沖縄の基地移設問題、自分が見たもの。
沖縄の基地問題、辺野古移設に対する反対派の姿、その一部に対する自分が見てしまったものの考えです。
政治的な部分は省かせていただいております。
また本文中の(※)は感想欄より読者の方から指摘を受けた部分で修正したり、後書きに説明を書いています。
ここ数ヶ月、沖縄の話題がよくニュースにとりあげられたように思う。
普天間、辺野古の基地移設問題、米軍機の緊急着陸や訓練など。
そして、前知事の死。
全てをわかるわけではないが、一部は実際に目にする機会があった。それは基地移設に関する問題で、反対を掲げる人々の姿だ。
彼らについて語りたいと思う。
のぼりを持ち、拡声器で声を張り上げる反対派の方々を遠巻きに見ていて率直に思ったのは、必死だな、という言葉だった。
変わるわけがない、止まるわけがないという基地移設の工事に関する自分の考えから浮かんだ言葉でもあり、他人事として見ていたのは事実だ。
反対派の方々については、地元住民はほとんどいない(※1)、金をもらって運動を行っている、そう嘯かれている。
ここに問題を感じたことはない。
実際に沖縄県民以外の基地反対派の方もいらっしゃるが、それが大多数を占めるという資料を自分は目にしていない。あるのは地元である辺野古の住民の声として紹介される不確定要素だけだ。
逆に反対派の方々が県外の人であったとして、そこに何の問題があるのだろうか。
反対の意志があるならば別の町の人間だろうが外国の人間だろうが、その意思を示すのは自由であるべき(※2)だからだ。
噂にあるように給金を受けていようが、それを理由に反対活動に参加していようがそれは構わないと思う。数とは力だ。建設会社や商業グループが後の仕事や生活を考えて選挙に向けて働きかけるのと同じように自分は考えている。
ただ、金を受けているかどうかについては噂と記したように伝聞だけで目の当たりにしてはいないので事実かは分からない。が、そこに不当はないだろうと自分が勝手に考えているだけだ。
問題は別にある。
ニュースや新聞では、反対派の方々が強制排除される部分がよくクローズアップされている。
実力行使や拡声器による注意警告に、彼らは反発した。権力、強制執行に対する県民の声、怒り。そう報道されている。
あるいは、そうなのかも知れない。
この基地移設は普天間という危険度の高い地域を救うための苦肉の策で、前々知事が移設を決めたものだ。
市、県、日本政府、そして米軍との合意により進められたものだ。
しかし、それは前知事によって否定され、更には今あるように辺野古の移設先には自然環境や軟弱地盤などの問題点が多く掲げられている。
自分も報道等を、興味を持ち調べたものが幾つかあるが、ここでは詳細は省きたいと思う。
自分が考える問題点というのは、反対派の方々と地域との摩擦だ。
彼らは多くのメディアで正義として見られるような紹介がされ、強者たる政府に勇気を持ち抗議する弱者として報道されている。
その側面だけが報道されている。
彼らの正義は『辺野古への移設、埋立反対』であり、自らの権利を行使する対等者であり、弱者ではない。
キャンプシュワブのゲート前や埋立材を運ぶ港では、工事に携わる者たちを嘲笑し、あるいは叱責する。
ダンプが走れば妨害をするし、歩行者の権利を主張する。
そこに当事者であるはずの沖縄県民の〝迷惑〟は省みず、なぜか彼らは第三者のように扱われる。
そこにあるのは弱者の姿ではなかった。工事に携わる者たちが失言、あるいは暴力を振るうのを待ちわびる計算高い姿を持ち合わせた、強者の姿があったのだ。
若輩者として言わせてもらうなら、一方的に罵られ我慢せざるを得ない、失言をすればテレビに取り上げられ集中砲火を受ける彼らこそ弱者に見えた。
仕事を受けて現地に来ているのは大手企業と沖縄地元の企業だろう。
そう、そこにいるのは間違いなく沖縄の人だ。ダンプの運転手だってもちろん沖縄の人だ。そんな彼らが同じ沖縄の、あるいは沖縄の未来を案じる別の県民に罵られる姿は心が痛かった。
