第3話 一緒にいる時間は短かった
オスタワ王国の赤い三角屋根の上では、純白の鳩が空を見上げて、飛び立っていく。
今日はフルートレッスンの日であった。 エリーサベト・モルベリは、時間ギリギリにスコアブックを持って、城内にある音楽レッスン会場に向かった。レッスンすることよりも久しぶりにパトリック・フェリデンに会えることが楽しみだった。忙しい公務の中での唯一の楽しい息抜きでもある。
講師担当のヨセフィン・ユーホルトは超有名一流大学を卒業した最高級の音楽家である。各地での演奏会は超満員。この人に楽器を持たせたら、ドル箱だと目を光らせるものも多い。そんな中、オスタワ王国では、高額な講師料を払い、ここ周辺の令嬢たちをお城に召集して、月一回の音楽レッスンが開催されていた。
ヨセフィン・ユーホルトはピアノの椅子に座り、メトロノームをつけてタクトを振る。それに合わせて、令嬢たちは練習していたそれぞれのパートを演奏する。リズムに合わせて、ピアノとフルートのセッションが始まった。真剣な眼差しのヨセフィン・ユーホルトに生徒の皆はこれで大丈夫かと不安になるくらいにフルートを持つが震えていた。
「あ、間違った」
エリーサベト・モルベリは前世でも楽器演奏をしてきたことがない。覚えるのにものすごく時間がかかっていた。音階を何度も間違えるたび、周りの皆にペコペコと頭を下げていた。
キムカティ帝国の令嬢であるエウルア・ノスロピは、運動音痴であったが、ひとたび楽器を触らせると人が変わったようにピエロになったような軽快な足取りで演奏する。ダンスも交えて演奏するほど。一人マーチングバンドかなと周りが引くくらいだった。自分ができることをアピールしてマウントをとり、鼻高々だった。さらにエリーサベト・モルベリへの圧力は相当なものだった。
「ちょっと、そんなに近づいてこないでもらえる? 演奏しづらいわ」
「いいじゃない、別に! もう。こっちは楽しくやってるんだから」
「見れば分かるけど! 合奏なんだから、周りも考えて演奏してちょうだいよ」
「何よ、エリーサ! あんたは本当に許さない」
「……な?! 私が一体何をしたっていうのよ」
二人の口喧嘩が繰り広げられていた。ピアノを演奏するヨセフィン・ユーホルトは悪魔のような目を光らせ、何も言わずにエリーサベト・モルベリとエウルア・ノスロピと両手でそれぞれの首根っこをつかんで、部屋の外に追い出した。ドアをバチンと勢いよく閉められると、手をパンパンとたたく音が響く。
「さぁ、仕切り直して続きを演奏しましょう。パトリック様。先ほどの演奏、とても綺麗でしたよ。えっと、ハンナ・リドマン様。上達なさっておりますね。前回のレッスンと比べたらとても素晴らしい成長ですわ」
「「ありがとうございます」」
二人は申し訳ないくらいに何度もお辞儀をしてお礼を言った。 ヨセフィン・ユーホルトに褒められるなんて、夢も思わない。自主練習を熱心にした甲斐があったと二人は顔を見合わせて安堵していた。
一方、その頃。廊下に追いやられたエリーサベト・モルベリとエウルア・ノスロピは外に出されてしばらくぼんやりとお尻をついて座っていた。膝を抱え始める。エウルア・ノスロピは涙を流し始めた。
「貴女が悪いのよ! そうやって、私の邪魔をするから」
「はぁ?! ちょっと待って。私がいつ邪魔をしたの? むしろ、そっちの方でしょう?」
さらに涙が止まらないエウルア・ノスロピにエリーサベト・モルベリは言い過ぎたのかとしばし沈黙を貫く。
ぐすんと鼻をすすった後、静かに話し出した。
「リオンが私に話しかけに来なくなったのは、貴女の存在があるからよ」
「へ?! 今のレッスンに全然関係な……」
「……貴女が随分前の晩餐会に参加なんてするから。今までずっと私とべったり一緒だったのに、エリーサが可愛いとか私は違うタイプの顔だとか、言われて……もう、あんたなんか消えちゃえ!!」
