悪夢の終わりと破滅の始まり38
家根が落ち壁が崩れた廃墟の中で、司は俺の腕の中から降り立ち真っ直ぐ顔を向けて怒っている。綺麗と可愛いの中間みたいな顔立ちの司に睨まれても怖いとは思えないが、怒るときはしっかり怒るのだ。
かつてハンバーガー屋で怒られた時も、ハンバーガー屋の固い床に正座したまま、三時間以上、司から「乙女心」についてのレクチャーを受けたし、高校の文化祭では、廊下に正座させられて、見学の人たちがジロジロ見ている前で「恋愛」の議題をもって半日ティーチング。まだ小学生男子の司に高校生の俺が男女のやり取りを正座して教えられている姿は、あまりにアレだったと件のハンバーガー屋で件の時間にバイトをしていた七歌は引きつった顔で言っていた。
最近でも正座した俺に司が親指を立てて前のめりに視線を合わせた状態で
「いい? お兄ちゃん。大事なだ、い、じ、な、お話です。」
と、怒られている。この時は女心についてだったか?
普段は色々、俺に気を使う司が怒る時は、周りの状況は無視して俺のやらかした事と、その影響について、時折はさむ質問と、それに対しての解答、解説を織りまぜて長々と続く。司に一度でも怒られていれば大学の講義を受けた時に講義内容の薄さに驚くだろう。司は俺を怒る時は大学教授よりも語彙が豊富になるんだ。そんな長々と怒られてはいても司の声は耳に優しく心地好くて、歌うように続くものだから睡眠薬もかくや、と言うほど目を開けているのが困難になる。結果、話を聞き逃す事になるのだが、そうなると聞き逃した部分の質問をされて答えらないという状態になり、司のお小言的なリメディアルへ突入、永遠ループの完成である。
そして今回も……いや、今回は、と言うべきか。司は数年は前に死んだはずの彼らの前で、“思春期の女の子の繊細さ”を正座させた俺に語っている。最初は司の様子に戸惑いながら襲いかかってきた彼らだが、女神の寵愛を受けている“聖女”には触る事も出来ず、だからといって俺が襲われる事を許される訳もなく。司の言葉を聞いているうちに、彼らが牙を剥き爪を立てる行動から変わってきたのに気づいた。恐らく家族である首の無い死体とテーブルの上の頭、母親だろうか。彼女は司が言うところの“女性の神秘”をさらけだしている中学生位の女の子を俺から隠すようにしている。女の子は何年も風雨に打たれボロボロになったタンスから、これもボロボロになった服を取り出し哀しそうにしていた。表情筋が仕事をしていないし、声も出ていないのに、服を取り出しては泣きそうになっているのは分かるのが驚きだったが。
父親だろう胸に穴をあけた男性は固い石床にうつ伏せになっていたのが、いつの間にか壊れた暖炉の前で椅子に座り、手に持った棒で暖炉の中のゴミをつつき出している。哀愁すら漂う男性は、司の言葉に大きく頷く女性と女の子が時折チラリする視線にビクつきながら、人生を思惑する隠者のように暖炉を睨んでいた。……いや、俺には分かる。今、彼はこう思っている筈だ。「死んでまた嫁と子供に頭垂れ」。
人生ってなんだろう……。
「お兄ちゃんっ。聞いてますかっ?」
「はい! 聞いてます!」
勘弁してくれ。
司の説教が止まったのは日も落ち始めた頃、辺りが赤く色づいてきた頃だった。
終わった訳じゃ無い。あまりに時間がかかっている事に不審さを感じた苺さんが、蒼井さん達と人気のある廃墟を覗き、正座したタンクトップとデニムのズボンの俺と、プンプンと擬音が聞こえるような司と、俺のワイシャツを着ている明らかに生きていない女の子と、その向こうに男泣きしている大柄な男性と、男性を呆れてながら慰めている首無しの女性体。それを見つけた訳である。
後日、苺さんは「できの悪いC級ホラーを見ている気持ちだった。」と言っていた。そんな苺さんの言葉が長い間、石床に正座して足の感覚がなくなって意識も朦朧としていた俺を救ってくれたのだった。
