第4話 心の内を見せるには相当の勇気がいるのです。
純白の毛並みの綺麗な鳩が一羽がお城の赤い三角屋根に向かって飛んで行った。窓から肌に触れる風が冷たかった。エリーサベト・モルベリは薄着のまま、涙を流しながら螺旋階段を駆け下りて行く。途中で筋肉ムキムキのキュリアクス・ゲウサに会ったが、心配そうな顔をしていたが、無視して通り過ぎる。それよりも何よりも今は行かなくてはいけないところがある。
昨日の舞踏会での出来事も影響したのか、昨夜の夢見が悪く機嫌が良くなかった。起きた瞬間から心のざわつきが止まらない。
この気持ちをどこに発散すればいいのかとキュリアクス・ゲウサを振り切って、階段を急いで駆け下りる。
「エリーサベトお嬢様! どちらに行かれるんですか?」
「今は何も言わないで。構わないでちょうだい!」
涙を流す姿を見逃せないキュリアクス・ゲウサは伸ばした手をおろした。そこへ指導教育本をどっさりと抱えたザンドラ・ピーロネンが通りかかる。かけていた眼鏡がズレてかけ直している。ザンドラ・ピーロネンさえも眼中に入ってなかったエリーサベト・モルベリは逃げるように走り去って行く。
「あら、キュリアクス。エリーサはどこに行くって言うの?」
「それが……何も言わなかったです」
「朝からどこへ行くって言うのかしら。あの服は部屋着じゃない。全く何度教えてもマナーがなってないんだから。もういいわ。追いかけるのも大変だから、部屋に行きます。キュリアクス、エリーサを見つけたらすぐに部屋に戻るよう言っておいてちょうだい。本当にもう……」
「了解です。ザンドラ、頑張りすぎは体に毒ですよ」
「……そんなの言われなくても分かってますよ」
ブツブツと文句を垂れ流しながら、10冊以上あるエリーサベトに向けた指導本は厚くて重かった。熱心に指導したいという思いがあったが、相手には届かない焼石に水である。マナー向上指導も簡単ではないことを身に染みて感じるザンドラ・ピーロネンだった。
一方、螺旋階段を駆け下り終わったエリーサベト・モルベリは、階段のすぐそばにある地下室に繋がる扉を力いっぱい押し開けようとした。頑丈なその扉は華奢なエリーサベト・モルベリにとって、立ちはばかる壁のようだった。
「むー……なんでこれ、こんなに分厚いのよ。全く、地下室に行きたいのに!」
何度もあれやこれやと力加減を挑戦しながら、開けようとしたがなかなか開かない。赤いじゅうたんの上に寝そべってめげそうになった。マラソン選手がゴールにたどり着いたくらいの姿に似ている。
「そんなところに寝そべるなんて、風邪を引きたいのですか」
「はぁ……もうこの扉が厚いから行けないのよ。そんなふうにいうのなら、すぐに開けなさいよね。ライナス!!」
細くても筋肉質なガードマンのライナス・ベストラは、寝そべるエリーサベトをしゃがんで覗いてみた。エリーサベトが幼き頃から務めてきた親戚のおじさんのような関係性で何でも気を許せる人でもある。
「いつも人使いが荒いんですよね。エリーサベトお嬢様は」
小声でつぶやきながら、地下室へ続く大きな扉を開けた。エリーサベトは頬を膨らませて怒りを見せた。
「そうやって文句言わないで開けてくれる?」
「失礼いたしました。懺悔室で話すエピソードが一つ増えましたね」
「うっさいわ」
修道院に繋がる地下室には、シスターが懺悔を聞くために鉄格子のしきりでファンデーションを塗りながら待ち構えていた。お互いに顔が見られない部屋の構造になっているというに顔の肌の色にこだわるのはなぜだろうと、エリーサベトはいつも感じていた。
「迷える子羊よ。神はお導きを授けます。ここで心を解き放ちましょう」
シスターは、両手を組み、目を閉じて祈りをささげた。エリーサベトも同様に深呼吸をして、祈りを捧げる。
「シスター、私の心のシスター。私を救ってください」
「ええ、救いますとも。さぁ、心を開いて」
「心が、心が今、ぞわぞわと落ち着かないの」
「ええ、ええ。それで、心を……」
「この辺がね。ぞわぞわして、朝起きたら、泣いていたわ」
「ええ、ええ……だから、心をですね。開いてほしいのよ」
シスターはなかなか本題に入らないことにイライラし始める。なるべく表情を読み取られないように怒りをおさえる。
「これを話すのに勇気がいるんだけども……私ね。本当は好きになってはいけない人を好きになってしまったの」
「え?」
さっきまで聞き続けるのが億劫だと感じていたシスターは興味津々に耳を大きくて聞き返した。予期せぬ展開に心臓の音が高鳴っている。
エリーサベトは、またもじもじと話そうか話すのをやめようか悩み始めた。
「……吐き出した方がすっきりするわよー!」
シスターは聞きたくて仕方ない。それでもなお、エリーサベトはもじもじとしている。
「シスター、本当に誰も言わないって約束してくれますか?」
「ええ。もちろんですとも。ここは誰かに漏らすことは禁じておりますから。吐き出しましょう」
「私……ずっと前からギノノ王国のパトリック・フェリデン夫人がたまらなく好きなの」
「…………」
シスターは体が硬直して何も言えなくなった。後ろ向きになり、床に屈んで頭を抱えて整理する。これは聞いちゃいけないことだったかもしれないと後悔する。でも、神様はそんな思考を望んでいない。心が葛藤し始める。無意識に体震えてくる。
「シスター? 風邪ひいたの? 確かに寒いよね。今日」
心配するのは私じゃなくて、自分でしょうとツッコミを入れたくなるシスターはじりじりと壁に体をひっつけた。
「……そのお話は、まだ続きますか?」
「シスター、一体どうしたの? もちろん、まだ続きますよ?」
聞く勇気もなく、何も言わずにバタンと扉の閉まる音が響いた。エリーサベトはトイレにでも行ったかもしれないと解釈してシスターが戻ってくるのをじっと待っていた。数時間後、待てど暮らせど誰もやってこない懺悔室。窓の外でカラスが鳴いている。夕日が沈みかけている。
「ちょっと待って! 今日、パトリックと会う予定だったのに、時間過ぎてるじゃない!!」
窓の外の景色を見て、時間を把握したエリーサベトは、ずっと懺悔室に籠っていたことを後悔した。相談する必要はなかったなと開き直った。
「もう、私ったら、一体何をしてたのかしら!」
部屋に戻ると、エリーサベトは一体どこに行ったんだと行方不明騒動と化していた。ザンドラ・ピーロネンの怒号がお城全体にまで響くくらいだった。エリーサベトは、朝も夕方も涙は止まらなかった。
「わーーーーーーん! もうやだーーーー」




