六頁 決着
キィン! ガキィン!
激しく剣のぶつかり合う音が鳴るたび、決闘会場は大きな歓声に包まれる。
レイの凄まじくも美しい剣術に誰もが見とれ、そして興奮した。初めて訪れた観客はもとより、剣術においては目が肥えている〈渓谷街〉の住民たちでさえも、その剣捌きには驚きの声を上げずにはいられなかった。
幾度となく突き放たれるランの二本の剣は、レイの盾にぶつかる瞬間まるで流れるように虚空へと導かれ、その一瞬の間にレイの剣が舞うように無数の斬撃を放つ。ランは何とか防御するが、実力の差は明らかだった。
「くそっ! なんで突きが当たらない…!? あぁあああ…!!」
苛立つランの言葉には反応せず、レイはじっとランを見据えたまま剣を振るう。いや、彼が本当にランを見つめているのどうかは定かではなかった。レイの瞳にはただならぬ気配が宿っており、そこから発せられるひたすらに研ぎ澄まされた集中力だけが、ランの心中に焦りの感情を広げさせていた。
「凄まじい集中力じゃ…」
「レイ…いつの間にこんな実力を…?」
指南役のカイルですら、見たことのないレイの様子に驚きを隠せないようだった。
「カイル。あやつに“受け流し”を教えたか?」
受け流し。騎士の剣術で最も難度が高いと言われる防御手段である。刃を受け止める瞬間、斬撃の力がかかる方向へと自らの刃をわずかに傾け威力を逃がしてやることで、相手の攻撃をそらす方法だ。攻撃を完全に受け止めるわけではなく、武器を振る際の相手の力をほとんど削ぐことなく流すため、相手はまるで攻撃が通ったかのように武器を振りぬいてしまう。そこに生じた隙を突いて攻撃を与えてることが出来るので、受け流しは騎士の剣術で最も堅い守りであると同時に最強の攻撃手段でもあった。
レイはそれを左腕に装備した盾でやってのけていた。一矢の剣花の突きがことごとくかわされるのはレイの盾に受け流されていたからだった。もちろん受け流しの技術や剣術への組み込み方は養成所の鍛錬にも組み込まれていたが、カイルは驚きを隠せなかった。
「はい…。確かに教えはしましたが、見習いへの受け流し指南は座学だけです。なにしろ難易度が高すぎるゆえ…」
「となると、結局あれも自己流ということか…。剣ではなく盾でやっているところを見ると、さすがに剣ではできなかったようじゃな。…とはいえ、盾での受け流しも並大抵の者では出来るもんではないがの」
「えぇ…。指南書を読むのは苦手だと、あれほど言っていたのに…」
まるで盾の表面を滑るようにかわされる剣を見て、ようやくランも正体が分かったようだ。
(受け流し…!? 俺の突きを受け流しているのか!? 盾なんて聞いたことないぞ!)
完璧なレイの防御の前にランの動きは次第に乱れてきて、剣筋も精彩を欠き始めた。一矢の剣花の弱点、体力を大きく削られてしまう欠点がが表れたのだ。焦ったランは斬撃の流れを上手くつなげれらないまま、二本の剣を突き出した。今までほどの勢いはなく、それぞれの刀身もずれている。
レイはこの機を逃さなかった。始めの突きを盾で受け流すように見せかけて、上へと叩き上げた。
「そこだっ…!!」
レイの剣が力強く振り払われる。それを防ごうと構えられたランの右手の剣は、ついに耐え切れず軽い金属音とともに弾き飛ばされた。客席から大きな歓声が上がる。先程とは打って変わって、会場の声援もレイに味方していた。
「しまった…!?」
くるくると回転しながら弧を描いた剣が、決闘場の地面に突き刺さる。それを見届ける間もなく、レイはすぐに次の攻撃へと刃を流れに乗せていた。
ランの剣を飛ばした斬撃で上方へと上げられた剣は勢いを落とすことなく、まるで円を描くようにそのまま振り下ろされる。ランは左手の剣だけとなりながらもなんとか防御している。右腕を体の後ろにぴったりとくっつけ剣を握り手のぎりぎりまで短く持つ。騎士の剣術〈一刃の型〉片翼の構えをとっている様子を見ると、まだあきらめてはいないようだ。だが、ランがどのような剣術を使おうとレイは意に介さなかった。受け流しによる防御と激流のような流れの剣戟。文字通り型破りなレイの剣術は、既存の剣術にはない順応性を秘めていた。
振り下ろされた剣は次の斬撃に移ると見せかけて、同じ軌道を戻るように逆手に振り上げられた。構えられた剣の刃に、柄頭が正確に叩きつけられる。予想も出来ない攻撃に左腕が弾かれると、無防備になった胴へと盾が叩きつけられた。仰向けに倒れ込むラン。レイは迷わず剣を振り下ろした。
決着が着く…! 誰もがそう思った瞬間だった。
「…負けるかぁあああっ!」
倒れ込みながらもランは必死に左足を大きく上げると、レイの右手を蹴り上げた。思わず開いてしまった拳をすり抜け、レイの手を離れた剣は勢いよく上空へと飛ばされる。
「勝のは俺だぁぁあああああ!!!」
上体を起こすと、ランはレイ目がけて勢いよく剣を振った。
決まった…!
