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温もりの中で


「この前は、ごめん。考えなしだった」


大同は、ライオンの像の前で、頭を素直に下げた。


「?」


ひなたは、なぜ謝られているのかがよくわかっていない、といった怪訝な表情で、大同を見つめている。


「その……髪、のこと、」


二週間ぶりに会ったひなたは、初めて会った時に被っていたウィッグを、今日も着けていた。

洋服も、初めて会った時に着ていた違和感のある袖の長い白のブラウスと、裾の長すぎるロングスカート。

ぶかぶかのブラウスから、白く細い指がちょこんと出ている。


ライオンの脚を撫でながら遅れてきた大同を待っていたひなたは、大同のその言葉に撫でる手を止めた。


「ああ、別に大丈夫です。ようやく、これだけ生え揃ってきて、」


(何か、病気とかで?)


訊きたかった言葉は喉元で止まった。


「そこのカフェに入っていいかな?」


こくんと頷く。伏せられた目に、まつ毛もまばらだ。


大同は、ひなたの背中に手をあてがい、カフェの入口へと促した。

女性に対するエスコートの癖は、自然に出るくらい身に染みついていて、その経験も豊富だ。


ひなたに必要以上に触れないようにと一応配慮しながら、大同はカフェの一番奥の席へと、ひなたを誘導した。

席へと座る。


メニューに目を落とすひなたを見つめながら、大同は思いを巡らせた。


実は大同は、初めてひなたに会った後、髪の抜ける病気のことをネットで調べていた。

もちろん心因性の脱毛症ということもあるが、抗がん剤治療、ということも考えられる。


(どっちにせよ、まだ、若いのに……)


次にもし会えたとしても、なんて言っていいのかわからないし、周りにそういった病気を患っている人がいないから、掛ける言葉を見つけることができないのではないか、そう思って少し面倒になった。


(こんなこと言うと、最低な男だと思われるかも知れないけど……)


相手に気を使うような面倒なことに首を突っ込みたくない。


それが本音だった。


大同が遊ぶ女は、先にジュエリーやスイーツでもプレゼントでもしておけば、上機嫌で抱かせてくれる。お互い束縛しないし、次に会う約束もしない。好きだと言う言葉も、上っ面だけのもの。そんな態度が相手に伝播するのだろう、それを良しとする女しか寄ってこなかった。


(……それはそれで、良かったんだけどな)


傷つきながらも強い絆で結ばれた鹿島と小梅の姿を見て、考え方が180度、転換した。


鹿島と小梅の、お互いを見つめる、温度を保つ視線。満足そうな二人を見て、愛し合うということはこうも慈愛に満ちているものなのだと、感心するぐらいだった。


けれど。


同時に、それを羨ましいと思う気持ちが芽生えたのだ。今までに、欠片もなかった感情。


(唯一無二、か。俺もいつか、手に入るのだろうか……)


自分には。一生手には入らなさそうなその存在を羨望する自分が、情けなくみっともない、と思えるほどに。


そんな中、ひなたに出逢った。


メニューに念入りに目を通す、ひなたのその顔を改めて見る。


そうは崩すことのない鉄面皮に張り付いている、切れ長の彼女の目。まばらな睫毛。よく見るとわかる、薄い眉。


初めて会った時に見た、無表情の中の、小さな笑顔。

それが大同の中に、小さく居座っていたのかもしれない。


もしかしたら。


次に会った時は、大笑いしてくれるかも。


面倒くさいことはごめんこうむりたいと思っていたのに、大笑いする笑顔が見たい、そう思った瞬間、指が勝手にひなたの連絡先にメールしていた。


もちろん、デートの誘いではなく、理由はそれなりでないといけない。


CMを作り直す件で。

それでなくてはいけない。


「何を飲む?」


「じゃあ、コーヒーフロートで」


大同は、じっと見つめていたひなたから視線を外し、カウンターの奥でたむろしている店員を、手を上げて呼んだ。


✳︎✳︎✳︎


CMを作り直すと決めてから直ぐに、大同は羽多野を誘って居酒屋へと駆け込んでいた。


二人は生ビールを注文し、最初、先付けの枝豆を口に入れては無言で咀嚼していたが、とうとう大同が口火を切った。


「……カッコイイってだけだとよ」


大同が生ビールをあおる。


「だから言っただろ。起用する女優なんて、知名度があってなんぼだぞ。誰でも良いわけじゃねえってことだ」


ガラ入れに、枝豆の皮を放り込む。


「そんなことはないでしょ。インパクトがあれば誰だって、」


「だから、そのインパクトってやつをどの部分に持ってくかってことだろ。もちろん音楽も然り、映像、キャッチコピー……色々ある中でだな。一番効果が高いのは、知名度の高い女優だ、と、俺は思ってる」


