長めのプロローグ10
俺の腕は半ばまで鏡に埋まっている。妹の七歌はひきつった顔をして、それを見ていた。
「おに、…あんた、聞いているの。腕、大丈夫かって、聞いている、のよ。」
しかし、すぐに苛ついた顔で言い出す。…思えば七歌は何時から、こんなに口煩くなったのだろうか?昔は「おにぃ、おにぃ」と俺の後をついてきて離れなかったのに。
「大丈夫だ。別に変じゃない。」
昔のあれこれを思い出した俺を睨んだ七歌が何かを言い出す前に短く答える。
この事は女の子が鏡から出てきたのを見ていたから予想は出来ていた。鏡から出てきた女の子がまた鏡に戻って行く、何か、おかしいだろうか?……いや、おかしいだろうな。
普通は。
一般的には。
常識的に。
ただの薄い壁に立て掛けているだけの鏡からは金髪の女の子が出てきたりしない。だが、俺は見た。見てしまった。なら、入って行く事も有るだろう。有るんだ。有ってくれ…。
俺の腕は女の子に引かれ鏡の中に入っている。
腕を動かしてみた。
鏡の表面が波立ち向こう側の光景が歪んだ。
女の子は、いきなり腕を動かした事に驚いたらしく掴んでいた手を離した。
俺は腕をこちら側に引き戻して……傷ひとつ無いのを確認すると鏡に突っ込んだ。また、鏡が波立ち、すぐに修まる。向こう側で女の子が差し出された俺の腕を掴んで笑った顔をこちら側にむけた。
俺は女の子に向かって
「なんじゃ、コリャァァァァ!」
聞こえないと知りつつも叫んでいた。
俺が。
本当は俺が声の限り悲鳴を上げたかった。腕が鏡に埋まっているのを平気な顔をしていたが、本当は絶叫を上げながら逃げたかった!
出来なかったのは、七歌に先を越されたから。妹の前でくらい兄らしい態度を見せたかったから。
しかし、限界。
結局、一拍どころかタイミングを外した俺の叫びに
「今かよっ。」
ナニ、コレ、オソクネ?ニブ、トロ。
目は口程に物を言う。俺は七歌の視線にそんな言葉を実感した。
「お兄ちゃん。ナナカねーちゃん。早く来なよ。そしたらセツメーできっから。」
見ると鏡から顔だけを出した女の子が随分ぞんざいになった口調で言い唇をとがらせた。
まて。正直に言うが恐い。整った可愛らしい顔だからこそ尚、恐い。
俺も七歌も動きを止め黙って凝視した。
「早くこっち来なよ。ほら。」
同時に腕を引かれ鏡の中へ。水を潜る様な感覚が瞬間、襲ってきたがすぐに薄れ気がつくと白い石壁の部屋にいた。
うそだろ……………。
口は半開け定まらない目線。状況が分からず意味も無くうろうろ、と歩き回り鏡からは見えなかった窓の向こうの景色に目を開いた。小高い丘に建てられたらしいここからはそれが全て見えている。
メインになるだろう広い道には12のギリシャ風の神殿が併設されてバラ園や大きな湖、切り立った崖があった。その向こうに見えるのは街だろう。建物が並んでいるのが分かる。街はかなり広がっていた。
「…。俺、独角馬が好きだったんだよな。自信満々であっさり負けて”お嬢“に惚れていたのに振り向いてもらえず命懸けで守って主人公に走って行くのを黙って見ていた不憫さが。」
明らかに日本ではない景色を見ながら、ふっ、と呟いた俺は何回目の再放送か分からない番組を思い出して似ているなと思った。
「やぁっと、連れてきたよぉ。」
どのくらい現実逃避していただろうか?
傷だらけの女の子が七歌の両腕をひっぱり戻ってきた。ひっぱり込まれた七歌は石床に立つとポカンと口を開け部屋をキョロキョロ見て壁に触れたり机を触ったりウロチョロして窓から外を見て固まった。よく見ると視線が空の向こうにいっていた。
「やっぱり兄妹だね。おんなじ事してる。」
いつの間にか隣にいた女の子が”鈴が鳴くような笑い声“をあげた。
初めて聞いた。
”鈴が鳴くような“という声。
声というより音。
音というより歌唱。
女の子は特別な事をしている訳じゃない。ただ、小さくクスクスと笑っているだけだ。それだけなのに”品位の高さ“がにじみ出ている。つまり、”鈴が鳴くような“とは声だけでは無く態度や表情もあってできるんだろう。成る程、オヤジやじいちゃんが七歌の笑い方を「下品」という訳だ。俺も七歌は普通か周りの娘よりマシと思っていたが、こうなってしまうと違いが分かってしまう。
そして俺は。
笑う女の子を見て。
俺は…。モーレツに感動している!
「お兄ちゃん、そんなに見られるとちょっと恥ずかしいよ?」
女の子の白い肌が赤くなっていた。少し俯いて上目使いで両手を腰の後に回し拗ねた様に言われて。
「あんたら、何、やってるのよ。」
不意に七歌が俺と女の子の間に割って入ってきた。
ハァ~?アンタ、チョロスギ
七歌の目が俺を責めている。
「さっ、説明してくれるんでしょう?さっさとして。」