しかし、その一撃がレイに当たることはなかった。
目の前にあったはずのレイの体は消え、剣は空を裂く。驚いて見上げたランの瞳に移ったのは、大きく上へと跳躍するレイの姿だった。宙を舞う青銅製の剣を逆手で掴み取ったレイは、落下しながらその剣を振るった。
一閃。
陽の光に煌めいた刃が、ランの剣を吹き飛ばす。真上から迫りくる剣の切っ先に、ランは思わず目を瞑った。
ジャキィィィィンン!!
響き渡った剣の音に、思わず息を呑む観衆たち。誰もが目を見開き、決闘場の中央を見つめている。
大粒の汗を額に浮かべ、息を荒げながらも恐る恐る目を開いたランは、体を震わせながら首を傾けた。レイの剣はランの頬のすぐ横を掠め、地面へと突き刺さっていた。
言葉を失っていた審判が、静かに口を開く。
「し、勝負…あり…」
興奮に言葉を震わせながらも、大きく声を張り上げる。
「し、勝者は、東…! 今年の決闘試合…優勝者は…! 我流のレイっっ!!!!」
審判が言い終わるか終わらないか、大陸中に響くのではないかというほどの凄まじい歓声が巻き起こった。
観客たちは残らず立ち上がり、近くの者たちと肩を組んで叫び声を上げている。
鳴りやまない拍手と歓声の中、大きく息を吐いたレイはゆっくりと立ち上がった。地面に深々と突き刺さった剣を引き抜き大きく一振りすると、鞘に納めて、ランの目の前に右手を差し出した。
「立てる? ラン」
微笑むレイに、ランは憎たらしそうな目を向けて言い放った。
「…ふざけるな。誰のせいだと思ってる…!」
「腹は大丈夫? つい手加減できなくてさ」
「…馬鹿にしやがって!」
すると、その言葉にレイは突然笑い出した。腹を抱えて笑い声をあげるレイに、観客たちも驚いたように静かになる。
「何が可笑しい!?」
「ごめんごめん。…ラン、君が相手だったんだ。手加減出来るわけないだろ?」
思いもよらぬ言葉に大きく目を見開いたラン。大きくため息をつくと、口を開いた。
「お前は…」
何かを言おうとしたランだったが、すぐに口を閉じると首を横に振った。代わりに右手をぶっきらぼうに突き出してレイの右手を握る。レイに引っ張れて立ち上がったランは、わずかに口角を上げていつもの気障な笑みを浮かべると言った。
「…次に勝つのは俺だ。覚悟しておけよ」
「いつでも受けて立つ。…それまでには、二刀流の指南書をきちんと読んでおくことにするよ」
「全く…」
呆れたように笑うようにラン。その表情には皮肉めいたような嫌な感じはなく、どこか清々しいような雰囲気があった。
二人の様子を見た観客席から再び大きな拍手と歓声と起こる。固い握手を交わす二人に審判が近づいて言葉をかけた。
「二人とも、素晴らしい戦いをありがとう! 今ここに! 新たな友情が生まれました!」
そう言うと二人の腕を掴んで、上へと高く掲げた。晴れやかな笑みを浮かべるレイ。勝てた。優勝できた。僕だけの剣術で。
隣をちらりと見やると、ランはむすっとした表情になりながらも照れくさそうにうつむいていた。
「ではこれより、表彰式へと移ります! 素晴らしい決闘を見せてくれた二人の騎士は、前へ!」
二人が姿勢を正して並ぶと、喇叭の音が鳴り響き東西の入り口から衛兵隊が歩いてきた。後ろには決闘試合に出場した騎士見習いたちがついている。
それぞれの班の見習いたちはレイとランの後ろに整列した。
「レイ! 凄かったよ」
「本当、痺れたよ!」
「信じてたぜ!」
「ありがとな」
小声で囁く仲間たちに振り向いて笑顔で答える。
「…ランも。さすがだよ」
「もう少しだったけどな」
「見直したぜ」
「…うるさい」
相変わらずだな、と笑みを浮かべる騎士見習いたち。両端の衛兵が旗を掲げツギノが二人の前へと歩いてくると、姿勢を正した。
「では、表彰式を始める。まずは準優勝のラン、前へ」
ランが一歩踏み出すと、控えていた屈強な騎士がツギノのもとへと向かった。もう一人の衛兵隊長であり、西の班の指南役だったオヅカだ。その手には騎士団の紋章が刻まれた小さな盾がある。ランはツギノの前へと赴くと、片膝を地面につけてひざまずいた。
「ランよ。騎士見習いの鑑として、美しい二刀流の型であった。準優勝の功績を称え、銀の盾を与える。これからも励むがよい」
