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曇りガラスのこちら側で

「わああ、綺麗ー」


「CMの子だわ」


「大同さんがお客さんで良かったあ」


「サイン貰える?」


金魚のような煌びやかな女たちに囲まれて、ひなたは相変わらずの無表情で大きめのソファにちょこんと座っている。


「ひなちゃん、確かに俺、よくやってくれたご褒美に、どこにでも連れてってあげるとは言ったけどな」


大同は呆れた顔をしながら、腕を組み直した。


「でも……大同さんにお願いしたら、喜んで連れてってくれるって、鮫島さんが」


「鮫島くんの言うことは聞くんだ」


「そう言うわけじゃ、」


「でもあれ以来、モデル頼まれてやってるんだろ?」


「鮫島さんが、やってくれって言うので、」


「キミは、何でもはいはいって聞きすぎだよ。受け入れ過ぎー」


「…………」


「それにしても、スナックに行ってみたいとかって、なに?」


「…………」


スナックで働く女性たちが、きゃあきゃあ言いながら、ひなたと写真を撮っている。


「だいどーさん、次なに飲みますー?」


甘ったるい声で、身体を擦り寄せてくる女に辟易しながら、大同はじゃあウーロン茶ちょうだい、と応えた。


「えー、今日はどうしたんですかー」


「ノリが悪いですよー」


「ひなちゃんを送っていくから、今日は飲めねえの」


大同が、ピンクのドレスの女から身体を離そうとすると、女は腕を絡ませた。


「ちょっとおー、いつもと態度が全然違うー」


「私たち、だいどーさんのことお待ちしてたんですよ」


「最近、来てくれないからあ」


「それ羽多野に言ってよ。あいつ、俺をこき使ってるから。羽多野にもっと来るように言っとくよ」


女は、身体をくねらせながら、さらに寄ってくる。


「羽多野さんは、真面目ちゃんだからツマンナイの。私、だいどーさんの方が良いー」


女の胸が腕に当たって、大同はうわ、と思い焦った。


いつもなら喜ぶところを、今日はひなたが目の前にいる。


教育上、よろしくないという思いもあったが、いつもこんな風にイチャイチャしていると思われたくないと言う気持ちが勝った。


立ち上がって、カバンを取る。


「ほら、もういいだろ。行くよ」


女の脚をひょいひょいと避けながら、ひなたの腕を取る。


ひなたも引っ張られるのに任せて、立ち上がった。


「うそ、もう帰っちゃうの」


「やだやだ、だいどーさーん」


会計でクレジットカードを出して支払いを済ますと、ひなたの手を握った。強引に引っ張って、外へと出る。


「ごちそーさん、じゃあまた来るよ」


店の外にまで見送りに来たスタッフを帰すと、大同は握っていたひなたの手を離した。


「こんで満足かあ?」


「はい、ありがとうございます」


小さな声。


俯き加減の顔が気になって、その場で立ち止まった。


「なんで、こんなこと」


「おっぱい、見たかったんで」


「え、」


「こういう場所なら、いっぱいあるかなーって」


顔を上げて、ニコッと笑った。


「……ひなちゃん、」


「最初はそう思ってたんです。でも、途中から、やっぱり嫌になっちゃって」


「…………」


「大同さんが帰るって言ってくれて助かりました」


乳がんで乳房を切除したとは聞いている。そのことと関係あるのだろうと思うと、大同は胸が詰まりそうになった。


「それにしても大同さん、見事なモテっぷりでしたね」


「そ、そんなことない、と思う、けど」


掠れた声が大通りを走る車のクラクションに掻き消されて、ひなたには届かなかった。


けれど、ひなたは気にせず、大通りに出て手を上げた。


「ありがとうございます。大同さんには色々貴重な経験をさせてもらって、感謝します」


