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タイムトラベルの終わり  作者: 毎留
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特殊相対性理論とタイムパラドックス

「まずはタイムパラドックスについて説明しましょう」

 近くのカフェに入り、コーヒーを注文したところで園村さんが話し始めた。

「具体的な例として、親殺しのパラドックスがあります。もしタイムトラベラーが過去に戻り、自分が生まれる以前の母親を殺してしまったらどうなるか? 母親を殺してしまうと自分も生まれてこないことになり、過去に戻って母親を殺すことも不可能になる。そうすると母親は生き残り、自分を生む。この問題をどう説明するかということです」

 うん、それなら有名な話だ。知っている人も多いだろう。

「でも実はこれ、単なる考察不足なんですよ。このパラドックスについて考える際、時間は何次元かということから考える必要があります」

意外な問題提起に、僕は少し困惑しながら園村さんの説明を待った。

「時間は一次元なのか、複数次元なのか。これによって話が変わってきます。まずは時間が一次元だった場合。時間は一本の糸のようなものであり、そこにはたった一つの歴史しかありません。だから過去に戻って母親を殺そうとしてもその試みはすべて失敗し、結局母親が自分を生むというたった一つの歴史しか存在しません。歴史の改変はどうやっても不可能であり、何もパラドックスは起きません」

 ふーん、そういうものか。

「そして時間が複数次元であった場合。時間は上流から下流、つまり過去から未来へと流れる方向以外に、深さや横幅を持った三次元の川のようなものだとイメージしてください。この川の中には一次元の軌跡が無数にあり、その中にある軌跡のひとつが私たちの知っている歴史です。その他はすべて私たちの知らない別の歴史であり、過去のある時点で別の可能性を歩んで枝分かれしたパラレルワールドなのです。この時、親殺しのパラドックスはこう説明することができます」

 園村さんは持っていた紙に1本の線を描き、そこにAと書いた。

「まずAという歴史があります。そこではタイムトラベラーの母親は殺されず、タイムトラベラーが生まれてきます。そしてタイムマシンに乗って過去に戻り、自分の母親を殺してしまいます」

 今度は直線Aの中点から枝分かれする線を描き、Bと書き入れる。

「するとそこで、未来から来たタイムトラベラーは自分の知らないBという歴史、別のパラレルワールドに分岐することになります。しかし時間そのものは複数次元であり、そこにはAという歴史とBという歴史の双方が内包されています。これらは排他的なものではなく、共存しうるのです」

 言われてみればその通りだ。三次元の川の中に二本の糸が別々に存在していても、特に不都合はない。

「つまり親殺しのパラドックスとは、時間が何次元なのかきちんと考察しないから生じる単純な誤解なのです。時間は一次元だと考える。それならたった一つの歴史しか存在しないはずなのに、自分の親殺しに成功して枝分かれした別の歴史を一次元の時間軸に一緒に封じ込めようとする。だからエラーが生じる。一つ分のスペースしかない場所に二つの歴史を一緒に押しこめようとしても収まりきらない。当たり前のことです。しかし時間が複数次元であれば、二つの歴史が共存できるだけの十分なスペースを確保できます。そしてここからが本題です。時間は何次元でしょう?」

 突然の質問に、僕はとまどった。

「実は、時間は複数次元なのです。これからそれを、相対性理論を使って証明しましょう。そもそも相対性理論はギルバート・アインシュタインという人物によって提唱されたもので、特殊相対性理論と一般相対性理論の二つに分かれます」

「え? アルバート・アインシュタインでしょ?」

 僕は思わず訂正してしまった。園村さんは口をぽかんと開けてから、しまったという表情を浮かべた。

「……そうか。この歴史ではアルバート・アインシュタインというのか」

「この歴史?」

「あ、いや、何でもありません。忘れてください」

 園村さんは小さく咳払いをしてから、話題を変えた。

「アインシュタインは1905年に特殊相対性理論を発表し、その十年後に一般相対性理論を発表しました。自分の常識さえ捨てれば高校レベルの数学で理解できるのが前者、非ユークリッド幾何学などの難解な数学が必要になるのが後者です」

 僕が真剣な顔でうなずいている間に、園村さんは目の前の紙に三つの公式を書き出した。


M=Mo/ルート(1-(v/c)^2)

L=Lo・ルート(1-(v/c)^2)

