2. 女神の思惑
今回の説明は、少し分かりづらいかもしれません。
ここら辺が分からないという部分があれば、できる限りお答えしますので、感想などで書いてくれると嬉しいです。
入った部屋は実に茶色く、質素なものだった。
だいぶ年期が入っているらしい床は、足を動かせばギシリと床から音がする。内装は基本的に木材で統一されており、左右の壁にそれぞれ寄り添うようにベッドが二つ置かれている。ベッドに挟まれる形で部屋の中央にある机の上には、使い古されたランタンがぽつりとあるだけだった。
「それで、一切合切説明してもらおうか」
俺はイスに座り、向かいに腰を下ろした女神にそう切り出す。
「……」
しかし、こちらの問いかけに彼女は応えることなく、どこかを茫洋と眺めているだけだった。彼女が見ている方をちらりと見ていると、そこには何がある様子もない。もしかして亡霊でも見えているのだろうか? まぁ、見えていない俺が気にしていても仕方の無いことか。
「どうした? まさか何も語れないってわけではないだろう」
「……どこから話せばいいんだろ?」
――頭が痛くなった俺を、誰が責められようか。
どうやらこの女神、俺の想像以上にポンコツだったらしい。
「この状況で俺が知っていると思うんなら、お前の知能はそこいらの家畜よりも劣るだろうな」
「家畜じゃない。わたしは女神」
「はいはい、分かったから話を続けろ。というか、説明ぐらいあらかじめ考えておけよ」「むー」
何がむー、だ。
女神を自称するなら、もっと威厳のある態度を見せてほしいものだ。
ただ、そうだな。頭の足りない女神には、さすがに酷だったかもしれない。何しろ世界一つをまるごと説明しろというのだ。この世界に着たばかりの俺が知らなければいけない知識は数え切れないほどあるはずだし、女神自身の抱えている思惑もあるだろう。
「そうだな……じゃあ、まずはこの場所のことを話してくれ」
「この世界……」
その質問に、彼女は考え込む。手を机の上に載せ、顔を下に向けてぴくりともしなくなったその姿は、見ているこちらが心配になるほど機械めいたものだった。
しばらくして、その小さな唇が開かれる。
「ここは、王国アイサールのノヒン。通称、勇者が旅立つ街」
「勇者が旅立つ街……?」
「ここは、かつて勇者が旅立った場所。広場には勇者の像もあったはず」
話を聞いていくと、ここは勇者の故郷と言うわけではないらしい。ただ、冒険者ギルドが発達しており、勇者は数十年前にこの町で冒険者となったという。ここで経験を積んだ勇者がその後に魔王と数日に及ぶ死闘を果たし、同士討ちとなったのはかなり有名な話のようだ。
また、ノヒンはアイサール王国の中でも主要な街の一つだという。アイサール王国には首都の他に五つの大きな街があり、それぞれに特色が見られるという話だ。そのほかにも小さな村々や町はあるらしいが、住人が一定数を超えており、比較的発展しているのはここを含めて五つしかないとのこと。
「他にも大きな国が二つある。一つが交易国のライナエッソ、もう一つが教国のアンシレマ。他にも国はあるけど、この大陸で影響力が強いのはアイサールを加えてその三つ。ライナエッソは中立だけど、アイサールとアンシレマは互いににらみ合ってる状態で――」
それからも大まかな周辺情報を手に入れ、話は彼女の目的についてとなった。
だが、そこで女神は再び押し黙る。
急かさずに言葉が出てくるのを待っていると、やがてぽつりとこういった。
「わたしの目的は英雄になること」
「は?」
「わたしが人間として、英雄になる」
何をとんちんかんなことを言っているんだ、こいつは。
英雄になる? 勇者でも王でもなく英雄に?