鼻水ずるずる、涙がダダ漏れで消えたファンデーションから見えるそばかすが浮き出てきた。
ロマレウ帝国の令息であるリオン・クニーゼ子爵に恋焦がれているキムカティ帝国の令嬢エウルア・ノスロピは年に3回開催される周辺王国の集会でもある晩餐会に出席した。
その時に、リオン・クニーゼ子爵はゲーム既存設定ではエウルア・ノスロピにメロメロの一途な恋愛模様だったが、何かシステムの不調か予期せぬストーリー設定ミスか、リオン・クニーゼ子爵はエリーサベト・モルベリにゾッコンになってしまった。
エウルア・ノスロピは、他にお好みのお相手が見つからず、不満だらけのエウルア・ノスロピは、エリーサベト・モルベリに八つ当たりをしていた。
「……ええ、貴女の前から消えますね。んじゃ、さようなら」
相手にするだけ無駄だろうと感じたエリーサベト・モルベリは素直に言うことを聞いた。それよりも何よりもパトリック・フェリデンとの交流を増やしたいと、さっきのレッスンの部屋に入ろうとしたが、しっかりと鍵をかけられていた。
「あ……あーあ」
開けようとしていた扉のドアノブに手をかけてがっかりする。さっきまで泣きじゃくってこっちに来るなと騒いでいたエウルア・ノスロピは無言でエリーサベト・モルベリの後ろのスカートの裾をしっかりつかんでいた。
「進めないんだけど?」
「ええ」
「ちょっとぉ!」
「行かせないわよ。自由になんてさせないから」
「はぁ?! 何を言ってるの?」
過剰な嫉妬からの束縛にエリーサベト・モルベリは動きたくても動けない。自由に行動することができなくなった。せっかくの貴重なレッスンの時間が聞きたくもないエウルア・ノスロピがどれだけリオン・クニーゼ子爵に尽くしたかの話を聞かざる得なかった。逃げ出してたまらない。フルートレッスンはごくごく順調に執り行われていた。
レッスンが終わりそうな時間にバテドロン王国のフェリシア・リドマン侯爵がパトリック・フェリデンを迎えにやってきた。これでもうエリーサベト・モルベリはパトリック・フェリデンと二人きりで会話する時間を失った。この世の終わりかというくらいの衝撃的な顔でフェリシア・リドマン侯爵に近づく。
「どんな顔をしてるんだよ」
元は幼馴染でもある関係性。気さくに会話できる。その様子を見ていたエウルア・ノスロピはさらに面白くない顔をする。
「私は元々こういう顔をしてるんです!」
「ああ、そう。それは大変な顔だな」
「いーえ」
「なんで、レッスンに参加してないんだ?」
「あー、いろいろあってね。休憩よ、休憩。あまりにもうまい演奏でレッスンしなくても大丈夫ですって」
「はぁ? 嘘だろ。その冗談おもしろくないな」
「そう? 面白いと思って言ってないから」
そんなやり取りをしていると、レッスン部屋の扉がガチャリと開いた。
「お疲れさまでした。とても良い演奏でしたよ」
「ありがとうございます。先生のご指導のおかげですよ」
「私も自主練習いっぱいして頑張りますね。本当にありがとうございました」
パトリック・フェリデンとハンナ・リドマンは笑顔で部屋から出てきた。エリーサベト・モルベリとエウルア・ノスロピは羨ましい顔を何も言えなかった。
「ほーら、違うじゃんかよ」
「うっさいわね」
フェリシア・リドマン侯爵とエリーサベト・モルベリはボソッとつぶやいた。
「エリーサ、次は一緒にレッスンしましょうね」
「あ、ええ。そうね。また会えるの楽しみにしてるわ」
本音はもっと会話をしたかったエリーサベト・モルベリは、フェリシア・リドマン侯爵の腕を組むパトリック・フェリデンに手を振って別れを告げた。
体裁上、仲の良い夫婦を演じていると思っているのはパトリック・フェリデンが無表情で立ち去った。
せっかくのレッスンで渡すはずだった焦げパンのキーホルダーは、エリーサベト・モルベリの服のポケットの中に入ったままだった。
渡せなかった悲しみを残したままレッスンは終了した。




