二頁 好敵手
騎士養成所は〈渓谷街〉の中心に位置する、最も大きな建物だ。
白塗りの壁に青い屋根、特殊に加工された銀細工による装飾が各所に施されたその建物は高い壁と巨大な鉄格子の門で囲まれて、関係者以外は立ち入ることはできない。普段は厳かな雰囲気を纏っている養成所も、一般開放される今日“騎士祭”とあって、多くの人々が集まっていた。
「すごい数だ…」
決闘試合の一般開放が始まって四年。見物客の数は年を追うごとに増えており、“騎士祭”の規模もそれに合わせてどんどん大きくなっている。今年のそれは去年とは比較にならないほどだった。
「騎士とは、いわば国を守る剣。養成所は剣を鍛える鍛冶場のようなものだ。鍛え方が職人によって違うように、騎士の育成も国によって違う。…このように鍛え上げた剣を掲げることで、戦の抑止力としているのだろうな」
「抑止力か…」
もともと騎士は王国の要人たちを警護する目的に組織されたもので、軍隊の中から選抜された一部の優秀な兵士のことだった。しかし、四つの大陸の間に大きな戦争は久しく起きていないため、軍隊は廃止。兵士たちの目的を「大陸の守護」と改め、今の騎士の形が出来たとレイは養成所で習っていた。
「だが、戦争なんて言っても最後に起きたのは百年前。最後の戦争の後、四つの大陸の間に結ばれた同盟で戦争は禁止された。名前は覚えているな?」
「確か…〈四陸王同盟〉ですよね」
「そうだ。しっかり覚えているようだな」
そんな話をしているうちに、二人は養成所の前に着いていた。
「それにしても今年はすごい数だな…」
と、養成所の巨大な正門を見上げていた人の何人かが二人に気づいた。
カイルとレイが腰に装備している剣に気づいたようだ。
「もしかして、養成所の騎士の方ですか!?」
「え?」
「あの剣、絶対そうだよ!」
「かっこいいなぁ」
耳ざとくその声を聞いた他の見物人も集まり、あっという間に二人は囲まれてしまった。
「握手してください!」
「騎士の剣術ってやつ見せてくれよ!」
「兄ちゃん試合に出るのか?」
「い、いや…カイルさん!?」
「お、俺を頼るな! 通してくれ、あんたらの相手をしてる暇はないんだ!」
二人が困り果てていると、騒ぎに気づいた門の衛兵がすぐに走って来た。
「ほらほら、どいてください! 決闘試合は昼からですから。大事な騎士見習いに怪我させる気ですか?」
手にした長槍をさりげなく見せつけながら、衛兵は人込みを分けていく。
「レイ、今のうちに」
「そうですね」
衛兵が相手をしているうちに二人は養成所へと駆け込んだ。二人の後ろで巨大な門が閉まる。
門を閉めた衛兵が二人に駆け寄った。
「二人とも無事ですか」
「あぁ、タキじゃないか。助かった」
二人を助けたのは顔なじみの衛兵、タキだった。
「レイも平気かい?」
「あぁ、おかげさまで」
「それなら良かった。優勝候補が怪我でもしたら大変だからな。ね、隊長」
「まぁ、な」
カイルは騎士見習いの指南役とともに、養成所衛兵隊の隊長も務めている。タキはカイルの隊の所属だった。
「今年は旅行客が多いから。その分、礼儀がなってない人も多いみたいで」
「全くだ。だがまぁ、今日は祭りだ。多めに見てやってくれ」
「分かってますよ。レイ、期待してるぜ。俺も見に行くから」
「タキさん、仕事じゃないの?」
「新入りに変わってもらったんだ。かわいい後輩の晴れ舞台だからな」
「うわー、かわいそう」
カイルはやれやれといった表情でため息をついた。
「タキ、今日中に倉庫の鎧を全て磨いておくように」
「えぇ!? いいじゃないですか、少しくらい!」
「命令だ」
「そんなー…」
いつもの光景を目にして、レイは少し気分が和らいだ。対戦相手の話や門前の観光客を見ると試合が迫っていることを痛感した。自分でも気づかないうちに緊張していたのだ。
「はぁ…。レイ、負けたら承知しないからな…」
「分かってるよ。大丈夫」
落ち込むタキを置いて、カイルとレイは養成所の中へと歩き出した。
決闘試合が始まるのは昼。出場する騎士見習いは、それまで養成所の中で過ごすと決められている。普段は鍛錬が始まる時間だが、本戦が行われる“騎士祭”である今日は自由時間となっていた。
「それじゃあな、レイ。俺は準備があるから稽古には付き合えないが、少しは体を温めておけよ」
「分かってます」
「今更指南書を呼んでおけとは言わないが…、何か対策はあるのか?」
「僕なりに考えてますよ。とりあえず、本番まで秘密で」
「…お前がそう言うんなら、信じるとするか。とにかく、本番前に無理だけはするな」
「はい」
試合まではまだ二時間ほどある。カイルと別れたレイは稽古場へと向かった。
いつも通りやれば必ず勝てる。そう思って、いつもの鍛錬と同じように剣術の型を復習しておこうと思ったのだ。
稽古場は養成所の東側にある建物だった。中はとても天井が高くなっており、壁の大半が玻璃の窓になっている。床は木の板張りだが、中央には砂利が敷かれていて実戦同様の環境で稽古が出来るようになっていた。
