普通の読者さんは、激怒した
「あなた、何やってるのよ!!」
「え?」
僕は、突然、怒られて、唖然とするしかなかった。
彼女は、“普通の読者さん”
極々普通の、何でもない小説を好む読者だ。
「小説に、突拍子もない展開なんて必要ない。いえ、読者を驚かせるコトは必要よ。でも、あくまでそれは、読者を傷つけない範囲内でのこと。決して、私たち読者にストレスを与えてはならない」
それが、彼女の口癖だった。
ある意味で、その考え方は、僕の考える“理想の作家”の姿とは対極に位置する。
「作家とは自らの世界を創り上げ、読者はその世界を受け入れる」
僕が目指す理想の作家と読者の関係とは、そういうものだ。
「だから、あなたは駄目なのよ」と、一笑に付される僕。
普通の読者さんは、厳しい。
次から次へと、容赦ない言葉を浴びせかけてくる。
「こっちは、あなたの小説を“読んであげている”立場なのよ。ツマラナイと感じたら、いつでも、読むのをやめてしまえる権利があるの。そんな読者に向って、よくもそんなセリフが吐けたものね」
彼女の言うコトは、もっともだ。
作者に“自分の世界を構築し、自由に表現する権利”があるように、読者全員に“人の作品を読む権利”が与えられている。それは、言い換えれば“いつでも、その作品を読むのをやめる権利”でもあるのだ。
「そんな読者にストレスを与えるような展開にして、どうするの?“作家性”?そんなモノは捨ててしまいなさい。そんなゴミクズみたいにつまらないもの、持っていてもどうしようもないわ」
僕は、そんな普通の読者さんに対して、反論する。
「そんなコトはない!作家に必要なのは作家性!そんなのは当たり前のコトさ。最後の最後に理解されるのは“誰にも負けない作家としての個性そのもの”それを失った時、人はモノを書き続ける意義を失う。そんなもの、もはや“作家”とは言えない。ただの製品を量産するだけの機械と同じ」
フフフ…と自信満々に笑いながら、普通の読者さんは答える。
「言ったでしょ?だから、あなたは駄目なのよ。そんなくだらないモノにこだわっているから、あなたはいつまで経っても成功しない。わずかな読者を獲得する為に、より大勢の読者を失ってしまっているの。なぜ、それに気がつかないの?」
その言葉は、ほんとだった。
僕は、自分の世界を重視するあまり、読者の気持ちを理解できなくなってしまっていた。
いや、正確に表現するならば、こうだ。
「僕は、読者の声が聞こえながら、あえてその言葉に従おうとしない。それどころか、読者が予想していない方向へと物語を進める為に、あえて反対の方向へとストーリーを進めてしまうのだ」
それは、ストーリーだけに留まらない。キャラクターも、設定も、表現方法ですら、読者を驚かせる為に、“読者が望んでいない方向へ”と変えてしまうのだ。
ただし、そこには明確な意図がある。
たとえ、一時、見放されたとしても、最終的に読者は帰ってきてくれる。
表面上は見放されたとしても、心の底では、そうではない。何年か経った時に、必ず理解してもらえるはず。
「ああ!あの作者が本当にやりたかったのは、こういうコトだったのか!」と。
それを信じて、小説を書き続けているのだ。
それでも、普通の読者さんの言うコトにも一理あるのは確かだった。
100%作家性のみを追求し、完全に読者を無視してしまったら、いずれ誰からも見向きもされなくなってしまうだろう。その可能性は、自分の世界を追求すればするほど、高くなっていく。
たとえ“誰からも”ではなかったとしても、世の中に存在するほとんど全ての読者に、僕の書く作品を読まれなくなってしまうコトだけは確かだろう。
と、それば、どこかで読者に寄らなければならない時が来る。
ここで、普通の読者さんは、意外なセリフを吐いた。
「私は、あなたに期待しているのよ」
「え?」と、僕は驚く。
「あなたは、いい才能を持っている。読者を楽しませる小説を書くコトのできる才能よ。ただし、それを邪魔しているモノがある。あなたが言うところの“作家性”よ。そんなモノは、さっさと捨ててしまいなさい。そうすれば、これまでとは比べものにならない程、多くの読者を獲得するコトができるわ」
それは、甘い誘いだった。
多くの人に読んでもらえれば、それはそれで楽しいだろう。とてもとても心地よいはず。
「そんな環境下で小説を書いてみたい!」
そういう思いもある。
僕は、その甘美な誘いの前に、迷い始めていた。
果して、僕はどちらの道を選ぶべきなのだろうか?
あくまで自分を信じ、“作家”としての自分を貫き通す道か?
それとも、読んでくれる人の気持ちを最優先にし、“読者”に仕える従者となる道か?
“小説の神”ならば、こんな時、どちらの道を選択するだろうか?