第10話:噴水広場にて
噴水広場から少し離れた、薄暗い路地の中。
黒いカーテンに仕切られた不自然な空間の中で、か細い女性の声が響く。
「あっ……あの、やっぱり私無理ですっ。あんなに沢山人がいるし、それに、この格好……!」
「なに言ってるんですか! 折角の晴れ舞台なんだから、おしゃれしなくちゃ!」
「で、でも、このドレス、胸元が開きすぎてて……」
仕切りの中で黒いドレスを着たシリルは頬を赤く染め、黒い手袋をした両手でそのあらわになっている胸元を隠す。白い胸と黒い手袋のコントラストは、その白い肌をより強調しているように見えた。
シリルに話しかけられた秘書風の女性は朗らかな笑みを浮かべ、やがて返事を返した。
「だってガルドレッドさんが“顔を見せないなら、せめて性別がわかるような服にしなさい“って言ってたじゃないですかぁ。ナンバーゼロも、それで納得してたでしょ?」
「ううっ……はい。それは、そうです……」
ナンバーゼロと呼ばれたシリルはがっくりと肩を落とし、ぐぅの音も出ない様子。
元々人前に出るのは苦手だったが、ガルドレッドに説得されて顔だけは見せないという条件でかろうじて今回のお披露目を承諾した。
しかしまさか、胸元がぱっくり開いたドレスを着せられるとは思いもしなかったのだろう。その肌は恥ずかしさからか紅潮し、髪に隠れた耳まで赤くなっている。
「まあまあ、いいじゃないですか。ドレスの色は指定通り真っ黒ですよ? その白い肌は逆に目立つけどね!」
秘書風の女性は性的なシリルの姿を見ると、親指を立てて悪戯に笑った。
「ううっ。そ、そんな……」
その言葉を聞いたシリルは胸元まで薄ピンクに染まり、もじもじとした仕草がより女性らしさを引き出している。
そんなやり取りをしていると、やがてガルドレッドの大きな声が響いてきた。
『ではさっそく、登場してもらおう! 彼女こそ史上最高の魔術師、ナンバーゼロである!』
「おっ、ガルドレッドさん、呼んでますよ? ほらほら、練習の通りに!」
広場から響いてきた野太い声を聞くと、秘書風の女性は顔を隠すレース付きの帽子をシリルへと手渡す。
突然目の前に突き出され自身の胸にぽよんとぶつかったそれを、シリルは反射的に受け取った。
「!? あ、は、はいっ」
黒い帽子を受け取ると、慌てて頭に被るシリル。
レースによって顔は隠れたものの、落ち着かない心臓の鼓動はその大きな胸を内側から突き動かした。
「やるしか、ない……ですよね」
シリルは一度大きく喉を鳴らし、口の中の唾液を飲み込む。
眉間に皴を寄せて力を込めると、黒いハイヒールの踵を強く石畳に叩きつけた。
「……なんか、本当に来るっぽいぜ、ナンバーゼロ」
「うわぁぁ、見たい。でも見たくない。なんだこの感情」
「ま、まままさか、ナンバーゼロなんて、いるわけないじゃないか。ぼぼ、ぼかぁ信じないぞ」
「落ち着けよ。カタカタ鳴らしすぎて眼鏡が楽器みてーになってんぞ」
黒髪、金髪、眼鏡の男達は悲喜こもごもの反応で噴水広場に立ち、シリルを待ち受ける。
ガルドレッドは高い壇上の上から小さく見える黒いドレスを、満足そうに見つめていた。
そんな広場の空に石畳を叩く高い音がひとつふたつ。ゆっくりと響く。
広場から差す光に包まれたその黒いドレスの女性は広場に集まった人の多さに一瞬たじろぐが、息を飲みこむと一歩前へとその足を踏み出す。
そんな彼女の姿が皆の前に晒されるが、人々は一様に押し黙り声一つ上げない。
静寂に包まれた広場に、女性のヒールの音だけが響き―――
「お、おん、な?」
「はああああああ!? ナンバーゼロが、女あぁぁぁぁぁぁ!?」
金髪のつぶやきをきっかけとして、唖然としていた人々がにわかに騒ぎ出す。
シリルは突然の大声に一瞬肩をいからせ、泣き出しそうになるのを必死に堪えた。
「ナンバーゼロ! だいじょーぶ、出来てますよ! もうちょっとかんばって!」
「ううっ、む、むり。もうむりですーっ!」
シリルは見た目平静を保って歩きながらも、秘書風の女性に小さな声で泣きごとをぶつける。
女性はそんなシリルの顔を見ると、いい笑顔で親指を立てた。
「かぁぁぁぁぁつ! 静かにせんかぁ! これから貴公らの目標となる人物の凱旋だ。拍手の一つでもしてみせい!」