今日は天気がいいため、陽の光が存分に差し込んで暖かい。扉を開けるとまだ誰もおらず、中はがらんとしていた。
壁際に設けられた棚に荷物を置くと中から稽古用の靴を取り出した。足先に薄い金属が仕込まれたもので、爪先を守ってくれる。靴を履き替えると剣と盾を持ち、砂利の上に立った。
「いつも通りやれば、大丈夫さ」
大きく深呼吸すると腰の剣を抜いた。左手に装備した盾を脇腹の横に添え、剣を前方に構える。
騎士の剣術〈剣闘の型〉開戦の構えだ。
「…はっ!」
掛け声とともに勢いよく剣を振り上げる。勢いをそのまま籠手を狙って振り下ろし、返す刃で胴を狙っての斜め切りを繰り出す。高く上がった剣に体重を込めて、面に向かって一文字に切り裂く。
養成所で習った剣術をレイが少し工夫したものだ。養成所で習う騎士の剣術は、人前で披露する礼儀を重んじる性質のためか一振り一振りが大きく、隙も多い。それを補うために少しずつ変化させたのだ。流れを殺さず、なるべく型も崩さないように(けれどこの点はあまりうまくいかなかった)攻撃面を尖らせたこの剣術で、レイは決闘試合の予選を次々と勝ち上がってきた。
型通りにやるとおろそかになる防御面を、盾を攻撃手段に変化させることで補う。剣を振りぬいた直後にがら空きとなる胴体を守るため、盾を装備した左腕を肘鉄の要領で相手に打ち込む。戻す剣を盾の下から左腕に添わせるように突き出し、死角から敵の胴を狙うという搦め手も組み込んだ。
一連の流れを終えると、レイは剣を納めた。
「ふぅ」
この型は体に叩き込んである。誰にも真似できないものだとレイ自身も自慢だった。けれど、問題もある。
「今日の相手はランなんだよな」
今の剣術は予選試合で散々披露している。レイは対策を練ってきた相手にも難なく勝利してきたが、今回の対戦相手は一味違う。
「俺を呼んだかい?」
驚いて振り返ると、稽古場の入り口に一人の騎士見習いの姿があった。金色の長髪を片手でかきあげる気障な仕草をするのは、騎士見習いでも彼しかいない。
「…覗き見とはいい趣味じゃないね、ラン」
「人聞き悪いな。君こそ俺の陰口でも言っていたんじゃないのかい」
ふっ、と笑うとランは稽古場に入って来た。取り巻きを連れている。いつもランの後ろについている二人組だ。
「朝早くから精が出るね。どうだい? 俺には勝てそうか?」
「さぁね。やってみなきゃ分からない」
レイがそう返すと、二人の取り巻きがクスクスと笑った。
ランは続ける。
「悪いけど、今日の試合は俺が勝つよ、前みたいにね。特製の剣は貰ったよ」
「そうか、君はあんな勝ち方でも満足するんだ」
その言い方に苛ついたのか、ランの声は少し大きくなった。
「判定勝利でも勝ちは勝ちだ。俺はお前に勝ったんだ」
「一度だけね。それ以外は全部引き分けだ」
ランの顔色が変わる。
「黙れ! まともに型も守れないような見習いに俺が負けるものか!」
「さっき言ったでしょ。やってみなきゃ分からない」
「お前…!」
血相を変えた取り巻き二人が慌ててランを引き留める。なんとか押しとどまったランにレイは言った。
「それより、君たちの稽古場は西でしょ。オヅカ隊長が見たら怒るんじゃない?」
「舐めやがって…!」
この養成所には稽古場が二つある。決闘試合の期間になると、騎士見習いは二つの班に分けられてそれぞれの順位を決める。そして二つの班の同じ順位の見習い同士が戦って、総合順位を決めるのだ。二つの班にはそれぞれ別の指南役がつき、稽古場も分けられる。ランはもう一人の指南役、オヅカの班だった。
「ラン、これ以上はやめとけよ…」
「そうだオヅカ隊長に見つかったら!」
「分かっているよ…! レイ! お前の自己流の剣術なんかすぐに潰してやる。試合まで指南書でも読んでおくことだな!」
ランは扉を叩きつけるようにして閉めると、稽古場から去っていった。二人組が慌てたように追いかける。
「はぁ…。集中切れちゃったよ」
騎士の型の中でも使い手が少ない二刀流を操るランは、持ち前の感覚の良さと二刀流の複雑さで屈指の実力を持つ一人だった。性格に難はあるが、剣術の腕は確かだ。レイとの実力は互角で、稽古では二人の決着がつくことは一度もなかったのだ。それが数か月前の模擬試合の際、ついにランは審議となった試合で判定勝利となり、レイは一敗を期していた。
「でも、“とっておき”を練習してなくてよかったな…。あいつに見られちゃ意味なくなっちゃうしね」
ランの実力は自分と互角。いや、彼の方が僅かに上かもしれない。指南書もほとんど読んでいない自分に対して、相手は型通りの剣術に加えレイの剣にも対策をしているはずだ。だが、ここで負けるわけにはいかない。そのために温めてきた秘策が彼にはあった。
「カイルさんとも約束したんだ。僕は僕の剣で勝つ!」
稽古場の外に邪魔者がいないことを確認すると、レイは再び稽古場に立った。