僕は、小説を書いていて、ムチャをやる
僕は、小説を書いていて、結構ムチャをやる。
普通の人だったら、「絶対にやらないだろう!」という展開に、いきなり持っていってしまったりする。
たとえば、今回の「勇者アカサタ」である。
これ、どういう小説かというと…
基本的にはファンタジー。剣や魔法の世界を舞台にして、魔物を退治していく。最終的な目的は“魔王を倒すコト”と、なっている。
ま、王道といえるかどうかはわからないけれども、基本線としては、いわゆる“ファンタジー小説”から大きく逸脱してはいけない…はずなんだけど。それを、平気でやってしまう。
ファンタジーの世界であるはずなんだけど、突然、ミュージカルが始まってみたりする。芸術の話に飛んでいったり。労働問題とか、社会問題を追求し始めてみたり。
こんなコトをやったら、読者が離れていってしまうに決まっている。ヘタをすれば、小説自体がブッ壊れてしまいかねない。
普通だったら、こんなコトはしない。倒すべき敵がいるのだから、そちらを優先するだろう。あるいは、新しい敵を用意して、それらをバンバン倒していくストーリーにするに決まっている。
その方が爽快感があるし、読者も喜んでくれるだろう。きっと、読者数も増え、ポイントも獲得できる。
けれども、僕はそうはしない。あり得ない展開を、いきなり挟む。平然とそれをやってのける。むしろ、やらなければ、心が冷めてしまう。そうして、続きを書く気を完全に失ってしまうのだ。
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では、なぜ、そのようなコトをやるのか?
今回は、その理由と効果について説明したいと思う。
一番大きな理由は、“そうしないといけないのだ!”と心の底の声が叫ぶからだ。
でも、それだけじゃない。
もしも、あり得ない展開に持っていかなかったとしたら、どうなるか?それを考えてみよう。
それは、言い換えれば、平凡。ありきたり。普通。誰にでも書ける。それなりに、読者うけはするだろうけれども、どこかで限界が生じてきてしまう。壁を作ってしまう。そういう小説だ。
小説家としても、限界を作ってしまうことになる。ひいては、それが“才能の限界”となってしまうだろう。
だから、僕は破壊する。“目の前の読者”を捨てて、“将来の可能性”を取るわけだ。
1度ムチャをすれば、それがクセになる。「次もやってやろう!」という気が起きてくる。
また、読者の方も鍛えられる。そこで離れていってしまう読者も多いだろうけれども、それでもついてきてくれた読者には、さらなる衝撃と驚きを提供できるだろう。
「また、やりやがった!」
「なんだ、この作者は!?」
「頭がトチ狂っているのか?」
このような感想を抱かれるかも知れない。
けれども、それは、やがて、こう変わっていくだろう。
「いいぞ!もっとやれ!」
「次は、どんなコトをやってくれるんだ?」
「読んでるオレたちを、もっと驚かせてくれよ!」
こうなったら、しめたもの!こっちも、やりやすくなってくる!
「もっと!もっとだ!もっとムチャをやってやれ!誰も思いつかないような、誰にもできないようなストーリーや展開にしてやれ!キャラクターよ、もっと自由に動き回り、暴れまくれ!世界を破壊せよ!」
こうして、小説を書いている僕の方も、調子に乗ってくる。
ここで、奇跡の傑作が誕生するわけだ!!
もっとも、そこまで行くには長い時間がかかる。
おそらく、2ヶ月や3ヶ月では無理だろう。半年や1年でも駄目かも知れない。
けれども、何年も何年もかければ、必ずそのような状態に到達できる時が来る!読者と作者の信頼関係を築ける日が!
その日を目指して、僕は今日もムチャをやるのだ!!