ガルドレッドは泣きそうなシリルを見ると、その大声でフォローを入れる。
その馬鹿でかい声に一番ビビっていたのが当のシリルだったとは、最早言うまでもない。
「ええー……いや、そんなこと言われても……なぁ?」
「そっ、そそそそうです。だたっ、た、ただの、女性かもしれない。彼女がナンバーゼロだなんて、すぐには信じられない!」
金髪はしらけた様子でガルドレッドを見上げ、隣に立つ眼鏡の男に声をかける。
眼鏡の男は相変わらず眼鏡でリズミカルな演奏を続けながら、金髪の言葉に同意した。
「うーん……そうか? なんか俺、あの子がナンバーゼロのような気がする」
黒髪は曲げた人差し指を顎の下に当て、真剣な眼差しでナンバーゼロを見つめる。
金髪と眼鏡は呆れた様子で、言葉を返した。
「はぁ!? 何言ってんだよ、ただの女の子だって!」
「た、たた、タイプだからって肯定するとは、愚の骨頂ですね!」
「はあ!? ちげーよ! なんかそんな気がするんだって!」
黒髪はあんまりな二人の言い草に反発し、声を荒げる。
そんな彼らを初めとして、ますます混迷を極める広場。それは、集められた各国の記者団も例外ではなく―――
「ガルドレッド氏! 彼女が本当にナンバーゼロなのですか!?」
「答えて下さい、ガルドレッド氏!」
「ガルドレッド氏!」
「ガルガル!」
「ええい、やかましい! 誰がガルガルだ!」
騒ぎはじめた記者団を一括するガルドレッド。しかしそんな記者団の中の 一人が、小さく手を挙げて微笑みながら発言した。
「私は信じますよ、ガルドレッド氏。彼女こそナンバーゼロ、でしょう?」
「おお、貴公はブックマーカーの記者か。うむ、その通りだ」
ガルドレッドは満足げに笑い、記者と目線を交差させる。
やがて大きく息を吸い込むと、広場の魔術師達に向かって声を張り上げた。
「聞けい! 先ほどお伝えした通り、この後ナンバーゼロが、魔術演習をして下さる! それを見れば、貴公らの考えも改まろう!」
右手を横に大きく振りかざし、言葉を紡ぐガルドレッド。
混乱も動揺も、想定通り。しかし演習を行い、目の前でナンバーゼロが魔術を使って見せれば魔術士達の猜疑心も一掃できる。
シリルの魔術を知るガルドレッドには、その確信があった。
「!? おいおい、マジかよ……!」
「な? 言ったろ? やっぱ本物なんだって!」
ぽかんと口を開け、ガルドレッドを見上げる金髪。
黒髪はガルドレッドの言葉を受け、嬉しそうに金髪の肩を揺さぶった。
どうせまた偽者だろうと、そう思っていた。しかし今回は、全国民の前で演習を行うという。
それはガルドレッドの絶対的な自信と確信を表しており、同時に目の前の女性がナンバーゼロであるという確率が、ぐっと上がったことになる。
「ぼぼぼ僕は、ぼぼぼぼぼぼ僕はぁ……!」
「何ぼぼぼぼ言ってんだよ。落ち着けって」
もはやボロボロになってしまった眼鏡を鳴らす眼鏡の男に対し、呆れた様子で肩を叩く金髪。
そんな彼ら若手魔術師を中心に、喧騒の大きくなる広場。
同じく広場に集合していた中堅魔術師達は表面上平静を保ちながらも、緊張した面持ちでシリルを見つめていた。
「あのぅ……魔術演習、やっぱりやらなきゃ―――」
「ダメです。昨日納得してたでしょ?」
当の本人……シリルは困った様子で、秘書風の女性に話しかける。
しかしその言葉を全て言い終わる前に、女性からバッサリと言葉を切られてしまった。
「ううっ。はい、わかりました……」
ガルドレッドに魔術を見せる時ですら緊張したというのに、こんな大勢の前でそれをやらされるなど、シリルにとっては考えたくもない事態だ。
しかしやらなければ、後でガルドレッドにどれだけ説教を受けるか考えるまでもない。
心臓の鼓動は収まらない。手の震えは止まらない。しかし、覚悟は決まった。
シリルは奥歯を噛み締め、引き続き、一歩を踏み出す。
―――しかし……そんなシリルの決心をよそに、物語は大きく動き始める。
およそ時を同じくした、ラスカトニア王国の入口。
一つの小さな影がふらつきながらも。倒れそうになりながらも。
小さな足で地面を踏みしめ、真っ直ぐに王国の中央を見つめていた。