大同は焼きたての香ばしい匂いを放つ焼き鳥を頬張り、串を串入れに放り投げた。


「いやいや、そんな大女優に払う金、どこから出すの」


羽多野が呆れながら、ジョッキを持つと、喉をゴクゴクと動かしながら、一気に飲んだ。


「それより、その円谷さんって子、どんな子なの? 噂になってるよ、お前が女の子を会社にまで連れて来たって」


「ああ、そのことね……お前、わかってて訊いてるよな?」


「髪のこと? まあ、ちょっと聞いたけど……そうじゃなくてね、なんでお前が女の子を会社にまで連れ込んだんだ、ってこと」


「連れ込んだってなあ。ラブホじゃねえんだから……」


大同はもう一度、ビールを飲んだ。


「……例のCMをな、食い入るように見てたんだ。だから興味が湧いた。それだけだよ」


「美人らしいね」


「まあ、クールビューティーってやつだ」


「なあ、大同。その子に新しく制作するCMの計画案、見てもらったらどうかな?」


羽多野が言って、大同は咥えていた串を落っことしそうになった。


「はああ⁇ なんでっ⁇」


「内部の人間じゃ、ダメってことだよ」


「だからって、」


大同の言葉を遮って、羽多野が言った。


「まあ、ちょっと聞いて。お前んとこのMJはさ、まあお前が代表ってこともあるけどイメージとしては、フットワークの軽さとモチベーションの高さで『情熱』を大事にしてるでしょ」


「まーなー」


「けど、俺んとこ、ハタノパートナーズはさあ、頭脳系ってことから『冷静』なんだよね」


「知ってるっての」


「いくらグループ会社って言ったって、その正反対のイメージ二つを持ち合わせたグループCMなんて、難しいにも程があるでしょ」


「んー、まあな」


「だから、その子にアドバイス貰いたいのよ」


「なんで⁉︎」


「ちょっと、唾飛ばすなよー。お前がさあ、その子の一声で、社運のかかったCM、作り直すの決めたんでしょ。ってことはだよ?」


羽多野が、持っていたジョッキをテーブルの上に置いた。


「特別だよ、その子」


「いやいやいや、違うから。そんなんじゃねえから」


「そう?」


「ただ、顔が好みだっただけで……そうそう、いつものナンパと変わんねえから。それに、顔だけ顔だけ。身体は細過ぎるし、あんま笑わねえし愛嬌が無いっていうか……あれはそういう感情みたいなのが欠落してんな」


「髪型と関係あるのかもよ」


羽多野もどうやら病気じゃないかと思っているらしい。考えることは同じで、行き着くところはそれしかない。


「はああ、なんだろうな」


この胸のもやもや感は。そんな大同を気にもせず、羽多野は押した。


「とにかく、俺も会ってみたい。連絡してよ」


そんな経緯があっての、この今日のアポイントメント。


笑った顔が見たい、という気持ちも後押しして、スマホをタップしていた。


最初、連絡するのを面倒くさがって躊躇していた心がするりと陥落するのも、一度メールを送ってからは早かった。


実は、返事はなかなか来なかった。


警戒されているのかと思い、CMの件で再度、意見を訊きたいんだと、内容をさらに固いものにした。


けれど、いつまで経っても返信は来ない。


大同は、もう一度同じ内容の旨をメールし、ひなたからの返信をひたすら待った。


「なんだよ、無視か」


いや、違う。あんなに礼儀正しいひなたが、既読スルーなどあり得ない、そんな思いが先に立つ。


(……もしかして、病気が悪化、とか)


