第7話 厳しいバイオリンレッスンに参加する
鳩が飛び交う赤い三角のお城の窓を覗くと、バイオリンを悪戦苦闘で弾いているエリーサベト・モルベリの姿があった。演奏中に金髪のくるくる天然パーマがバイオリンの絃にひっかかってしまう。
音楽レッスン担当の講師ヨセフィン・ユーホルトは、黒い髪をおだんご頭にまとめたスタイルの良いプロのピアニストでもある。バイオリンもフルート、ティンパニーなど様々な楽器演奏に精通している。
パトリック・フェリデンとともにレッスンに参加できると思ったが、今日のレッスン受講者はバテドロン国の令嬢のハンナ・リドマンだった。乙女ゲーム「ラブきゅん王子」の設定では、エリーサベト・モルベリが、こっぴどくハンナ・リドマンをいじめるというシーンだった。だが、転生して中身は違う人にエリーサベト・モルベリは、絶対音感は絶望的で楽器演奏は初心者そのもの。
ゲームの中でかなり優秀でハンナ・リドマンをバカにするという流れだが、そんな設定の暗く重苦しい空気にならず、ふんわり柔らかい雰囲気は和気あいあいとした空間に変わっていた。バイオリンでミスをしても笑ってごまかして、和やかにするエリーサベト・モルベリの仕草で平和そのものだった。予想外な展開にハンナ・リドマンも一緒になって笑うしかない。
「エリーサ、頑張って。集中集中よ! 先生は丁寧に教えてくれるから」
「う、うん。ありがとう。ハンナ、私、頑張れそうな気がするわ」
「さぁ、エリーサベト様。次は盛り上がるところですから、丁寧に優しく弾いてみましょう」
エリーサベト・モルベリは、眼鏡をかけ直して腕組みをするザンドラ・ピーロネンとピアノで伴奏を弾く講師のヨセフィン・ユーホルト、横で両手を握って祈るハンナ・リドマン、ハンナ・リドマンの付き人であるイーリス・ベルイマンに見守れながら、深呼吸をしてバイオリンを弾く。何度練習をしてもどうしても高い『ミ』の音が出せず、かすれてしまう。間違うたびに弓に松脂を塗り手繰るが、そのせいで弾けないわけじゃないと皆が思ってしまう。
「がんばって! エリーサ」
「うん、頑張るよ! ハンナ」
泣きながら、応援を受け取るエリーサベト・モルベリだった。練習を始めてから5時間は経過していたが、成果はなかなか出ずだった。
―――「そろそろ、今日のところはおしまいにしましょう。あとは、自主練習で頑張ってくださいね。ハンナ様は大体のところは大丈夫そうですね。もう演奏会に行けそうです」
「ヨセフィン先生! 私は? どれくらいですか」
「……今の段階で私からは何とも言えないです。エリーサベト様、大丈夫です。少しずつ練習量を増やしていけば、きっとできるようになりますから」
「はぁ……まだまだできていないんですものね」
「元気出して、エリーサ。私もたくさん練習してやっとできたんだから。大丈夫、まだ始まったばかりよ」
「そうなの? うん、頑張ってみるわ」
ハンナ・リドマンの言葉に元気が出るエリーサベト・モルベリだった。さっきまで暗い顔がライトのように光り輝いた。その場にいたみんなが、ほっと安心した。
そこへ扉をノックする音が聞こえた。
「失礼します~」
「あー、パトリック!」
そっとレッスンの様子を伺いに来たパトリック・フェリデンは、ヨセフィン・ユーホルトの指導でバイオリンやピアノ、フルートをマスターした。今日は、オスタワ王国の出張レッスンに来ていることを聞きつけて駆けつけた。オスタワ王国とギノノ王国は、王室家族とどちらも仲が良く、お互いにしょっちゅう行き来していた。バテドロン国の令嬢でもあるハンナ・リドマンは、フェリシア・リドマン侯爵の妹でもあり、付き合いはさらにお互いに深くなりつつあった。
「久しぶりね、エリーサ。どう? 調子は。バイオリンのレッスンを始めたとオレリアンおじ様から聞いたわ。大丈夫なの?」
「パトリック、聞いて! 私、もうすぐ演奏会ができるかもしれないって言われたわ!」
「ハンナも一緒にレッスン始めたのよね。すごいじゃない。たくさん練習していたからだね」
エリーサベト・モルベリよりも早くハンナ・リドマンは話し始める。パトリック・フェリデンは、義理の妹でもあって付き合いは親密だ。エリーサベト・モルベリは、話そうした口をそっと閉じて後退した。後ろから静かに見守って微笑む。
エリーサベト・モルベリは家族に勝るものは無いのかとがっかりした。幼馴染という枠組みの仲はどうしても遠い。彼女が羨ましいとさえ感じてしまう。
パトリック・フェリデンは、ハンナ・リドマンとの話に夢中になって、少し後ろに下がったエリーサベト・モルベリの顔を覗きこむ。
「―――エリーサ、大丈夫? ハンナはね、ヨセフィン・ユーホルト先生にレッスン教わる前に独学で一年間ずっと練習していたのよ。私も少し教えることもあったけど、たくさん練習すれば、エリーサもできるから。頑張りましょう」
パトリック・フェリデンは、心配してエリーサベト・モルベリの両手をぎゅっと握った。めげずに頑張ってほしいという気持ちが届いてほしいと願った。
少し笑顔が消えたエリーサベト・モルベリの口角が上がった。




