第6話 安心の幸福感
窓から眩しい光が差し込んだ。窓の外では白い鳩が三羽飛び交っている。中庭では侍女たちが花壇に水やりを始めていた。風が少しだけ冷たく吹いていた。侍女のマナとジェーンは、寒い外でも楽しそうに水やりをしていた。
ゲストルームの大きなベッドに熟睡していたパトリックの横で顔を見ながら座って寝ていたエリーサベトは、目をつぶりながらくしゃみを大声で吐き出した。
扉をノックする音が響く。それに気づかず、むちゃむちゃと唇を舐めるエリーサベトに、ノックに気づいたパトリックが先に返事をした。
「はい。どちら様ですか?」
「あ、パトリック様ですね。おはようございます。ザンドラです。体調はいかがですか?」
扉の向こう側から心配そうに声をかけるのはエリーサベトの家庭教師ザンドラだった。眼鏡をかけ直して、耳を澄ます。さらに隣にはキュリアクスの姿もあった。
「あー……えっと、大丈夫です。ご心配をおかけして申し訳ありません。それよりも、エリーサが風邪を引いてしまうわ」
「え、そちらにエリーサお嬢様がいるのですか? まぁ、どこを探してもいらっしゃらないと思ったら! すいません、中に入ってもよろしいでしょうか」
「え、ええ。どうぞ」
ふとんの中に入ったまま、パトリックは返事をする。未だ、エリーサベトはいびきをかいて熟睡している。物凄く安心した顔をしている。パトリックのそばにいることが願いだったエリーサベトにとって、この上ない幸福感を味わっているようだ。夢は一体何を見ているのだろうか。ザンドラはしばらく様子を横から伺う。いつもザンドラの前では張り詰めて緊張した顔をよくしていたが、緩みっぱなしで気味が悪かった。
「まぁ! なんと、お嬢様はだらしない顔をなさるのね」
ザンドラは苦虫をつぶすような顔をする。癒しとなっていない自分とパトリックとのそばにいるエリーサベトの姿に激しく嫉妬する。本音を隠して嫌味を放つ。
「……ふへ!? ザンドラ? な、な、なんでここに?」
「エリーサ? 昨夜からずっと私のそばで寝ていたのよ。覚えてない?」
パトリックはそっと肩に手を添えて、話す。それだけで癒されていたエリーサベトは何も言えなくなる。顔の周りに花が咲くように笑顔がこぼれる。
「エリーサ様! 会話が成立しておりませんよ!」
「は!? なんと、まぁ。ザンドラ。私は、パトリックと一緒にいるわ」
「え、ええ。そうですけども……って、どうしてお部屋にお戻りにならなかったのですか。ここでは風邪を引きますよ」
「あー……パトリックが心配だったから、ついつい一緒に眠ってしまっていたわ。でも、珍しいわね。ザンドラが心配するなんて! へへへ」
いつも叱ることしか考えないザンドラの優しさに触れて嬉しくなるエリーサベトだ。さらにその横で何も言わずに腕組みをして立つキュリアクスがいた。
「あら、キュリアクス。昨日はありがとう。おかげさまでパトリックも元気よ」
「何よりでございます。パトリック様」
「ええ、感謝いたしておりますわ。キュリアクスさん」
パトリックは丁寧にお辞儀するとキュリアクスも欠かさずぺこりとお辞儀する。すると、エリーサベトはまた大きなくしゃみをして、鼻を指でこすった。
「エリーサ様。お風邪を召しておりますよ。もう、着替えてベッドでお休みください」
エリーサベトの両肩をおさえて、誘導するザンドラにパトリックは同意する。
「そうよ。その薄着のままでは熱が出てしまうわ。私は大丈夫、ここにいるから休んでおいで」
「え!? 本当? どれくらいここにいてくれるの?」
「それはわからないけど、とりあえずはエリーサの風邪が治るまではいるから」
「嬉しい! え、ちょっと待って。風邪が治ったら、帰っちゃうってこと。んじゃ、ずっと風邪をひいておかなくちゃ。水風呂でも入ろうかしら」
「エリーサ様!?」
鬼の形相のザンドラにエリーサベトはそそくさと逃げる。パトリックはそんなことしなくてもちゃんとここにいるとジェスチャーで伝える。冗談で言ってるのを真に受けてしまうのがザンドラだ。キュリアクスだけパトリックの部屋に残って、そっと近づいた。
「エリーサ様はとてもパトリック様のことを心配されております。気にせず、心落ち着くまでこちらにいらっしゃってください。エリーサ様は、パトリック様のお話もしっかりとまだお聞きになっておりませんし、護衛に関しては私がしっかりとお務めいたしますのでご安心ください」
「ありがとうございます。お言葉に甘えさせていただきます」
「それでは、失礼いたします」
キュリアクスは、扉を静かに閉めて、扉の外側に立ち、立てかけていた槍を持った。護衛任務の開始だ。パトリックは安心してふとんを体にかけて目をつぶった。心穏やかに眠ることがどんなに幸せなことか身に染みて感じる瞬間だった。
一方、部屋に戻ったエリーサベトは服を着替えると、両頬を赤くしてふらふらと頭を動かしていた。侍女のマーナがエリーサベトの額を触る。
「お嬢様!? 発熱しておりますよ。ただいま氷水をお持ちしますね」
「へー? 嘘ぉ。違うわよ。これはパトリックにお熱ってことでしょう……へへへ」
ふらふらが止まらない。目もぐるぐるしている。顔全体が赤くなっている。ザンドラは両手を挙げて呆れた顔をしていた。
「困ったお嬢様だわ。今日のレッスンはすべて中止ね。オレリアン王様に報告してくるわ」
「ちょ、ちょおっと、待って。ザンドワぁ!」
「私はザンドラです。どうされましたか、エリーサ様」
「パトリックのことなんだけど、まだお父様には言わないでおいて。事情を聞いてないから。お願い」
急に正気に戻るエリーサベトにザンドラは拍子抜けする。両手を合わせて懇願するエリーサベトはとてつもなく可愛く見えた。ザンドラは後ろ向きで答える。
「当たりまえですよ。パトリック様に何もお聞きしていないのにお話できませんわ。とりあえず、レッスンが中止でエリーサ様が熱を出したことだけ報告に行きますね」
「……そうすてちょうだいね、おやすみなさひ」
パタンと床に崩れ落ちるエリーサベトに、慌てて体を起こし、ベッドに寝かすザンドラだった。なんだかんだ言いつつ、エリーサベトには優しい。マーナはいつもと違うザンドラの仕草に驚いていた。
「なに、何かついている?」
「いえ、何でもないです」
「そ、そお? それじゃぁ、エリーサ様のことをよく見ていてね」
「はい、かしこまりました」
ザンドラは、マーナに声をかけると、着ていた服を整えて、背筋を伸ばした。いつも通りの自分を取り戻した。扉を開けてハイヒールの音が廊下を響かせていた。




