第8話 悪役令嬢は今日も忙しないー父の説教がどんなものかとヒヤヒヤする。ー
レッドカーペットが長く続く通路をエリーサベト・モルベリがハイヒールで走り抜けていた。今日は悪役令嬢らしくと想像しながら、シックなデザインの紫と黒を基調としたドレスを羽織っていた。
数分前のこと、侍女のマーナに無理を言ってクローゼットから暗めの色を探してほしいと頼み込んだ。「ラブきゅん王子」のゲームソフトのパッケージにも描かれていた悪役令嬢のドレスデザインを見つけた時は、何故か心躍った。それを自分が着るとはと感慨深いものがある。
「どうかなさいましたか?」
「……ううん。大丈夫。これが着てみたくてね。ありがとう」
くるっと鏡の前で回って見せるとマーナに拍手をされた。まるでバレリーナのようだと褒められた。家庭教師のザンドラ・ピーロネンは眼鏡をかけ直して、回り方が不十分だと指摘をしてくる。レッスン中でもないのに厳しいご指摘に、マーナにペロッと舌を出してみせるとクスッと笑っていた。
「エリーサ! 聞いていますか?」
「あ、はーい。気を付けます。来週はバレエのレッスンありますものね」
「そうよ。姿勢良くね、回るのよ?」
「はいはい。分かっていますとも! それはそうと、お父様から呼ばれていたから行ってくるわ。今日は、絵画のレッスンがあるのよね!」
「えー、そうです。随分、ご機嫌ですね。エリーサ、オレリアン王様の話がいつ終わるか分からないのをご存じですか?」
「あ、そうね。でも、レッスンに間に合うようにすればいいでしょう? 確か午後からだから大丈夫なはず。ねぇ、そうよね?」
ザンドラ・ピーロネンは肩をすくめる。マーナはそっと笑みを浮かべるだけだ。
「え、だってね。今日の絵画のレッスンは、馬車でパトリックがいる王国まで行かなくちゃいけないのよ。時間がかかることくらいお父様も知っているわよね?」
「それは、前もってオレリアン王様にお話しになっていたのですか?」
「えー、ううん。昨日決まったことだったから。話してはないわ」
「オレリアン王様がお呼びになったのも、今朝だったのでは?」
「そうね……」
「長くなるお話であることは確かですね。オレリアン王様がエリーサをお呼びになる時というのは、決まってお説教ですから……」
「え?! 私、悪い事した? そんなに? 嘘でしょう。あ、ザンドラがリークしたんじゃないの?」
「いーえ、そんなことは一切しておりません」
斜め上を見ながら、話すザンドラ・ピーロネン。完全なる嘘をついている。いつも事あるごとに報告をするのは間違いないことだ。肩をぐっとつかんで揺さぶるが、ぐっと唇を嚙みしめて黙っていた。
「ずるいのよ、そうやって。ザンドラは。私の味方じゃないの?」
「……エリーサ様。落ち着いて!」
マーナがザンドラに攻撃をやめるよう、エリーサベトの体をおさえる。
「ねぇ、マーナは私の味方よね。ね、そうよね?」
「……え、ええ」
「え? マーナもそういう感じなの?」
「いえいえいえいえ!! そんなことは。いつでもエリーサ様の味方ですよ。安心してください」
「そうよね。味方がいなくちゃもう私生きていく価値ないなんて思ってしまうもの。良かった。マーナがそう言ってくれるなら、どんなお説教も聞けるもの」
「それは何よりです。大丈夫、エリーサ様はいつでもご立派に過ごしておりますから」
「マーナ!! 私、泣きそう!!」
マーナにハグをするエリーサベトは、ヨシヨシと背中を撫でられる。悪役令嬢の設定がよわよわメンタル令嬢だ。それもこれも、前世はごく普通な人間で人を傷つけることはしない分、ちょっとしたことで心が崩れてしまう。現代に生きる人そのものだ。そんなに強くなれない。ましてや、悪役になれるほどの器さえ持っていない。本当の悪役令嬢は、間違ったことをしても謝りも傷つきもせず、スルースキルしてしまうのだろうかと考えてしまう。
「エリーサ、時間ですよ!」
ザンドラ・ピーロネンは、腕時計に指を差して、エリーサベトを急かす。鼻をすすり、涙を拭いて気持ちを切り替えた。
エリーサベト・モルベリは呼吸を整えて、レッドカーペットの通路に出た。時間も時間で急がなくてはと駆け出した。父の説教はどんなものかと気が気ではない。




