ダイヤモンドに差す色
「あれえ、大同さん、お久しぶりですねえ」
店の奥から出てきたのは、愛想の良い女性店長。
「あらー、また可愛い子連れちゃって。相変わらずですね」
「はは、サオリさんはいつもそうやって俺のことを貶めるんだから」
「何言ってるんですか、真実を言ってるだけですよ」
そう言いながら、店長がマネキンに着せてある服の歪みを直す。店内にはたくさんの洋服が整然とハンガーに掛けられている。
ここは大同が普段からよく利用しているセレクトショップ「りく」だ。メンズとレディースが半々くらいの割合で置いてあるので、恋人とのショッピングにはうってつけの店だ。大同も新しく恋人ができると、一緒に寄ることもあった。
そして、この女性店長サオリは、そのキレる審美眼でアパレル業界でも有名だと、飲み仲間の鹿島社長の元恋人が言ってたのも耳にしている。
置いてある服も値段は高いが肌触りもよく、何と言ってもデザインセンスが抜群だ。流行も取り入れつつ、ぶれない路線を歩いていて、大同はいつも感心しながら洋服を選んだ。
「この人には気をつけた方が良いですよ」
サオリが、ひなたの耳元に顔を寄せる。
「いつも違う人を連れてくるんですから」
「ちょ、ちょっとサオリさんっ」
焦りのようなものが湧き上がってきて、大同は苦く笑った。
「余計なこと言わないでよ」
ひなたの様子をちらっと窺い見る。
すると、それは本当ですか? というような顔を寄越してくる。
大同は深いため息をつきながら、両手を上げて降参のポーズで言った。
「いやいや、そんなチャラくねえし。そんな目で見んのやめて」
「そうですか? 見た目通りだなって思っただけで」
「ほらあ、サオリさんが余計なこと言うからあ。この子はそんなんじゃねえから」
「ははは、すみません。いつも連れてくる女性とタイプが違うから、念のため」
慌てて大同が口を出す。
「念のためって‼︎ この子は仕事関係の人だからねっ。さあ、それより服、服選んだってよ」
「モデルさんですか?」
サオリの言葉に、大同は心の中でガッツポーズをした。
「見える?」
「見えますよー。美人だもの」
「ひなたちゃんっていうの。似合いそうなものを10着、コーディネートして。バックとか小物も頼む」
「了解です。腕が鳴りますねえ」
「あとで、カメラマンも寄越すから、それまでにお願い」
「はーい、じゃあひなたちゃん、あなたも服見てくれるかな?」
「だめです」
ん、という顔をしたサオリに向かって、ひなたは言った。
「……私、センスないから」
大同がひなたに目をやると、ひなたは視線を合わせまいと、俯いた。
自信の無さが表情に出ていて、途端に頼りなさげだ。
「これも……この服も、お姉ちゃんので……」
ああ、それでサイズが合っていないのか、大同は納得したように頷いた。
「大丈夫だよ、一度選んでみて。ちゃんとプロがいるんだから大丈夫」
すると隣に立っていたサオリが、両腕を腰に当てる。
「ひなたちゃん、任せてっ‼︎ おねーさんが、ちゃんとアドバイスするから」
大同が、ぷっと吹き出して、サオリの肩にぽんと手を置きながら、腹を折って笑った。
「はは、オネーサン、頼みましたよ」
「だいどーさん、前から言ってるけど、ワタシまだ三十代『前半』なんで」
ひなたが、ふふっと笑った。
(はい、ヒットー)
心も軽くなるようだった。
✳︎✳︎✳︎
「え、」
大同は思わぬ提案に、二の句が告げられなかった。
「……えっと、すみません。やっぱダメですよね」
頭を掻きながら苦笑いをするのは、若手でもファッション界ではその名を広く知られている美容師の滝田だ。
都内の高級住宅地に建つ美容院「taki」の経営者でもあり、トップスタイリストでもある。
大同も時々ここで髪を切っているのだが、比較的女性向きの美容院だ。
滝田はハサミやコームが挿してあるベルトを腰の位置で直すと、目の前に座っているひなたの髪を触った。
ひなたは大きな鏡の前で、首からのケープを巻き付けられて、ちょこんと座っている。
ここは美容院なので、もちろんいつも着けているウィッグも取っているわけだが、それでもひなたはそんなことは平気、みたいな顔で大人しくしている。
セレクトショップで洋服を何着か購入し、カメラマンに写真を撮ってもらってから、この美容院に移動したのだが、ひなたに疲れの色は見えない。
