1. その死は終わりではなく始まりであった。
この度は、お手数をおかけして申し訳ありません。
少々気になったところがあったので、これまで書いていた部分を加筆修正を加えて再掲という形にさせていただきました。近々続きも出せると思いますので、どうぞこれからもよろしくお願いします。
※12月20日、以前に投稿していたこの話に該当する部分を削除しました。
ある女の話をするとしよう。
その女は無欲だった。
自分の信念以外何も必要とせず、ただまっすぐに前を見続けていた。
その女は自由だった。
何もかもができた。何もかもになれた。
だが、彼女は常に縛られていた。
人の願望(祈り)、人の妄執(想い)、人の傲慢(願い)
その全てによって構築された鎖によって。
それでも彼女は人間を愛していた。
あえて言おう。彼女は女神などではない。
こう言えば杖の一つで殴られるだろうが、だが、それでも俺は撤回してやらない。
彼女は女神ではなく……そう、真に英雄だった。
何。ご託はいい、早く始めろだって?
もう少し語らせて欲しかったが、聴衆が言うなら仕方ない。
では、この一文より語り始めるとしよう。
――これは、後世に語り継がれるための物語。
――一人の不器用な女神が織りなす、新しい神話をどうぞご覧あれ。
俺は死んだ。
それはどのように言い繕おうが、変えようのない事実であることは理解していた。
俺の記憶の中にあるのは誰かに突き飛ばされたような感覚、迫り来る電車、そして身体にかかる今まで体験したことのない強い衝撃。
思い出そうとすればつい先ほどの出来事のように克明かつ詳細に思い出せるその光景は、俺に恐怖心を覚えさせることはなかった。むしろ、どこかテレビに映る興味の無いサスペンスドラマを見ているかのように捉えていた。
誰が押したのかは分からないが、散々恨みを買って生きてきた人生だ。
多すぎて分かりはしない。
……思えば、酷く息苦しい人生だった。
やれ規則に従え、やれ足並みを揃えろ、そんなことに快楽を見い出す連中しか周囲にいなかったが故に。あの両親はきっと俺が死んで清々していることだろう。
――さて、現実逃避はここまでとしよう。思考世界から現在立っている場所に目を移せば、そこはほの暗い世界だった。先は見通せず、足元もどこかおぼつかない。この世界にあるのは俺と目の前の簡素なイスに座る一人の幼女とも取れる年端もいかない少女だった。この空間の関係者だろうか。だとすれば、どれほど陰気な性格をしているのか。
「命を失いし異世界の住人よ。聞こえてますか?」
くすぶる炎のような赤銅色の長髪と、こちらを見つめる一級品のアメジストもかくやの大きな瞳。控えめに言って、俺の人生の中で見たことのないレベルの美人だった。まるで現実世界に住まう人間とは思えないほどに。ただまぁ、美しくはあるが好みというわけではない。そこが非常に残念だ。十年後出直してこい。
俺の胸中など知るべくもない目の前の人物は、さくらんぼのような口を開く。
「わたしはプリス。死と争いを司る神にして、十三の神の末席に座る者。この場所は生と死の狭間。人が決して触れることのできず、しかし必ず訪れる選定の地」
ふむ。ならばここはまだ地獄というわけではないらしい。端的に言うなら魂の選別場、といったところか。先ほどの物言いからして、彼女はこの場の管理人的な存在なのだろう。見た目にはただの幼い少女のようだが、その雰囲気は確かに重々しくもおごそかなものであった。
「貴方が望むなら、貴方に生命の息吹を再び吹き込むこともできるのです。なぜなら私は死と争いを司る神にして、この狭間の管理者であり――」
「断る。それと惚け老人のように何度も同じ事を繰り返すな、鬱陶しい。今時のAIでももう少しウィットに富んだ受け答えをするぞ」
「えっ」
先ほどまでの荘厳な気配は一瞬にしてかき消える。ぽかんと口を開け、目を見開いてこちらを見つめるその姿は、人間の少女と相違ないものだった。
「……生き返れるよ? もう一度楽しい人生を送れるよ?」
声の調子も幼くなっており、こちらを見上げるその様子はますます年頃の少女に見えてくる。何だこれは。お遊戯会にでも巻き込まれたのか、俺は。
「安心しろ。生憎俺は人生を楽しいと思ったことなんて一度もない。これまでがそうであったし、これからそんなことがあったとしても死んでしまった俺には関係の無い話だ。それに、無条件で、というわけでも無いだろう?」
「……」
「無言で目をそらすな自称女神」
そう言ってやれば、女神と名乗った少女はその目尻を持ち上げた。どうやら俺の言葉がお気に召さなかったらしい。といっても、撤回する気はさらさらないが。
「自称じゃない。わたしはれっきとした女神」
幽霊を見たことを信じてもらえないガキか、こいつは。
「そうか。じゃあお前の中ではそうなんだろうな」
「……さっきから何」
「この話し方は性分だ、諦めろ。それとも俺を消すか?」
「……」
女神は押し黙る。彼女が死を操る女神だと言うのなら、俺を消すことなどたやすいだろう。しかし、たかだか一人の人間である俺の身体にナニカが起きることはなかった。慈悲深いのか、それとも何か別の理由があるのか。まぁ、十中八九後者だろうな。
「で、それはいいからさっさと言葉の裏を吐き出せ。ありきたりなライトノベルのように、異世界に行って世界を救えとでも言うか? 特殊な力をやるから魔王を倒せとでも言うのか?」
まさか、そんなよくある大衆小説のような展開が現実に存在するわけあるまい。そうニヒルに笑うが、返ってくる答えは予想に反したものだった。
「……そんな時代遅れなことしない」
「時代遅れ?」
否定でも疑問でもなく、時代遅れ?