T=To/ルート(1-(v/c)^2)


「ニュートンの時代、時間や空間は絶対的なものだと考えられていました。しかしアインシュタインはこれらの公式を発表し、光に近い速さで飛ぶロケットの長さが短くなり、重量が増え、時間がゆっくりと流れることを導き出したのです。Mo、Lo、Toはそれぞれ止まっている場合の質量、長さ、時間を表します。そしてcは光速、vは自分から見た相手の速度です。相手がvという速度で動いていると、自分から見た相手の質量、長さ、時間はM、L、Tになることを示した公式です。今、私は毎留さんから見て止まっていますね。だから私の体重、身長、時間が流れる速さは、毎留さんから見ても私の認識と同じになります。しかし私が光速に近いロケットに乗った場合、毎留さんから見た私の体重は増え、身長は縮み、私の動作はスローモーションのように見えるはずです」

 その話なら僕も知っている。速度vが0に近ければルートの中はほぼ1になるし、光速に近ければ0に近づく。だから光速に近づくにつれ、MはMoと比べて限りなく大きく(重く)なり、LはLoと比べて限りなく小さく(短く)なり、TはToと比べて限りなく大きく(時間の流れが遅く)なる。

高校レベルの数学の知識があれば、この公式を用いて簡単に導き出せる。ただし導き出された解を信じることは容易ではない。

「もちろん相対性理論が正しいことは実験でも示されています。いずれ説明しますが、一般相対性理論によれば大きな重力が働く場所でも時間はゆっくりと流れます。だからこの地球上では、無重力の宇宙空間よりもほんの少しだけ時間がゆっくり流れています。そして地球の周りをまわる静止衛星も、その速度の分だけ時間がゆっくり流れています。この両者を比べると、実は静止衛星よりも地球上のほうが少しだけ時間がゆっくり流れているんですね。もうこの時代にはGPSナビシステムがあると思いますが、このシステムが用いる静止衛星内の時計は、相対性理論に基づいてわざと時計の進み方を遅らせているのです。こうしないと地球上の時計と静止衛星上の時計は次第にずれてきて、ナビシステムの示す位置も時間とともにずれてきます。カーナビを使えるのは相対性理論のおかげなんですよ」

 これは当時の僕にとって初耳だった。

「さて、さっきの話に戻りましょう。私がロケットに乗って地球を離れ、光速の99.99%まで加速したとします。この時、私の時間はゆっくりと流れるようになるので、このロケットではるか彼方まで飛行してから地球に戻ってくれば、私は年を取らないまま地球の時間だけが流れます。まさに浦島太郎の気分を味わうことができるのです。これが未来に行くタイムマシンの作り方です。もちろんフライトの途中で私には強い加速度がかかりますから、それによって私の時間が遅くなったと考えても良いでしょう。一方で光速に近づくにつれ、私の体重や私が乗るロケットの総重量は無限大に近づいていきます。だからどれだけエネルギーを加えてもそれ以上は加速しなくなります。質量のある物体はどうやっても光速を超えることはできません。光速の壁というものがあるのです。エネルギーを加えながら加速していくと、物体の質量は次第に増えていく。ここから導き出される公式が有名な E=mc^2 です。ロケットの加速に要したエネルギーが質量に化けたことを示しています。逆にほんのわずかな質量をエネルギーに変えるだけで、原爆や水爆のように恐ろしい破壊力、莫大なエネルギーを生み出すことも可能なのです」

 園村さんはそこで一息つき、話の途中で運ばれてきたコーヒーをすすった。

「光速に近い速さで飛ぶロケットの話に戻りましょう。これに乗っている私から見ると、周りの天体が光速に近い速さで後ろに流れていきます。つまりその長さは縮む。さきほど光速に近いロケットの中では時間がゆっくりと流れるという話をしましたが、逆にその乗員から見れば、距離が限りなくゼロの目的地に一瞬で到着したことになるのです。これが意味するところが分かりますか?」

