では、何を残し、何を切るか?
ここ最近の小説の執筆量が、1日に1000~1500文字。それを早ければ、1時間程度で仕上げる。時間がかかる日でも2~3時間。もちろん、1日も欠かさず、毎日書き続けている。
これだけの量をほとんど全く何のストレスもなく書き進められる。むしろ、心の底から楽しみながら書けている。そういう意味では、実に調子のいい時期だ。
筆の進まない時期ならば、これだけの量を書くだけでも、丸1日かかる。それも、四苦八苦しながら。ほんとうに苦しみながら、どうにかこうにか捻り出す。それに比べれば、絶好調!といった感じ。
質の方も、なかなか満足している。
自分のやるべきコトが見えているので、迷いがない。何を残すべきかがわかっている。逆を言えば、“何を切るか”がわかっている。
“何もかも完璧な小説”など生み出せはしない。だとすれば、何かを切らなければならなくなる。僕は、そういうコトをよくわかっている。
ここで質問だ。
「では、何を残し、何を切るね?」
僕は、僕自身に問いかけた質問に対して必死になって考えた。そして、答を出した。今回の小説は、そうやってできている。
たとえば、詳細な描写。こういうのは、ザクッと切ってしまった。普通の人ならば、「ここをもっと詳しく描くだろう!」そういう部分をザクザクッと容赦なく切り捨ててしまった。
代わりに得たのは、読みやすい文章。そして、テンポの良さ。次から次へと、物凄いスピードで場面は転換し、バンバンストーリーは進んでいく!
それこそが、この小説に求めていたモノなのだ。そういうコトを自分でよくわかっている。だから、必要のない部分を容赦なく切っていける。
もちろん、これは、全ての小説の通じる法則ではない。
他の人の書く小説には、他の法則があるだろう。僕が書く他の小説ににおいても、それは同じ。他の作品には、別の“残すべきモノ”が存在する。イコール、それは“別のモノを切らなければならない”というコトを意味している。
要は、それぞれの作者・それぞれの作品ごとに、“何を残し、何を切るべきなのか?”を考える必要があるということだ。