「魔王はもう倒された。世界に平穏は訪れた。その世界にきっと、英雄は必要ない」
どうやら、俺の言葉はある種核心をついていたらしい。それっぽいことも言ってみるものだ。ただ、気になるのはどうにもこの自称女神の言葉に含みがあるということ。
「なら、俺は何故こんな陰気な場所にいる。お前の目的は何だ」
「それは――」
「くぅおらぁ、プリス! 何をやっとるか!」
「うおっ!」
俺の質問に女神が答えようとしたとき、それまで夜の路地裏のように薄暗かった空間を轟音と光が襲った。間近で雷が落ちたような衝撃に、思わず目を覆う。
「来て!」
「――っ、な、何を」
顔を覆った腕に、冷たくも柔らかいものが触れた。それが女神の小さな手だと気づいて、思わず動揺する。腕を振り解こうにも、小ささに見合わない力強さで腕を動かすことができなかった。
「わたしは道無き道を往く者、点と点を紡ぐ者! 開け、現世への門よ!」
「ちょ、待て! 俺はまだ何も話を――」
こちらの抗議など聞き届けられる間もなく、俺の意識は雷鳴に飲まれていった。
「う……」
俺が――須本颯太が目を覚ますと、背の低い石壁の建物に囲まれた青空が目に飛び込んできた。雲一つ見えない蒼穹は、寝起きの頭には痛いほど突き刺さる。耳に入ってくるのは人々が行き交う足音と語らう声、そしてジャリジャリと身じろぎする度に聞こえる。そんな感覚意識が覚醒していくにつれて、背中に感じる硬い感触がいっそうはっきりと感じられるようになってきた。不快さとともに、懐かしさが胸に去来する。生活が困窮し、アパートから追い出されて公園で寝た日々を思い出した。
「ここは……?」
身体を起こし、周囲を見る。どうやら俺は狭っ苦しい路地に押し込められているようだ。つい先ほどまでこの世とは思えない空間にいただけに、土の臭いは安心感と現実味を胸に去来させてくれる。だが、この世界自体が俺に安寧を与えてくれるものではないらしい。いや、今更あちらに戻されても落ち着くどころかもう一度自殺を図るレベルなのだが。
路地の先は大通りだろうか、結構な人たちが流れていることが窺えた。彼らの服装は色とりどりではあるが煌びやかとはほど遠いものであり、現代日本ではどこぞの大市場でも見ないようなものだ。
何と言えばいいのか……楽しみを主体としたものではなく、日常的な機能性といったものに重きを置いているように見える。
やはり異世界……なのか?
俺が路地裏の狭い隙間から観察していると、そこに一人の少女が入り込んできた。
炎のような赤いの髪と透き通った紫の瞳を携えたその人物は、さっきまで俺に話しかけていた自称女神だった。服装はさきほど観察していた人間たちと大差ない。装飾品の少ない、動きやすそうな服装だ。もっと着飾れば映えそうなものだが、と思うのは野暮だろう。
『やっと見つけた……大丈夫?』
その声に一瞬疑問符を浮かべて、すぐに思いつく。おそらく、彼女の発した言葉がこの地域の言語なのだろう。
「俺を心配しているのは何となく分かった。それなら俺が分かる言語で話す程度の気遣いは見せて欲しいのだが」
「……そういえばそうだった」
こちらの皮肉に、しまったと言わんばかりに口を開ける女神を名乗った少女。先ほどから思っていたが、やけに人間くさい神だ。神というものは、こう、人間とは一つ違う次元で存在しており、こちらの理解の及ばない理屈で動いているものだと考えていたのだが。
「――お前、本当に神か?」
だから、こんな言葉が口から飛び出したとしても俺自身は何ら驚きがなかった。
「私は神。女神プリス」
からかわれていると思ったのだろうか、頬を膨らませてそう言うプリスは、端から見れば自分より年下の少女にしか見えない。
「それならもっと相応の姿になるんだな。今のお前ではどう転んでも神などではなく、何も持たない無垢な少女にしか見えないだろうよ」
『――ウォルンタース』
彼女が俺の知らない言語をつぶやけば、その手には象牙色の錫杖が現れる。自称女神の身長よりも頭一つ大きいそれは、素人目に見ても神々しいものだった。自分のことを女神だと名乗った持ち主よりも。
「おっと、気にしていたか? だが謝るつもりはない。俺は目に見えていることをそのまま口にしているだけだ。よかったな、自分の姿を他者の視点から知ることができ――」
「んっ!」