オヅカから受け取った盾をツギノが高く掲げ、ランへと差し出した。頭を垂れて両手を挙げたランが盾を受け取ると観客席から拍手が送られる。立ち上がったランが列へと戻ると、ツギノは少しばかり声を大きくして言った。
「そして、優勝者のレイ。ここへ」
レイが歩き出すと、観客はそれだけで歓声を上げる。レイがひざまづくと、カイルがツギノのもとへと近寄った。大きな黄金の杯を持っている。毎年優勝者に授けられるその杯は強さの証であり、騎士見習いたちの憧れの的であった。
頭を垂れたレイにツギノは言った。
「頭を上げよ」
驚いて顔を上げたレイにツギノはにっと笑うと、声を張り上げた。
「レイよ! 自ら編み出したというその剣術、真に天晴れなものであった。これからもその研ぎ澄まされた剣を鍛え、大陸を守る騎士として成長することを我らは願っておる。優勝の功績を称え、そなたに黄金の杯を授ける! よくやった!」
レイが両手で杯を受け取ると、二人の衛兵が大きな桐箱を持ってやってきた。ツギノが蓋を開けると、中から一振りの剣が現れた。刀身には一点の曇りもなく綺麗な光沢を放っている。握り手には青く染められた上質の革が丁寧に巻かれており、鍔にはまった小さな青い宝石を包むように金細工の装飾があしらわれていた。思わず見とれてしまったレイの目の前に、ツギノはその剣を差し出した。
「この剣は上質の鋼を鍛冶屋街一の名匠が鍛えた逸品。騎士見習いの頂点に立った、お前にこそ相応しい。受け取りなさい」
レイは慌てて黄金の杯を脇に抱えると、剣を受け取った。ずっしりと重い刀身からは、今まで使っていた青銅製の剣とは比べようもない切れ味と高価さを感じられる。
惚れ惚れと見つめるレイに、ツギノが小声で言った。
「ほれ、さっきの格好いい奴もう一度見せてくれんか。観客たちも待っておるぞ」
「さっきの?」
「あれじゃよ! 剣を高く掲げるやつ」
戸惑いつつもレイは右手で剣を握った。重みでバランスを崩さないようにしっかりと構えると、力強く天に向かって突き上げた。
巻き起こる歓声を聞いて満足げに頷くツギノはレイの耳元でそっと囁いた。
「お主の剣術、今度わしにも教えてくれんか? もちろん皆には内緒での」
「えぇ!?」
驚いたレイにツギノはそっと片目をつむると言った。
「人生死ぬまで勉強じゃからの。ほっほっほっ」
いたずらっぽい笑顔を浮かべるツギノ。困ったレイがきょろきょろと周りを見回すとカイルと目が合った。カイルはよくやったという表情で頷いた。
照れくさそうに微笑むレイが剣を下ろすと、ツギノは観客席へと向き直り声を張り上げた。
「皆さま、素晴らしい戦いを見せてくれた若き騎士たちに今一度大きな拍手を!」
客席を立った観衆たちから、整列する騎士たちに鳴りやむことない拍手が送られる。
ツギノは続いて声を上げた。
「これにて王立騎士団養成所・決闘試合を終わります。…ここからは祭りの時間。それでは〈渓谷街〉を代表して。…皆さん、良い一日を!!」
皆が飛び上がり、〈渓谷街〉は祭りの始まりを盛大に迎えた。
決闘場の中央では、ツギノやカイル、オギノたちに見守られながら騎士見習いたちが集まってレイの優勝を祝っていた。
「胴上げ! 胴上げしよう!」
「お! いいねそれ!」
「え!? ちょっと待って!」
戸惑うレイにはお構いなしに、衛兵も混ざって見習いたちがレイを担ぎ上げた。
「せーのっ!!」
「ちょっ…! 剣! 剣持ってるんだって!!」
鋼の剣を落とさないようにしっかり抱えながら、レイの体は何度も宙を舞った。胴上げされながらレイはなんとか客席の方を見回した。ようやく特別席から身を乗り出していたマレナとシスカの姿を見つけると、精一杯手を振った。
マレナは何度も飛び跳ねながら何かを叫んで喜んでいる。シスカも誇らしそうな笑顔で大きく手を振っていた。ほっとしたレイは叫びたくなるほど湧き上がる喜びを抑えきれず、大きな声を上げた。
「もう! もういいよ! 下してー!?」
こうして王立騎士養成所・決闘試合は、レイの優勝で幕を閉じた。
〈渓谷街〉には、祭りの始まりを祝う人々の笑い声があふれかえっていた。