 また急に質問が降ってきた。僕は首を横に振る。

「夜空を見れば、そこに多くの星が輝いています。例えば百光年離れた場所にある星の光は百年かけてその星から地球にやってきたわけです。しかし光自身にとっては、距離がゼロの目的地に一瞬で到達したにすぎません。時間や空間とは、光速から外れたものが認識する夢まぼろしに過ぎないのです。この点さえ理解すれば、特殊相対性理論は決して奇異な理論ではありません。地球上にいるあなたと、光速の99.99%の速さで飛ぶロケットに乗っている私。どちらも光速から外れています。でもその外れ方が異なっている。だから両者が認識する時間や空間が異なってくるのです。そして光速で動くものにとって、時間や空間は存在しないも同然です。つまり百光年離れた場所にある星の百年前と、現在の地球の距離はゼロということになります。ここでさらに思考実験をしてみましょう。もし光速の二倍の速さで動くロケットがあったとしたら、その長さと重さ、そしてそこで流れる時間はどうなりますか?」

 僕はさっきの公式で、速度vの部分を2cに置き換えてみた。するとルートの中が虚数になってしまう。それを掛けたり割ったりするのだから、出てくる答えもやはり虚数だ。高校レベルの数学ができればそれほど難しい話ではない。

「すべて虚数になりますね」

「そのとおり」

 園村さんはうれしそうに微笑むと、また別の公式を紙に書きだした。


d=ルート(x^2+y^2+z^2-(ct)^2)


「ここに出てくるdは二点間の距離を意味しています。そしてx、y、zは分かりますね。三次元空間の三成分です。cは光速、tは時間です。この式に当てはめれば、百光年彼方の百年前と今の地球の距離はゼロになります」

 ――うん、計算すればその通りだ。

「そしてとりあえず事象の地平問題を無視するなら、百光年彼方の現在と今の地球の距離は実数で、今の地球と百年先の地球の距離は虚数になります。つまり時間は空間に対して虚数なのです」

 これも一般常識からはかけ離れているが、計算すればそうなるとしか言いようがない。

「これはアインシュタインが特殊相対性理論を発表する際、恩師からも指摘されていたことです。ここではその結論を素直に受け入れて話を進めることにしましょう。空間が実数なら、時間は虚数。陸上競技で走り幅跳びの世界記録が実数なら、百メートル走の世界記録は虚数なのです」

 園村さんが力説した。もしかしたらこれは陸上競技の選手にとって非常に迷惑な話なのかもしれない。青白い理系人間から「あなたの記録は虚数です」なんて言われた日には、胸中穏やかではいられないだろう。

「しかし空間と時間、どちらかが実数でどちらかが虚数であるにもかかわらず、私たちはその両者を実数として認識しています。この世界にいる限り、その認識で問題ありません」

「この世界ってどういうことですか?」

「もう一つ、別の世界があるのですよ」

 園村さんは我が意を得たとばかりに、にんまりと笑った。

「つまり超光速の世界です」

「でも光速の壁を超えることはできないはず……」

「もちろんです」

「だったらなぜ」

「それは順を追って説明します。次に時空図について話をしましょう。と言っても難しく考える必要はありません。文房具店で方眼用紙を買ってきて、そこにx軸とy軸を書き込みます。x軸が空間で、y軸が時間です。たったそれだけです」

 僕は頭の中にx、yの座標系を思い描いた。

「私たちはこの地球上にいて、空間的にほとんど動かず、時間だけが過ぎていきます。これはこの座標系でy軸の方向に進んでいることになります。これを90度と呼ぶことにしましょう。そして速度が無限大のロケットを想像するなら、それはx軸の方向に進んでいることになります。これを0度と呼びましょう。この座標系に光速の数分の一の速さで進むロケットの時間軸と空間軸を書き入れると、時間軸が70度、空間軸が20度くらいになります。まあ、この角度に関しては大体のイメージで結構です。そしてロケットが光速に近づくにつれ、その時間軸と空間軸は45度に近づいていきます。光速では時間軸と空間時が45度の角度で完全に重なりあい、時間や空間という夢まぼろしは存在しないも同然になります。これは高校数学の行列に出てくる、逆行列が存在しないのと同じ状態です。ここで素直に考えてください。光速の数倍で動くロケットを想像するなら、その時間軸と空間時は何度くらいになりますか」

 自分の時間軸は90度、光速の数十パーセントで進むロケットの時間軸は70度、光速の時間軸は45度である。光速の数倍であれば、20度くらいになる気がした。逆に空間軸は70度くらいだろうか?

