戸惑いだらけのメインパート17
微かに小鳥の鳴き声が聞こえる。
夏の陽射しがベランダ側の大窓から入って私の顔を照らした。
起きているような寝ているような、ふわふわした状態の私に強い光が目蓋から入ってくる。陽射しは目を通り越して鼻をくすぐったらしい。鼻の奥がむずむずしてきて私は小さく、くしゃみを
「ふぇっきしょおーいっ!」
しょおーいっ! しょおーいっ! と部屋に響く私の声。小さいくしゃみを可愛いくしようと思ったのが悪いのか反動で力一杯、腹の奥からの野太いくしゃみが出た。そのあまりにオヤジくさいくしゃみが私を覚醒させる。バッと目を開けて
「目蓋おもっ! って言うか目が開かない?!」
やけに視界が狭かった。辛うじて見える範囲で周りを見ると私は毛布を寝室からわざわざ持って来てリビングの真ん中で寝ていたらしい。昨夜は泣きわめきながら寝てしまったからそこらへんの記憶があやふやになっている。下の階の人には物凄い迷惑をかけてしまった。なんか床も叩きまくったような気もするし……両手にアオタンが出来てるから“気もするし”じゃなく実際に叩きまくったんだろうな……。
とりあえず下の階に住む人には後で謝ることにして今は私がどんなになっているか見ないといけない。
ま、視界が狭いって事でどんなになっているか想像出来るけど。私は覚悟を決めて洗面所の鏡を覗きこんだ。
「ヒイィィィィイ~ッ!」
……覚悟が足りなかったよ……。
思わず出てしまった色気の無い悲鳴が洗面所に広がり鏡に映るモノをマジマジと見る。
ホラーな私がいた。
腫れた目蓋は小山のように盛り上がりまつげが街路樹みたいに真っ直ぐに立っている。そしてその間から真っ赤になった目が。
化粧を落としていない肌はボロボロになって起きたてで乱れた髪は蛇が蠢くように跳ねている。
そんな恨めしげな私が私を見ていた。
……だって昨日は泣きたかったんだもん。仕方がないじゃない。
私は鏡の私に向かって言い訳みたいな事を呟いて化粧を落とすとリビングに戻り床に直接寝転がった。それから冷やしたタオルを腫れた目蓋の辺りに当てる。痛んできていた目蓋が少し楽になってようやく落ち着いてきたのだが落ち着いてくると昨日の事が思い出される。
昨日、泣きながら自分でも思ったけど私はバカだった。
間違いなく。
それに直樹が私の味方になってくれないなんて思ってもみなかったからそれが辛かった。その上あまりに直樹がいいように転がされているのを見て気が昂ってしまって感情的になったのもどうだろう。もしかしたらあの子は計算してやっていたのかもしれない。だから勢いで“挑戦を受ける”なんて言ってしまったんだ。……反省。
結局、なにもかもグダグダになって終わったから今日、改めて話し合いをする事になったけど、直樹はあの子がいたら私の味方はしないだろう。そして昨日の様子からは私を連れて行くつもりは無さそうではある。けど“向こう側の世界”とかいう所に、あの子が一緒に行くのなら私も着いていかないと……たぶん後悔する。
「……バカ直樹……。」
理不尽だ。
直樹は私が直樹に着いていくのは何のためだと思っているんだろう……。あの子が“戻ってきて”から直樹は私を見てくれない。訳の分からない話しをして、なんか遠くにいる気がする。
なんでこんな辛い想いをしなきゃならないんだろう。
好きになる相手を間違えた……?
私を見てくれる人は他にもいない事も無い。
直樹をやめてその人に代える?
ううん、無理。
やっぱり私は直樹しか考えられない。
そんな私の気持ちが無意識に声になった。
「……直樹のっ! 大ばっか野郎ーっ!」
早朝のマンションに私の声が轟き渡る。
隣近所から苦情が入ったあれから数時間。お昼になっても目蓋の腫れは引かなかった。泣き腫らして山になった目蓋は怒鳴り込んできた住人が逆に励ましたくなるほどだったようで、今まで話しもしたことの無かった人が化粧水やアイスノンをお見舞いに持って来てくれたり、なんか人っていいなあ、なんて思ってほのぼのしてしまった。更に狭くなった視界は部屋に散らばったバックの破片まで隠してくれる。
視界に入れないともいう。
出来れば壁についた大きな傷も隠してくれればいいのに。
「あー……まいったわ……。」
部屋の傷とバイト3ヶ月分のバックの残骸を眺めていたら、昨日のトラブルがあったとは言え真っ直ぐ私を見て「お兄ちゃんが好きです。」と言い切った金髪碧眼の女の子を思い出してしまった。
いや、ずっと思い出していたけど可愛いらしい姿まで思い出してしまう。背がやや低いがスタイルのいいあの子が直樹の話しでは元男の子で“女神”のせいで女の子になってしまった従弟と言っていたが、直樹を見る目、自然な柔らかい動き、直樹をからかう時の私に見せた勝ち誇った顔。どうみても生粋の、それも結構性格の悪い女にしか見えない。
直樹も時折、呪文のように「男、男、司は男」って唱えているのを見ると女として見ているみたいだし。
私はため息をついた。
「……スモウのレスラーに叩かれて顔を腫らした九面体のレスラーの気持ちがわかるわ。……直樹。」
直樹は有名な漫画のマイナーキャラが好きでマイナーキャラが山のように出る牛丼が好きなレスラーの漫画は“バイブル”と言ってはばからず私も無理矢理読まされた。九面体のレスラーはその漫画の最初の方に出ていて負けっぷりが妙に記憶に残っていたのだ。
その九面体のレスラーは全ての面の色が揃うと負けるレスラーでスモウのレスラーの突っ張りで九面全てを内出血の色に染められ「こんな揃えかたがあるかーっ」と怒るのだがスモウレスラーの一撃で吹き飛んで負けてしまう。
そんな理不尽な負けっぷりが今の私に似ていて。
ジンジンと染みる痛みの目蓋とズクズク奥から来る両手の痛みが私を現実逃避から連れ戻した。
「とりあえず、早く腫れを何とかしないと。もうすぐ直樹の家に行かなきゃならないんだから。」
湿布とアイスノンをあちこちに貼り付けた私はシワだらけになった勝負服を悲しい気持ちで脱ぐと普段着よりはましな服に着替えて気合いを入れた。
今日は向こう側を説得して彼氏を黙らせて同行に承服させなきゃならない。
フラフラしている未来の旦那様をしっかり繋ぎ止めなきゃ。
……私ばかり苦労している気がして、なんか……?
これが“惚れた方の負け”ってヤツなの?




