第9話 誰のための競技なのか興味さえもわかなくなった
競技の開始合図であるピストルの煙が空にモクモクと浮かんでいた。雲が浮かぶことのない晴れた青空に鳩が高い木に飛び立つのが見えた。
今日は、フェリシア・リドマン侯爵とダリウス・リドマン伯爵が、兄弟仲良く馬場馬術競技に参加していた。フェリシア・リドマン侯爵は、婚約者であるパトリックと、些細なことで喧嘩をしてから一切会話をしていない。そんな中での競技だった。不機嫌そうな顔でパートナーの競技馬である雄のアローグレイの頬をそっと撫でた。観客席には実母のヴァランティーヌとパトリックが隣同士に並んで座っていた。
「――パトリック、そろそろどうなのかしら。正式な契約はまだ取り交わしてないようだけど……証人はあたくしで良いわよね」
「ああ……婚姻のお話ですよね。本当にフェリシアは私で不服ないのかしらといつも感じます。お母様、私は、本当にこのバテドロン王国に嫁ぐことに問題ないですか?」
「……あたくしにそれを聞くの? ちゃんちゃらおかしいわ。笑っちゃう」
持っていた白く豪華な扇子で顔を隠す。側近が日陰にと用意した傘がぐらりと動いた。
「聞く相手を間違えましたね。私は今でも決めかねています。不安でいっぱいですね」
「そう? こちらは何でも良いのよ。決めて貰えれば何だって。貴女でも貴女じゃなくても、あたくしに決める権利は無いのよ。最後に決めるのはあの子なんだから。楽しみにしてるわ、二人の初夜を。ふふふ」
貴族の証人は婚姻を取り交わした二人の初夜で、肌を触れ合ったかどうかを確認する証人が立ち会う風習がある。ヴァランティーヌも婚姻当初は義母に初夜をここぞとばかりに見せつけていた。当時ライバルが多かったため、婚姻を勝ち取るのは至難の業であった。姑に気に入られることも一つの仕事だ。それを知ってか知らずか、じっとパトリックを睨みつける。何のダメージも与えてないと分かると、息子の競技姿をこの目で見ようと必死になった。
パトリックは、既にこの家に嫁ぐのは合わないんじゃないかと指南していた。優しくしてくれると思っていた義母との関わりに頭を悩ます。パトリックは、一流のマナー講師に指導されて、ここまで上り詰めてきたが、組織の蓋を開けてみると、がっかりした。いくら総資産が多額であろうと、人間関係が良好であるとは限らないことを知る。有能な嫁を連れてきたと騒ぎ立てて、喜んだヴァランティーヌも彼女を試すような行動をするようになった。底意地悪い性格に嫌気がさした。
「フェリシア、ダリウス! 頑張りなさいよ!!」
持っていた大きな純白の扇子を振って応援する。横で膝の上に手を乗せて静かに目をつぶり、応援しようともしないパトリックがいた。頭の中の何かがプツンと切れた音がした。
「全く、大丈夫かしら。この試合に勝てないと意味がないっていつも言ってるのに……ねぇ、パトリック。貴女もほら、応援……あら、あの子一体どこに行ったのかしら?」
「パトリック様は席を外しますとおっしゃってましたよ」
「ああ、そう。全く、これからが良いところなのに、何をしてるのかしら」
試合会場では、フェリシア・リドマン侯爵が愛馬であるアローグレイに跨り、濃紺色の燕尾服とシルクハットを身に着けていた。これから始まると言う時、歓声が最大に盛り上がっていた。拍手が鳴りやまない。そんな状態の中をすり抜けて、パトリックは下唇を噛みながら、そっと会場から抜け出していた。
エリーサベトがいるオスタワ王国に行く1週間前の出来事だった。