ひなたの病気のこともあるので、大同は何度か大丈夫? と声を掛けたり、休憩したりはしていた。
「絶対、もう一度、声掛けてくださいよっ」
馴染みでもあるカメラマンの鮫島が、セレクトショップ「りく」で、軽く興奮しながら去り際に言った。
「美容院って、滝田さんとこ行くんでしょっ。そこで、もう一回撮影するんでっ」
「え、でも、服はまだ持っていかねえぞ」
サオリがもう少し、小物を考えさせてほしいと言うので、ショップに当分の間、預けることになっている。
大同がそう言うと、鮫島がカメラを手早く片しながら言った。
「服なんていらねえっす。顔……顔とあと、雰囲気を撮りたいんでっ」
「顔、ってのはわかるけど、雰囲気ってなんだよ?」
疑問を口にしたが、それを無視して鮫島は言い放った。
「二時間くらいっすよね? 直ぐに次の仕事やっつけてまた来るんで。その前に終わりそうになったら、絶対に連絡してくださいよっ」
荷物を抱えてガバッと立ち上がり、ドアへと突進する。自動ドアにぶつかりながら、急いで出て行く鮫島を見て、サオリが怒り心頭だ。
「ちょっとお、私の店を壊すんじゃないよー‼︎ 弁償させるぞ、こらあ‼︎」
その時。
大同の背後で、ころころと転がるような声がした。
振り返ると、ひなたが笑っている。
「ふふ、はは」
第一段階の小さな笑顔は、数回見た。笑った声まで聞けたのだから、これは、第二段階の笑顔だ。
(ああ、やっぱ美人だなあ)
ダイヤモンドのように、ひやりと冷たく透明だった宝石に、少しだけ色がついたような気がした。
そして、その心地の良い気持ちを持ったまま、滝田の経営する美容院へとやってきたのだったが。
滝田の、この提案。
大同は狼狽えた。
「さすがに……それは……ちょっと。女の子だしなあ」
「ですよねー……っと、気にしないでください」
(滝田くんが言うなら間違いなく、カッコ良いんだろうけど)
すると、ひなたがケープをごそごそとさせながら、鏡越しに映る大同に向かって言った。
「良いですよ、別に」
「え、でも、」
鏡に映るひなたの表情は、いつもながらに増して無表情で、その頬の筋肉すら、ぴくりとも動かない。
「今だってこの髪型だし、抵抗ないです」
生え揃ってきたとはいえ、会社の食堂で披露した五分刈りから、そんなには伸びていない。
もちろん、ウィッグの相談に来たつもりだった大同には、衝撃のひなたの反応だ。
「いやいやいや、ちょっと待って」
大同が躊躇する理由。
その滝田の提案というのが、髪をシルバーに染めて、もう少しだけ髪を刈り揃え、芝生のように短くする、というものだったからだ。
(それじゃ、まるで自衛隊とかの軍隊だろ)
けれど、ひなたの反応を見て、滝田が再度、交渉に乗り出してきた。
「お、ひなたちゃん、オッケーなの? じゃあ、俺、頑張っちゃうけど?」
「ちょっと、滝田くん‼︎」
「大同さん、一度やってみましょうよ。ぜってえ、似合うからさ」
「でも、ひなちゃんは女の子なんだから」
「ひなたちゃん、中性的だし、かっこいいと思うんだよな」
「滝田くん、他人事だと思って、」
「ウィッグより、地毛の方がもちろん自然だし、鮫島もそっちの方がめっちゃ喜ぶって」
「鮫島くんのためじゃねえからっ」
鏡越しで二人の様子を見ていたひなたが、口を開けた。
「私なら、大丈夫ですけど」
飄々とした表情で言う。
「オッケー、じゃあ、やっちゃうぜっ」
「ちょっと、滝田くんっ」
(まったく、若い奴らってのは、こうもノリが軽いのか……)
けれど、今の若者はビッグマウスではあるが、実力もセンスもある。勘や感覚も自分の世代にはないものを持っているし、芸術の世界は、こうも才能に満ち溢れているのだ。
腰に挿したハサミを取り出して、シャキンとポーズを決める滝田を見て、大同は心の中でそう思ってから、溜め息をついた。
「じゃあ、髪の色を抜かないといけないし、シルバーにするのに数週間はかかりますんで、鮫島くんに完成したら教えるからって、連絡しといてください」
「うーん、わかったよ」
渋々返事をすると、「大同さんも帰っていいですよ」
(なんだよそれ)
それから少しのスケジュール的なやり取りをしてから、不服な気持ちを抱えたまま、大同は仕方なくタクシーで帰途についた。