
ジーノはエリナの目を見ずに、そう答えた。
エリナの父が突然、立ち上がり、無言のままジーノを殴りつけた。
エリナの母が尖った声を出す。
「うちのエリナをバカにするな! 金輪際、お宅とは縁を切らせてもらうよ!」
ジーノの父親と母親は床に頭を擦り付けた。
「申し訳ない」「本当に申し訳ありません。うちのバカ息子がとんでもない事を……」
エリナの父はジーノを睨み付け、怒りに満ちた声で言った。
「俺はお前を許さないからな! ジーノ! お前の事を俺は絶対に許さない!」
ジーノは消え入りそうな声で、
「申し訳……ありません」
と、言ったきり俯いた。
エリナは何も言う気になれなかった。ただ一言、
「さよなら、ジーノ」
と、告げて席を立った。
父と母はエリナの肩を抱き、そのまま三人でジーノの家を出た。
自宅に戻って、エリナは考えた。
気が弱く大人しいジーノが、双方の両親とエリナを前にして勇気を振り絞って切り出した。それ程、本気でリリーのことが好きなのだ――
思えばジーノから「好きだ」と言われたことなど一度もない。
エリナはいつも言葉にしていたというのに……
⦅ なーんだ。最初から私の想いは一方通行だったんだわ ⦆
エリナは庭で本を燃やした。
いずれ花屋の女将になるのだからと読んでいた、花や植物に関する本を全て焼いた。平民にとって本は決して安い物ではない。それでもエリナは燃やした。
煙が目に沁みる……エリナは庭で一人、涙を流し続けた。
翌朝、リリーが一人でエリナを訪ねて来た。
そして、ただひたすら謝った。
「エリナさん、本当にごめんなさい。ジーノは悪くないの。私から告白して、『エリナさんと別れて、私と結婚して欲しい』って頼んだの。本当に本当にごめんなさい」
エリナはゴミを見るような目でリリーを見た。
「帰ってちょうだい」
「エリナさん、私たちを許して!」
「許せるわけないでしょう? ケンカ売ってるの?」
「ちが……違います。私はただ謝りたくて」
「どうせ口先だけでしょう? 心の中で嗤ってるんでしょう?」
「酷い!」
「死ねばいいのに」
「エリナさん、酷いです!」
「死ねばいいのに」
「エリナさん……」
「死ねばいいのに」
「……」
「死ねばいいのに」
「……うぅっ」
冷ややかな表情で同じ言葉を繰り返すエリナにショックを受けたのか、リリーは泣きながら帰って行った。
その日、エリナは町を出た。
〈 隣町で仕事を探します。心配しないでください 〉と、書き置きを残して。
隣町へ行くというのは嘘だった。
エリナは一人、王都に向かう寄合い馬車に乗り込んだ――