情熱と冷静
「初めまして、円谷ひなたです」
「おー、例の子だね。呼びつけちゃって本当にごめんねえ」
羽多野が応接室のイスを勧める。すると、ひなたは大同の方をちらっと見ると、すぐに顔を戻して、勧められたイスに座った。
「噂に違わぬ、クールビューティーだなあ。美人さんだ」
羽多野が大げさに言うが、大同は心の中で、そんなんじゃこの子はニコリともしねえぞ、と呟いた。
そしてその通りの、ひなたのぬるい顔。
相当の、鉄面皮だ。
(俺でさえ、こんなに苦労してんだかんな)
腰に腕を当てて、ドヤ顔で言いたいところを、大同はぐっと耐えた。
「さあ、いきなりで申し訳ないけど……」
羽多野が書類を広げる。それに合わせて、ひなたは机の上に置いてあったコーヒカップをすいっと横に避けた。
「まず、これ」
ひなたが少し前かがみの姿勢を取り、一番上に乗せてある書類を覗き込む。
「コンセプト……『情熱』と『冷静』、」
呟くように発した声。半分伏せたまつ毛は、やはりまばらだった。よく見ると、眉毛も薄い。化粧をしているようにも見えるし、していないようにも見える。
(元々、顔の造りが濃いんだよな)
切れ長の目は少し落ち込んだくぼみにあって、和風とも言えるし、洋風とも言える。鼻は文句のつけようがないくらい高く、唇は薄いが艶やかで形はいい。
(アジアンビューティーってか……けどなあ、この細さ)
病気ということもあり仕方がないのかも知れないが、ひょろっとしていて凹凸がまるで無い。
ボンキュッボンのグラマラスな体型が好みの大同には、そのひなたの体型は自分の範疇に入らない。
(でもなあ、乳がんって病気のこともあるからな)
「おい、大同?」
ひなたをじっと見つめてしまっていた自分に気づく。
「ああ、なんだっけ?」
「……ちゃんとひなたちゃんの話を聞いてよー。見惚れてないでさあ」
「あ、いや、俺はだなあ、」
「はいはい、いいからちゃんと聞きなさい」
わーったよ、大同がため息を吐きながらイスを引きながら、佇まいを直すと、ひなたがぷっと吹き出した。
(お、ヒット)
「で、どう思う? 僕たちの会社のイメージ。真反対過ぎてどうしよっかって感じでしょう」
羽多野の言葉を聞きながら、大同はコーヒーカップを手にした。
ひなたは一枚、紙を取り上げると、書類に目を走らせた。
「あのCM見てくれたんだよね? どう思った?」
「カッコイイなって思いました。スタイリッシュっていうか、綺麗にまとまってて、」
「でも、それだけって感じだったんでしょ?」
「……はい、」
机の上に書類を戻す。
「……それより、」
ひなたの顔が少し曇った。ひなたの唇には力が込められていて、それがひなたの表情に、微妙なねじりのようなものを醸し出している。
「すみません」
ぽつり、と謝った。
一瞬、静寂に包まれ、焦った羽多野が慌てて言う。
「え、なにがどうして、」
「お、おう、なんで謝んの?」
大同も続けて問うた。
「素人が偉そうに大企業のCMに口出ししちゃって、」
「いやあ、それは、」
「それに……作り直すことになるなんて思わなかったから」
「それはだねえ、こいつのせいであって、ひなたちゃんは全然悪くないから」
羽多野が立ち上がり、部屋の壁際に設置してあるカウンターへと向かう。コーヒーサーバーを取ると、ひなたのコーヒーカップにお代わりのコーヒーを注いだ。
「ありがとうございます」
作業をしている羽多野の代わりに、大同が話し始める。
「いやあ、言ってもらって良かったんだよ。実はあのCM、社員には評判良くてさ。あれ、丸く収まってるってか、そこそこ上手に出来てるから」
「……はい」
「だから、オッケー出しちまったけど。『そこそこ』じゃあ、だめなんだよな。まあ俺も何か物足りないって言うか、そういうのは感じてたんだけど、口にする勇気が出なくてな」
「いつもはずけずけ言う大同にしては珍しく、ね。こいつ、後からぶつくさと言うもんだからさあ」
「お前もあの大型ビジョンで見た時、首を捻ってただろ?」
「まあ、そうだけど……」
「次は、みんなに立ち止まって見てもらえるような、良いものを作りたい」
大同が芯のある声で言う。
「だから、ひなちゃんに協力してもらいたいんだ」
ひなたが、目を見開いたのを見て、大同が頭を掻いた。
「ごめん、ひなちゃんって呼び方、なんか可愛いから。嫌かな?」
ひなたは、ううんと首を振ると、薄っすらと笑った。
「それで良いです……でもCMは、」
大同は、声を上げてガハハと笑うと、「交渉成立な」と強引に言って、羽多野までも呆れさせた。
「こら、なに無理矢理、交渉成立させてんの」
「いいの、いいの」
大同があまりにもニヤニヤするので、羽多野とひなたは顔を見合わせた。
「で、どう思う? 『冷静』と『情熱』」
ひなたが、少しだけ鼻から息をすんと吸った。
「その二つ、正反対でも、なんでもないですよ」
「え、」
「ん?」
ひなたが書類の上に手を置いた。その手は、その皮膚は、薄っすらと赤みを帯びていて、紅色に染まっている。ほっそりとした指の先端にまで、血管が張り巡らされ血液が届けられている証拠だ。
ついさっき握った手は、ほわりと温かく、ひなたの見た目の印象より体温が高かったことに、少しの驚きがあった。
「胸の中に、情熱を秘めている人は、意外と冷静に見えるんですよ」
「え、……っとどういう?」
「例えば、フィギュアスケートの金メダルを取った人とか」
オリンピックで金メダルを取った選手の笑顔と、鬼気迫る演技が目に浮かぶ。そしてその表情。
「あー、そういえばそうだ」
次々にアスリートと呼ばれる人種を思い出してみる。
闘志を内に秘めながら、ストイックに鍛錬を積み重ね、そして彼らを形成するその自信や誇りが、冷静さを連れてくる。
「確かに、結果を残そうとする人って、並々ならぬ努力してるよね。みんな獲物を目の前にした猛禽類、みたいな目をしてるわ」
羽多野が両腕を胸の前で組んだ。それは羽多野が熟考する時にやるポーズで、大同はその姿を見て、軽い興奮を覚えた。
(羽多野の腕組み、久しぶりに見たな)
「……なんか、根底が覆された」
ぶつぶつと独り言を呟きながら、羽多野は残りのコーヒーをあおった。そして、ソーサーにカップをガチャンと置くと、ひなたの前にずいっと身を乗り出して、言った。
「ひなたちゃん、君だ」
予感はあったが、大同も概ね、同意見だ。それを見透かしたかのように、大同には笑いかけたが、羽多野は大同に意思確認はしなかった。昔からの相方には、その表情で伝わると思っている。
大同は、そんな羽多野の様子を見ながら、呆れたような顔を浮かべて、隣に座るひなたの顔を羽多野と同じように覗き込んだ。
「ひなちゃん、君に頼みたい」
ひなたは、何が何だかわからないと言った様子でキョトンとしながら、首をゆっくり横に振った。
「交渉成立な」
大同がニカッと笑うと、ひなたは慌てて首を横に振った。