当然と言うべきか、反対派の方々もその事実を知っている。だから、ダンプの運転手へ「人を殺す工事をしなくても、別の仕事はいっぱいある、そちらを受けるべきだ」と諭す声もあった。
ならばその仕事を回せというのが現実的手段だろう。言葉だけで現実に金を稼がなければならない彼らを諭しているとするなら、それは侮辱だ。
ダンプを止めるためにその前に立ち、あるいは囲み走行を妨害するのは、まだ理解できた。
だが、基地を人殺しの施設と断じてそれの手伝いをしていると沖縄県民を詰る彼らが、走り始めたダンプの前に脇から滑り込んだり、そちらに注視するあまり別工事のダンプにひかれそうになっている場面を、自分は見ることになった。
見たくはなかったが、見てしまった。
彼らは命を語るのに、命を軽視した行動をしている。危険な行為だが、あるいは彼らに言わせれば「ここまで手を尽くさなくてはならないほど追い詰められているのだ」、そう語るのかも知れない。
笑止である。
彼らのその行動を見てしまったとき、自分の中で彼らに対する正義は皆無となった。ダンプを止めるという行為は、そのようなことを行わずとも達成できていた。むしろ、そのような、危険行為ではすぐに強制排除されるため効果は薄い。
あるのならば、実際に轢かれたときだろう。彼らはダンプの運転手を犯罪者にしたいのか。荷を積まなくても十トン近いダンプに轢かれる意味をわかっていないのか。自転車ですら命を失う危険があるのに、それと比べ物にならない重量の機械なのだ。
車の前に飛び出すのは危険だと、誰もがやるべきではないと学ぶはずの行為を彼らはやる。そこに正義を語られても、そんなものはないと断言できる。
ここまで過激な行為に及ぶのは、おそらく一部の人間だ。だが、それを容認しているのは間違いなく反対派の方々だ。
それによって影響を受けるのは工事に携わる人々、つまり沖縄に住まう人々でもあるのだ。
車を止めることで、交通機関がダメージを受けたとき、一番影響が出るのも沖縄の人々だ。
それは工事に無関係な者にも影響を与える。その結果を彼らは度外視している。
以前、実際に反対活動によって止められた車の列で、反対派の方々から手紙を受け取ったことがある。このような行為、不快だろうが沖縄の未来のため、子供たちのためにもご協力下さいとのことだった。
基地移設反対のプラカードを掲げた彼女は、その裏で同じ反対派の方々が子供たちへ顔向けできないような行為をしていると知っているのだろうか。
それを受け取ったとき、彼女には悪いが怒りが浮かんだのは確かだ。お互いに笑って会釈をして終わったが、もしこの時、病院へ急ぐ方がいたら、その女性はどうしていたのか、また、過激派の人々はどうしていたのだろうかと。
基地問題について、あえて政治的部分は省き、自分の視線で自分の見たものについて書かせていただいた。
また自分が見たものを辺野古移設に集中させたため、那覇空港など他の埋立工事の件も省いた。
自分の主観によるものなので否定的な方や、こちらの考えに反対の方もいらっしゃると思う。
ただ吐き出したかったもやもやだが、これだけは自分の考えとして述べたい。
命を軽んじる者に正義はない。
※1感想欄にご指摘をいただきました。
編集前では如何にも沖縄県民の参加者はほとんどいない、という内容になっていたので噂に過ぎないことと訂正しております。
お詫びいたします。ご指摘をくださったかびんさんに感謝いたします。
※2感想欄にご指摘をいただきました。
憲法15条により、参政権は日本国民固有の権利と規定されており外国人の参政権は完全に否定されているとのことです。
意思を示すのは自由であるべきとしていますが、自分が並べて語ったのは辺野古での反対活動参加であり、これは違憲となると説明をいただきました。
自分の無知を晒してしまい申し訳ありません。また、ご指摘くださったtalbotさんに感謝いたします。