スピードを落として近づいてきたタクシーがそろりと止まって、ドアを開ける。


「それじゃ、さよなら」


ひなたが乗り込むと、バタンとドアが閉まった。薄暗がりの窓の奥に、ひなたが手を振っているのが見えた。


大同も、手を上げて、少し振った。


胸にもやっとした気持ちがあった。


大同はひなたと自分との間に、ガラスでできた一枚の仕切りでもあるような感覚に陥った。そのガラスはどうやら曇っていて、こちら側ではひなたの姿は覗き込めない。


ひなたが何を考えているのか、何を感じているのかは、その数少ない口数から推し量ることは難しい。


「そのガラスが透明なら、見えるのかも、だけどな」


ひなたを乗せたタクシーは、上手に赤信号をすり抜けて、大通りを真っ直ぐに走っていった。


✳︎✳︎✳︎


「これだよ、これー」


大同は、ニコニコと笑顔で両手を広げた。


「デートってのは、こういう健全なものでなくっちゃ」


郊外に建つ水族館の入り口の前で、大同とひなたは開館する時間を待っていた。


「デート、とはまた違うと思いますけど、」


「ひなちゃん、そこはいいじゃん、デートってことで‼︎」


チケットを持つ大同の手に力が入った。


「……ホストクラブに行きたいとか言われたら、どうしようかと思った」


「ふふ、もう言いませんよ」


ひなたの口元が緩んだのが目に入った。


(あ、……笑った)


大同は、直ぐにそうやって喜んだ自分が少し気恥ずかしくなり、人差し指で自分の鼻を掻いた。


「す、水族館には、前から行きたかったの?」


「はい、普通のこともしてみたいなって思って」


「別に、これからだってじゃんじゃんやれば良いんだからさ」


「そうですね」


握りしめていたチケットを、隣に立つひなたに一枚渡す。入り口でスタッフが開館のスタンバイをし始めたからだ。


渡しながら、大同は何の気なしにという態度で、ひなたに問い掛けた。


「あのさ、俺みたいなおじさんとデートだなんて、彼氏とか怒んない?」


「いませんよ、彼氏なんて」


「でも、モテるだろ?」


「大同さんみたいにはモテませんよ」


ぶっ、と吹き出して、ひなちゃん勘弁してよ、と言う。


(あーあ、またこの展開かあ。チクっと言ってくんなあ)


苦笑いを噛み締めてから、大同は言った。


「俺だって、そんなには……」


「髪が抜け始めた時に別れたんです」


「えっっ」


「お坊さんみたいって言われて」


ひなたは、背負っていたリュックを下ろすと、ジッパーを開けて中をごそごそとさぐりだした。


「向こうも付き合うならもっと女の子っぽい子が良いって。だから、もうダメだなって思って」


「ちょ、それ酷くねえか」


「そうですか? 誰だって、可愛い子の方が良いでしょ」


「そういうのにこだわるヤツもいるだろうけど……」


「うん、でも女の私でも、女の子は可愛い方がいいって思うから。この前のお姉さんたちも柔らかくて優しくて……女の子だなあって」


「そりゃ、あの子たちはそれが仕事だからなあ」


リュックから財布を出す。ガマ口をパクッと開けて中から千円札を二枚出した。


「これ、入場料です」


大同は慌てて、手をあげる。


「いやいや、いいよ。これくらい、俺が出すし」


「……でも、」


「俺が誘ったんだし、もちろん今日のデート代は俺が出すから。おっさんにも花を持たせてくれ」


その大同の物言いに、小さく吹き出したものの、ひなたは顔を歪めた。


「じゃあ、飲み物くらいは出させてください。後で、何か飲みましょう。その時に」


「うん、じゃあそんな感じで」


新鮮な気持ちになった。奢られるのが当然という女としか、大同は付き合ったことがなかったからだ。


(なるほど、どっちかっていうと小梅ちゃん側だなあ。しかし、まだこんな子もいるんだ……本当に、何もかもが違う)