訳が分からん。
そもそも、英雄は必要ないんじゃなかったのか。
「この世界には。けど、わたしはならなきゃいけない」
その語調は、これまでの女神にしては非常に強いものだった。
「わたしは今、死と戦いの女神。だけどかつては、勝利と戦いの女神。わたしはそこに戻りたい。戻らなきゃいけない。人の認識は人同士じゃないと変わらないから」
だから人として英雄になりたい、と。
何が女神をそこまで駆りたてるのかは分からない。
だが、こちらを見つめるそのアメジスト色の瞳には、強い強迫観念のような何かが浮かんでいるように思えた。それにしても……。
「ずいぶんと周りくどいものをするものだな」
神としての信仰を取り戻したいのなら、別の方法もあるだろう。
人間をうまく使えばそこまで手間をかけることはないはずだ。何より、英雄になったところで神にまで祀りあげられるのはほんの一握りしかいないだろう。
「人間に神が干渉することは禁止されているから」
「そういうことじゃない。極論ではあるが戦いの女神というなら、それこそ全ての神を退けて自分の世界を作る、とでも言えばいいんじゃないのか?」
「それはダメ」
「何故だ?」
「……皆を傷つけたくない」
雫と落とすようなつぶやきに、俺は大きくため息をつく。
なるべく女神に見せつけるように。
「その頭は砂糖で作られているのか?」
むっと女神の頬が小さく膨らむ。
さっきは言葉に出ていたから分かりやすかったが、表情となるとほんとうに分かりづらいな。
下手をしたら見逃していたかもしれない。
まぁ、そんなことは今から言うことには関係ないのだが。
「禁忌を侵す度胸もない。同類を傷つける覚悟もない。そんなことで英雄になる? 俺は英雄なんてたいそうなものにならないし、なれるとも思っていないが、これだけは言える。甘ったれるな。甘い考えで何かを為そうとしたヤツには、必ずしわ寄せがやってくるぞ」
覚悟があるんだろうな?
そう言って女神を見やると、紫色の宝石と目が合う。女神は、表情が乏しいながらも、その目でしっかりと俺のことを見つめ返していた。
これなら、まぁ大丈夫か。
「だが、個人的にその考えは嫌いじゃない。英雄になるんだったな。面白い、見せてもらおうじゃないか」
「……さっきまでと言ってることが違う」
「気のせいだ。それで、女神サマは俺に何をさせるつもりだ?」
この女神が何を抱えているのかさっぱり検討がつかない。だが、俺を――異世界の人間を呼んだのなら、理由があるはずだ。今はそれだけ知っていればいい。
……後から考えれば、この時に限っては甘い考えをしていたのは俺だったのかもしれない。
いや、少し違うか。だが、油断していたことは確かだ。
次に女神が言った言葉は、俺にとって衝撃的なものだった。
「あなたに、私の物語を作って欲しい」
…………どくん。
心臓が、大きく跳ねる音が聞こえた。
「――――――――それは」
一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
考えることを放棄しかけた意識をどうにかつなぎ止める。
「……ダメ?」
あまり表情の変わらない顔でこちらに問いかける女神に反応もできない。
あぁ。
胸の中に去来する想いに名をつけるなら、何がいいだろうか。
懐古、喜び、興奮……その全てがないまぜになった感情が湯水のようにわき起こる。
――かつて、物語を書いていたことがあった。
物語を書くことは俺の趣味であり、規律や束縛が服を着て歩いているような連中を気にしないでいれる数少ない手段でもあった。
だが、今ではもう半ば諦めていた道だ。
縁あって初めて本を出すことになった時の高揚は今でも忘れない。結局精神的な問題で書けなくなり、二年程度しかあの業界にいることができなかったが、未練が残っていなかったかと問われれば否と言うことなんてできない。
けれど、それは俺の中ではもう終わったはずのできごとだった。
もう一度物語を書いていいのか? あのときその道から背を向けてしまった俺が?
「ぁ……」
「?」
口から勝手に言葉が漏れ出ようとするのをすんでのところで押さえこむ。
俺は何を言おうとしていたのだろうか。
自分自身でさえその答えはわからない。
ひとつ深呼吸をはさんで、口を開く。
「……いや。とりあえず、俺はお前の話を作ればいいんだな? 媒体は?」
「なんでも」
「なら好きにやらせてもらう。だが、お前はそれでいいのか?」
「?」
こてん、と小首をかしげる女神。
「俺がお前の物語を作り上げたとして、残るのは英雄プリスとしての物語だ。現存する女神プリスの話ではない。それでもいいのか?」
その問いに、彼女は迷いなくうなづいた。
なら、俺から言うことはあまりない。俺は左手を差し出す。
こちらの意図に気づいた女神も左手を握ってくる。
……やけに小さい手だな。
「相応の報酬はもらうからな、雇用主サマ」
「もちろん」
ここに、須本颯太とプリスの契約は相成った。
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