もやもやとする胸を抱えて、大同はそれから一週間待った。


出したメールのことをすっかり忘れてしまっていた頃、返信が来て驚いた。


『メールを貰っていたのに、返事が遅くなってすみません。まだ誘ってくれる気があるなら、もう一度、誘い直してもらえませんか?』


そして、この今日の約束。


「お待たせしました」


その言葉ではっと顔を上げると、そう言ったのがカフェの店員だったことに気がつく。若葉マークを胸につけている若い女の子が、慣れない手つきでコーヒーフロートとコーヒーを運んできていたのだ。


「ごゆっくり、どうぞ」


ひなたが、運ばれてきたコーヒーフロートに刺さっているストローに口をつけた。


さあ、話そう、けれど、やはり何から始めればいいのか、どう声を掛けていいのか、迷いながら大同もコーヒーに口をつける。


「え、っと……」


言葉をうろうろと探している大同を見て、ひなたはあっけらかんとして言った。


「乳がんです」


「え、」


大同は驚きのあまり、後ろに仰け反った。その拍子に、後ろに座っていた人の、頭に頭突きを食らわせてしまった。


「痛てっ」


「す、すみませんっ」


痛みが走った後頭部を慌てて手で押さえて、後ろを振り返りながら、謝罪する。


後ろでは、年配の男性が同じように頭を押さえていた。


大同は立ち上がって、頭を下げた。


「ごめんなさい。大丈夫でした?」


「ああ、良いよ。大丈夫」


白髪の男性の前には、優しそうな女性が笑いを噛み殺している。奥さんだろうか、口元に手を当てていた手を振って、「この人、石頭だし、大丈夫だから気にしないで。ほら、あなたももっと前に腰掛けて。狭いんだから」


「わかった、わかった」


イスをガガッと前へ引き寄せる。


「まったくもう、自分のことしか考えてないんだから」


老夫婦のやり取りに、胸がほわりと温かくなった。

大同がそんな温かさを抱えて席に戻ると、今度は無表情のひなたが、謝ってくる。


「……驚かせてしまって、ごめんなさい」


「あ、いや、別に大丈夫だから」


大同がそう言うと、「そんなに驚くとは思わなくて」と口元をもにょもにょしながら言う。


無表情と思ったが、どうやら笑いを噛みしめているみたいだ。


大同が手を頭に当てたまま、さする。


「あはは、失敗」


「…………」


口角が上がったり下がったりしているひなたを見て、大同はへらっと笑った。けれど、直ぐに顔を戻し、真剣な表情で訊き直した。


「に、乳がん?」


「はい、悪いところは全部取りました。それから抗がん剤治療で、それでこの髪型に」


「そ、っか」


コーヒーカップを持ち上げた。想像していたものがその通り過ぎて、正直、コーヒーの味すらわからないくらい、動揺した。


「気にしないでください」


はっとして、ひなたを見る。

ひなたは真っ直ぐに大同の目を見た。


「私、ちゃんと生きてますから」


ぎょっとした。


ちゃんと生きてますから。


ひなたの目が、緩やかに優しく、瞬きをする。


そして、その力強さに。大同の心臓は、どっと跳ね上がった。


脈打つ心音が、波のように規則正しく首筋を伝って、頬を上気させていく。


改めて見たひなたの瞳は、淡い色に染まっていくように見えて、そのまま吸い込まれてしまいそうな錯覚を覚える。


「大丈夫。気にしないでください」


もう一度言った、その力強い声に促され、大同は頷いた。


そして、心を決めて、立ち上がった。


「行こう」


大同はカバンを取ると、中から財布を出す。


キョトンとした、ひなたの顔。


「行こう」


もう一度言うと、その顔に薄っすらとした笑みが浮かんだ。


(……もしかしたら結構、笑う子なのかもしれない)


それならやっぱり。もっと、笑うところを見てみたい。


「どこへ?」


その柔らかい返事に大同は満足して、ひなたの手を取った。


「ついておいで」


ぐいっと、手を握って引っ張ると、ひなたが自然に身体を立ち上がらせた。


こんなにも。


人の体温は温かい。


久しぶりに握った体温は、手の中でひとつの温もりとなって、いつまでも大同の中に残った。


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