スタッフの、お待たせしましたー、の声が響く。


前に向き直って、リュックを背負い直すひなたの横顔。頭二つ分、背の高い位置から見下ろすと、まばらなまつ毛が少し、生え揃ってきているのが見えた。


CMの撮影の時は、美容部隊のモエが張り切って、つけまつ毛を施していた。


「ちょ、マジで似合う」


モエが鼻息荒く、興奮して言った。


「めっちゃ似合うよー、ひなたちゃんっっ」


側で雑談していた大同が、その声で反応して、ひなたを見る。真っ白のつけまつ毛に、大同が驚きながら、訊いた。


「ナニコレ、白いんだけど。こんなん売ってるんだ」


「ネットで見つけたんですよー。コスプレ的なグッズだと思いますけど」


「モエちゃん、キミ、天才」


「マジですかー」


ころころとよく笑うモエと比べると、ひなたは圧倒的に笑わない。


大同の渾身のネタを、ひなたは意味もわからずにスルーしてしまうこともよくあった。


「笑いどころがわからない時があって……」


ひなたはがそんな自分をつまらない女だと思っていると、カメラマンの鮫島に聞かされたことがあった。


「もっと愛嬌があればイイんですけど、って」


「……そんなこと言ってたんだ」


「じゃあさあ、もっと笑ってごらんよ、ひなたちゃん可愛いから、って言ったんす。でも、なんか上手に笑えないんだって。楽しいとか、嬉しいとかの神経がイカレテるんだって、言うんっす……ってまあ、そんな感じで、とにかく自分は愛想もなくて可愛げがない、の一点張りっすよ」


鮫島が自前のカメラを、くるくると回しながらチェックしているのを、大同は暗い目で見ていた。さらに訊く。


「イカレテるだなんてなあ。そんなことないと思うけどなあ……」


「でしょ? 俺、なんか居たたまれなくなっちゃって。ひなたちゃんはいつもクールにしてるから、少し笑っただけでもこっちはギャップ萌えだから、もっと笑ってみなよ、って言ったんす」


鮫島の話を聞けば聞くほど、胸に暗雲が広がっていくようで、大同の気持ちはますます暗くなった。


俺、イイこと言ったっすよね、と鮫島がドヤ顔で言うのも気に入らず、大同は言い放った。


「なあ、鮫島くん。君はもうひなちゃんにモデル頼むんじゃないよ」


「えー、どうしてですか? ちゃんと俺、ギャラ払ってるし」


「ひなちゃんは一般人だよ。金を渡してモデル頼むなんて、援助交際みたいなことはやめなさいよ」


「それ言ったら大同さんだって同じじゃないっすか……それに本人が良いって言ってるんすから問題ないっすよね。ひなたちゃん、肌綺麗だから今度ヌードでも頼んじゃおっかな」


鮫島の軽いノリに、キレた。ひなたが倒れた時に抱いた、細い身体の感触がオーバラップする。


「おいっ、いい加減にしろっ」


もう少しで、胸ぐらを掴むところだった。握りこぶしに力を入れて、とどまった。


「じょ、冗談ですよ」


「冗談でも言っていいことと悪いことがあるだろう」


声を落として、睨みつけるような声で言う。


「……すみません」


慌てて謝る鮫島だったが、大同はムカつく気持ちを抑えられなかった。そしてそんな自分に自分でも驚いたのだ。


ひなたを茶化されて、ムカつく自分がいることに。ヌードだなんてと、ひなたを汚されたような気さえしたのだ。


「大同さん、列、動きましたよ」


ひなたの声に、はっとする。


鮫島の件は、今思い出すだけでも、吐き気がするほどの嫌悪だった。


「ごめん、考え事してた」


「ここ狭いから、詰めちゃいましょう」


チケットをまだ購入していない人が数人、スタッフに促されて列から離れていくのを見ながら、大同は数歩、前へと進んだ。


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