むっつり顔の女神がその錫杖で地面を叩けば、とたんに妙な寒気が俺を包み込んだ。冬のような冷たさではなく、自分ではとても太刀打ちできない存在を目の前にした時のような、そんな感覚。目の前の感覚から逃げるように目を閉じると、大きな骸骨の手に掴まれているような錯覚を覚える。
どうやら俺は言い過ぎたらしい。今のは制裁のようなものか。全く、話し出すと止まらないのは俺の悪い癖だ。もう今更直そうとも思わないが。
「頭は冷えた?」
「あぁ、寒いぐらいにな」
「ついてきて。説明は後で」
「……分かったからそれを戻せ」
「ん」
女神が手に力を込めれば、錫杖は光の粒子となって消え去っていく。そして、通りの方へと踵を返した。彼女に着いて路地から出ると、燦々と降り注ぐ太陽の下、様々な人種が営みを作っていた。先ほどは気づかなかったが、エルフのように耳が長い人間や、獣の耳や尻尾を生やした人間もちらほらといる。何というか……実際に見ると違和感しか感じないな。
『今日も良いもの入ってるよ~。イトアから入った新鮮な果物だ! 足が速いからさっさと持ってきな!』
『冒険者の皆さん、ただいまラトシュリア武具店では新人さん御用達セットを販売中です! ギルドお墨付きの堅実な一品ですよ!』
『愛をささやきたいそこの貴方、日頃の感謝を伝えたいそこの貴方、可憐な花はいかがですか?』
露天商がそれぞれ声を張り上げて何かしら言っているが、俺の頭にはとんと入ってこない。……前情報一切なしで外国へ旅したのなら、きっとこういうことになったんだろうな」
あっちで生きている分には生涯縁がなかった。いつか行きたいとも考えていたが、そんな時間も金銭も無かった俺には実質無縁の話だった。それがこんなカタチで叶うなんてな……人生、何が起こるか分からないとはよく言ったものだ。
そういうことに関しては、このちっこい女神に礼を言ってもいいかもしれない。
件の女神は、俺の数歩前をすたすたと歩いている。周囲に目をやっている様子はない。その足取りはやけに手慣れたものだった。というか言われるままについてきたが、この女神は一体どこに向かっているのだろうか。
近づいて尋ねてみれば、返ってきたのは簡素な答えだった。
「そこ。宿が取れる」
彼女が指さした先は、大きな一軒家。何かの店だろうか、人が出入りしている姿が見て取れる。近づいていけば、空腹を誘うアルコールの臭いも。臆さず中に入る女神の後に続けば、中は食堂兼酒場といった様子で、様々な年齢層の人間が飲み食いと会話を楽しんでいた。彼らはどんな会話をしているのだろうか。俺が見てきた世界とは全く違う場所で生きている彼らは、どんなことで笑っているのだろうか。今の俺には話が分からないのが非常に残念だ。
彼らには目もくれず、女神は奥のカウンターに向かって肉付きの良いご婦人に声をかける。彼女は中華鍋に似た調理器具で肉や野菜を炒めている手を止めずに、目だけをこちらに向けてきた。
『部屋が欲しい』
『何泊だい?』
『これで泊まれるだけ。二人』
『五日だね。連れ合いってのは、そっちの男かい? 部屋は分けた方がいいかい?』
『大丈夫』
『なら十日だ。あんまり騒がしくするんじゃないよ。おーい、エファ。二階の奥の鍵を持ってきな!』
ご婦人は店の奥へとなにやら声をかける。すると、奥から半袖シャツと短パンといった動きやすそうな服装に身を包んだ少女がやってきた。見方によれば大人びた中学生ぐらいの見た目である女神よりもさらに少し幼いぐらいの子。その頭に犬のような耳がついている事以外、いたって普通の少女だった。どうやら鍵を持ってきたらしい。
『ほら、鍵さね。なくすんじゃないよ』
『分かった』
……それにしても、肉が焼ける香ばしい臭いはたまらない。ジュウジュウと油が弾ける音も相まって、今にも腹の虫が鳴き出しそうだ。というか、鳴った。じろりとご婦人に睨まれる。鍵を持ってきた少女も、少し驚いた様子で目を見開いていた。何だ、悪いか。
それから俺が心の中で開き直っている間に女神とご婦人は二、三言話したかと思えば、婦人は料理に戻っていった。どうやら交渉は終わったらしい。
「こっち」
女神はそれだけ言ってカウンターの脇にある階段に足をかけた。
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