同じ料理が作れるからといって、毎日、同じ料理を作り続けていていいものなのだろうか?
「小説を書くのは、料理を作るのに似ているな…」と、よく思う。
最初は、どちらも大変なのだけど。
試行錯誤しながら、基本的なやり方を覚えていけば、どうにかこうにか、それなりのものを生み出せるようになっていく。
そうして、1度そのやり方を覚えてしまえば、それ以降は、一生、同じようなモノが作れるようになるだろう。
*
ここで、問題が生じる。
「果して、それでいいのだろうか?」と。
たとえば、カレーライスの作り方を覚えたとする。あるいは、それは、ハンバーグや、シチューや、野菜炒めや、ギョウザや、焼きそばの作り方だったりする。
小説も同じ。ある程度、時間をかけて技術を身につけてしまえば、似たような作品ならば、いくらでも書けるようになってくる。
ただ、そこに疑問を感じてしまうのだ。
1つの料理だけ作り続けるわけではないとはいえ…
毎日、同じメニューのローテーション。それでいいのだろうか?という疑問が浮かんでくる。
お客さんの方だって、変わり映えのしないメニューに、いずれは飽きてしまうのではないだろうか?
けれども、通っていた定食屋さんが、いきなり味を変えてしまったら、どうなるだろう?
お客さんは、驚き、失望し、ヘタをすれば2度とそのお店には足を運ばなくなってしまうだろう。
ここが、難しい所。
今、書いている小説に満足しつつ、「もっと、別の作品に挑戦してみたい!」という思いはある。
あるいは、「同じ作品内で、もっと突拍子もない展開にしてやりたい!」という願望がムクムクと湧いてくる。
ただ、それを実行してしまってもいいものなのだろうか?
そういうジレンマが、常に心の底に存在し続ける。
*
それでも、僕は小説を書く。とりあえず、書き続ける。
“何も書けない”というコトほど、虚しい事態はないのだから。それは、最悪の状態。
それならば、“そこそこの小説”を書き続けて置いた方が、まだいい。たとえ、それが昨日と同じような展開、昨日と同じような作品であったとしても。
そうすれば、もっといい小説を書けるようになる日も、やって来るだろうから。
この1歩がなければ、次の1歩もない。
もちろん、その先も、さらに先も、永遠にやって来ない。
先に進むために、とりあえず足を進めておく。
それと同時に「これは、まだ理想ではないのだ」という思いも、常に持ち続けておかなければ…
お客さんに満足してもらえるモノを作りながら、新しい料理にも挑戦する。
これは、なかなか難しい。