 僕がそう答えると、園村さんがうなずいた。

「そうです。光速の数分の一と数倍では、その時間軸と空間軸が完全に入れ替わっていることになりますね。つまり光速を超えると時間と空間が入れ替わるのですよ」

「まさか……」

「いえ、こう考えると実に都合よく色々なことが説明できるのです。光速の壁を超えた向こうには、超光速の世界があります。しかしその世界では時間と空間が入れ替わっています。ところで速度は距離÷所要時間で求められることは知っていますよね」

「それはもちろん」さすがに知っている。

「つまり空間÷時間=速度です。しかし超光速の世界ではこの両者が入れ替わります。すると速度を求める際の分母と分子が入れ替わるので、我々の世界にとっての光速の二倍は、超光速の世界では光速の半分に相当するのです」

「はあ」

 理屈としては理解できるのだが、にわかには信じがたい。

「話を進めやすくするために、私たちの世界をタージオン世界、超光速の世界をタキオン世界と呼ぶことにしましょう。私たちから見ればその呼び名で正しいのですが、タキオン世界では時間と空間が逆転し、光速と比較した速度が私たちの世界とは逆数になっています。光速の3倍は光速の3分の1に相当し、無限大の速度は速度ゼロに相当します。つまりタキオン世界の住人たちもまた、『自分は止まっていて、光より遅い』と主張することができるのです。アインシュタインの相対性理論は、重力も加速度も感じていないすべての人に『自分は止まっている。動いているのは相手のほうだ』と主張する権利を与えています。そしてその権利は、タキオン世界の住人にも等しく与えられているのです。彼らにしてみれば、光速の壁の向こう側にいる私たちのほうがタキオン世界の住人だということになります。そしてさっき確認したように、タージオン世界とタキオン世界ではお互いに相手の長さ、重量、流れる時間が虚数になります。そんな虚構の世界は見ることも触ることもできません。お互いに相手の世界を観測することは不可能なのです。だから仮に超光速の世界が存在したとしても、やはりすべての人にとって光速を超えるものは存在しないも同然です。相対性理論は崩れないのです」

 僕は無言のまま園村さんの顔を眺めていた。

「どうも信じられないという顔をしていますね。でもこのことは相対性理論の公式から導くことができます」

 園村さんはまた別の公式を書き出した。


W=(u+v)/(1+uv/c^2)


「これは相対性理論における、速度を合成するときの公式です。仮に時速60キロで走る電車の中で、私が進行方向に時速3キロで歩いたとしましょう。これを電車の外にいる毎留さんが見た場合、私は時速何キロで動いていることになりますか?」

「63キロですね」

「そのとおり。この公式は電車の速度をu、私が歩く速度をvとした場合、地上にいる毎留さんから見た私の速度がwになることを意味しています。uやvが光速cに比べて十分に小さければ、この公式の分母はほぼ1になります。だから単純に足すだけで良いのです。では仮にuとvが光速の99.99%だとしたら、どうなりますか?」

 そう言われて僕はuとvに、0.9999cを代入してみた。するとcよりわずかに小さな値が出てくる。

「そう、光速の99.99%で飛ぶロケットから光速の99.99%の速度でミサイルを打ち出しても、それは光速を超えないのです。ではここでaとbを1より大きな実数としましょう。光速の1/a倍で飛ぶロケットから光速の1/b倍の速度でミサイルを打ち出した場合、そのミサイルの速度はどうなりますか?」

 つまりuにc/aを、vにc/bを代入するということだ。

これを計算してみると、(a+b)/(1+ab)・cになった。

「では光速のa倍で飛ぶロケットから光速のb倍の速度でミサイルを打ち出したら?」

 今度はuにacを、vにbcを代入してみる。

答えはやはり、(a+b)/(1+ab)・c だった。

「そうです。光速の1/a倍で飛ぶロケットから光速の1/b倍の速度でミサイルを打ち出した場合と、光速のa倍で飛ぶロケットから光速のb倍の速度でミサイルを打ち出した場合で、ミサイルの速さは同じになるのです。つまり光速の1/a倍とa倍、1/b倍とb倍はそれぞれ同じ速度だということです。これを説明するには、光速を超えたら速度を求める際の分母と分子が入れ替わる、すなわち時間と空間が入れ替わると考えるしかありません」

 たしかにこの結果を見てしまえば、そう認めるしかない。高校生でも扱える簡単な公式だが、その計算結果は信じがたいものであり、これまで幾多の実験で正しいことが証明されてきた。それが特殊相対性理論だ。

