この世界の、白と黒の狭間に
「……ごちそうさまでした」
箸が二本、きちんと揃えてある。唐揚げに添えられていたキャベツの千切りでさえ、綺麗にさらえられ、皿の上には残っていない。
ご飯茶碗にも米粒一つ、ついていない。
(すっげー、綺麗に食ったなあ)
「おそまつさまでした」
大同はニコッと笑ってから、ウォーターサーバーへ水を取りにいった。グラスに八分目まで水を入れ、二つ手に持つと、席に戻ってから置いた。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
グラスを持って、口をつける。唇に冷たい温度が伝わってから、喉が潤される。唇が水滴で、しっとりと濡れた。
再度、目の前の皿を見る。綺麗になった皿と、揃えられた箸。
(あーあ、気持ちのいい)
大同はそう思うと、自分のずれた箸をそっと指で直した。
「ねえ、今度さ。新しく作り直すCMも見てくれないかな?」
ここからはナンパナンパ、と思いながら、大同はスマホを取り出した。
「連絡先、教えてくれる?」
すると、ひなたは少し考える素振りを見せてから、カバンからスマホを取り出した。
「連絡先は教えますが、CMの件は困ります」
「どうして?」
大同が画面をスライドさせる。
「私の一声で、作り直されても困るので」
真面目な顔でそう言ったのを見て、大同はぷっと吹き出してしまった。
「あはは、それはごめん」
笑いながら、スマホを差し出す。すると、ひなたもスマホを近づけた。
お互いの連絡先の登録が完了すると、ひなたはポチポチと打っている。
「俺の名前、入れてくれた?」
すると、ひなたがスマホをかざして、ずいっと見せてくる。大同が覗き込むと、『代表取締役』とある。
「あははは、これは面白いっ」
大同は腹を抱えて笑い、社食にいた周りの社員を怪訝な顔にした。
「はあああ、腹痛てえ」
「…………」
「君は変わってるねえ」
大同がそう言うと、ひなたが顔を歪ませて、少しだけ笑った。それを見て、気分が上がった大同が、グラスの水を飲む。
「この勢いで訊いちゃうけど、それってウィッグだよね?」
「はい、そうです」
「オシャレだね、可愛い。元の髪型はショートなのかな?」
少しだけでも笑った顔が見れて嬉しくなり、大同は自分が舞い上がるのを抑えられなかった。
ひなたが、無表情に戻った。
すっと、自分の髪に手を伸ばして、ぐいっと掴んだ。
「え、」
社員食堂の。周りにいた人たちの。息を呑む音。驚きの声。
ざわっと、どよめいた空気。
その世界の、白がいきなり黒になったような感覚に、大同は陥った。その衝撃に、大同も知らず知らずのうちに、驚きの声を上げていたのだ。
そして。
目をも、見開いていた。見開いた目で、ひなたを見ていた。
ひなたの頭は。
短く、短く。五分刈りほどで切り揃えられた髪。
高校野球の球児のような、ほぼ坊主に近いものだった。
「ほら、ショートですよ」
そして、ウィッグを元のように手早く被り、髪を手櫛で整えると、カバンを持って立ち上がった。
その無表情が、大同の胸に刺さった。
「今日は本当に、ごちそうさまでした。美味しかったです」
慌てて大同が立ち上がると、「ここで、大丈夫です」
そう言って、ひなたは食堂を後にした。