「あなた達……何してるの……?」
決して大きくない苺さんの声は泣き声と微かに聞こえる女の子の謝罪の声。そして司のお小言の中、妙に響き渡り。
我に返った司が親子の死体達を見て悲鳴と共に俺に飛び付き。
足腰に力の入らない俺は司の勢いを殺しきれず床に後頭部を痛打。
抱きしめられたまま悶絶している俺に
「ねえ、直樹。ほんっとうに。何してんの?」
苺さんは、凍える目と冷えきった声で、重ねて聞いてきた。
……。
うん、苺さん。
……。
実は俺にも分からないんだ。
廃墟の中で俺を押し倒した司は苺さんに慰められて冷静になるまで俺を力の限り抱きしめ、俺は頭の痛みと内臓が口から出るような苦しみの中、苺さん、七歌、蒼井さん、赤谷、それに紫さんの視線に耐えなくてはならなかった。
落ち着いた司は「ごめん、お兄ちゃん」とか言いながら頭を魔法で治してくれたのだが、床に溜まった真新しい血痕は見ないことにしようと思う。そして、いきなり悲鳴をあげて俺をしぼろうとしていた司に驚いたらしい3体の彼らは、片隅に集まり所在無げに佇み様子を伺っていた。まあ、行きなり家に飛び込んできて、彼らを見るなり俺に怒りだし長々と説教をしていた司が、これもまた、いきなり叫び出したら、そうなるよな。
司は所在無げに佇む彼らにビクッと体を震わせたが、
「一人、足りない。」
悲鳴のあげすぎで掠れる声で呟いた。しかしその言葉は彼らにどのように聞こえたのか。片隅に立つ男性が司に向かって膝をつき頭を下げて、何かを伝えるように口を動かす。
言葉が伝わらないのが、こんなにもどかしいなんて初めて知った。
必死に司に伝えようとする男性は窓を指して何かを言っている。だが、窓を見ても、窓から見える景色にも変わったものは見えない。
「……多分、だけど……。」
司と俺が顔を見合せていると、苺さんが自信無さそうなのに、はっきりした声で
「窓の向こう、じゃなくて指で示した方向にいる何かを助けて欲しいんじゃないかな?」
苺さんは男性が指していた窓から身をのりだし
「わたしにも分かるくらい暗い何かが向こうにあるのよ。ものすごく、暗くて悲しく感じる何かが。」
じっと向こうを見て
「……女の子、だと思う。ずっと泣いている声がしてる。」
のりだした体を戻して真っ黒な口蓋を見せる男性に
「これも多分なんだけど、あなた達がここにいるのは、それが原因なのね?」
男性は胸をかきむしり慟哭した。女性と女の子は祈る姿で苺さんと司を見ている。
「司さん。……この人たちを助けてあげて。」
司は、俺のせいで怖いものは嫌いだ。だが、司は嫌いだからと助けを求める存在を無視する事は出来ない性格でもある。苺さんの言葉と彼らの哀しみを感じた司は頷き。
ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……
微かに聞こえる謝罪の言葉は風にのり俺と司にも届く。
司と俺は男性が示した方向に向かい、広場でそれに会った。
広場と言っていいのか、土が腐り結果広い何も無い空間が出来た場所。その腐った土が臭う真ん中に存在する真っ黒なモヤの中から、途切れない謝罪の言葉。
苺さんが言っていたように女の子の声だった。
本来は、明るく響くだろう女の子の声は、聞いているだけで胸が張り裂けそうな哀しみの感情に包まれ心に突き刺さる。
「……三郷野さんって……凄い人だね……。」
司がブルブル震えながら驚いたように言った。勿論、俺も驚いている。苺さんは俺に「なんとなく感じる程度」と言っていたのだから。だが、これはテレビで見た”霊能者“より凄い能力に見える。
「司。とにも、かくにも。苺さんが言ったようにしてみるぞ。」
「……うん。」
司の”聖女“としてのチカラなら、簡単に祓えるだろうが、あの家族を見てしまった今は、力尽くはしたくない。上手くいってくれればいいのだが。