 そしてこれまで注目されることはなかったが、特殊相対性理論はその完成当初から超光速の世界を示唆していた。時間と空間が入れ替わった虚数世界である。

 時間は空間に対して虚数だが、タージオン世界の僕たちはその両者を実数として認識している。仮にタージオン世界の空間を実数、時間を虚数とするなら、タキオン世界の空間は虚数、時間は実数になる。しかし虚数の空間と実数の時間は、タージオン世界の住人にとってどちらも虚数として認識されてしまうのだ。

 見ることも聞くこともできない虚構の世界。それがどこかに実在するとしたら――。

「私たちの手には届きませんが、タキオン世界はたしかに存在しています。しかしそれをこの二十世紀の技術で観測することはできません」

 園村さんは新しい公式を書き出した。


F=G・Mm/(r^2)


「見たことがあるかもしれませんね。そう、万有引力の公式です。質量Mの物質と質量mの物質の間には万有引力が働き、その強さは距離rの二乗に反比例することを表しています。ここで重力定数Gは実数なので、M、m、rもすべて実数なら二つの物体間に働く引力は正の実数になります。これがタージオン世界に働く引力ですね」

 うん、ここまでは特に問題ない。

「タキオン世界の場合、M、m、rのすべてが虚数になります。その結果、分母も分子も負の実数になり、やはり引力は正の実数になります」

 つまりタキオン世界にも万有引力は存在するということだ。

「では、タージオン世界とタキオン世界の二つの物質ではどうでしょう?」

 園村さんはそう言って、相対性理論における二点間の距離を求める公式を指さした。


d=ルート(x^2+y^2+z^2-(ct)^2)


「この公式で求められるdの二乗が、万有引力の公式ではrの二乗に相当します。つまり状況によって、正または負の実数になります。これが分母ですね。そしてMとmは片方が実数で片方が虚数ですから、それをかけあわせた分子は虚数です。つまりタージオン世界とタキオン世界の物質のあいだに働く引力は虚数になります。これを現代科学で観測することはできません」

 うーん、そうなるのか。

「さあ、ここで時間の次元数について再び考えてみましょう。光速を超えると時間と空間が入れ替わります。この必要条件として、両者の次元数は同じでなければなりません。空間が三次元なら時間も三次元ですし、空間と時間を足した合計が十次元なら時間と空間はそれぞれ五次元ということになります」

「つまり時間は複数次元で、川のようなものだということですね」

「その通り。この中にはさまざまな別の歴史、無数のパラレルワールドが共存できます。だからタイムパラドックスは起きません」

 なんだか目から鱗が落ちた気がする。これまでの説明の中で、園村さんが書いた公式は全部で六個だ。たったそれだけでここまで違った世界が見えてくるなんて、さすがは相対性理論というしかない。急にこれまでのタイムトラベル系SFが中途半端な代物に思えてきた。

「無数のパラレルワールドが共存できるのであれば、その中でたった一つの正しい歴史なんてものはありません。そして別の歴史が存在したとしても、それによって自分たちの歴史が脅かされることはありません。歴史改変をたくらむ人々から歴史を守るタイムパトロール。これはSFでたまに見かける題材ですが、そんなものは最初から必要ないのです」

 園村さんはそこまで補足したうえで笑みを浮かべた。それなのに少し寂しげに見えたのは、僕の気のせいだろうか?

「タイムパトロールというSFの題材なら、高校レベルの数学と特殊相対性理論だけで論破できます。でもここで超ひも理論や時間対称性について考察すると、もっととんでもないことになりますよ。これまでに存在したタイムトラベル系SFのほとんどすべてが破綻してしまうのです。なにしろタイムトラベラーの動機そのものを変えてしまうのですから」

 うわ、なんだかすごい興味がある。

 僕が前のめりになったところで、逆に園村さんは少し体を後ろにそらした。

「でも今日のところはここまでにしてもらえませんか? これだけ説明すると、老体には結構こたえるんです」

 ああ、それもそうだ。僕は少し申し訳ない気持ちになった。

「でも毎留さん、今日はあなたとこの話をできて本当に楽しかった。もしよければ明日もこの時間に会って話をできませんか?」

「はい、ぜひお願いします」

 僕は大きく頭を下げた。

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