第2話 パトリックの笑顔を想像していた
調理場は戦場と言われたことが気になりつつも、出来上がった黒焦げパンを袋に入れて、自室に持ち帰ってきた。ひらめいたことをやりたくて仕方ない。ご機嫌に部屋の扉を開けると、この世のものとは思えないオーラが部屋いっぱいに広がっている。空気が重い。眼鏡がきらりと光った。
「エリーサ!? 一体どこで何をしていたと言うのです!????」
鬼のような形相で家庭教師のザンドラ・ピーロネンが珍しく大声で怒っている。怖すぎて、顔を見ることができない。エリーサベトはあえての壁際をカメレオンのように隠れたつもりでそろりそろり移動した。視線はもちろん、壁の方。
「エリーサ?」
冷静な声でもう一度聞く。なんの反応もない。ザンドラは、怒りをぶつけた自分が馬鹿だったと大きなため息をついた。
「ええ、ええ。私の感情的になったことは意味がないですわね。怒る必要はないです。そう、私は、冷静に……」
エリーサベトに話しかけていたつもりがいつの間にか独り言になっている。誰も聞きやしない。やはり、怒りが湧き出てくる。
「ちょっと、私の話を誰も聞かないって言うの?!」
「……私が代わりに聞いてあげましょう。どうしたんですか」
エリーサベトの後ろを着いて追いかけてきたキュリアクスが、ザンドラの肩に触れて言う。
「キュリアクス、私は感情的になる理由も分かるでしょう? エリーサのレッスンを真剣に考えているんです。家庭教師としての務めを……そして、マナーレッスン……いえ、怒りはマナー違反だわ。ダメ、こんなんじゃ、私、ダメな気がするの」
「大丈夫ですか、ザンドラ。お疲れでいるようだから、今日は休んではどうだろうか。私が代わりにエリーサベト様を見ておく。一日くらい休んでも、誰も言わないだろう」
「……キュリアクス。そうね。あまり、追い詰めすぎていたかもしれないわ。今日はお言葉に甘えて、そうさせてもらうわ」
「ああ、任せておきなさい」
ザンドラは、キュリアクスに仕事を任せると部屋をそっと出て行った。洗濯物を終えた侍女のマーナがザンドラと交代するように中に入ってきた。
「お嬢様。お洗濯を終えたお洋服をタンスに入れておきますね」
「あ、マーナ!」
さっきまでザンドラの怒りからどう逃げるかを考えていたエリーサベトは、ドレッサーの上で何か作業をしていた。黒焦げパンをどう生かすのかとひらめいたのは、現代では当たり前に使われている樹脂と呼ばれる素材を使って、パンの上から塗り固めていた。もう食べられないことを承知の上で、樹脂で固めることをひらめいた。
「見て、これ。すごいでしょう?」
「な、なんですか。これは。固まってる? 黒焦げパン?」
そっと固まったパンを触るが少しだけブニッとしていた。
「これは、アクセサリーよ。かわいいでしょう。バッグにつけたり、鍵をなくさないようにつけておくのもいいわね」
「く、黒焦げパンが”かわいい”?」
マーナはエリーサベトの感覚が分からなかった。焦げたパンは廃棄処分するのが一般的でアクセサリーとしてとっておくという発想はどこにもない。
「だって、私の作ったパンよ。大事なのよ。この世に生まれた初めて私の作ったパン。食べることはできないものになってしまったけど、こうやって半永久的に残すことができるの。飾っておけるしね。これ、いいと思わない?」
現代の記憶を持つエリーサベトの前世は日本人である。考えることは未知数にあった。中世ヨーロッパでは思いつかないことが出てきてしまう。マーナとキュリアクスは、頭にたくさんの疑問符だらけだった。
「エリーサベト様、確認ですが、そちらはどなたかにプレゼントされるのですか?」
「え? もう、なんで分かっちゃったの。もちろん、パトリックによ。私の記念すべき焦げたパンアクセサリーを一緒に供養してもらわないと!」
「く、供養?」
「そう、大事にするって意味ね」
ドヤ顔でアピールする。キュリアクスは両手で落ち着かせようとする。
「お嬢様、それはちょっと……」
「え、どういうこと?」
「パトリック様は、お望みではないかと思われますが……」
「そ、そんなの、やってみないとわからないじゃない! いいの。私はパトリックに見てほしいから。あ、そろそろレッスンの支度をしなくちゃ。ちょっと、キュリアクス! レディの着替えをずっと見ているのかしら?」
「あ、あ、いえ。そ、そ、そんなつもりは毛頭にございません」
キュリアクスは、バタンと慌てて扉を閉めて出て行った。マーナはエリーサベトの着替えにそのまま付き添った。それでもマーナを頭の中では黒焦げパンを誰が欲しいと思うのかと悩ませていた。
「かわいいって言ってくれるといいなぁ……」
「……」
マーナは、返事もせずにエリーサベトのコルセットをきゅっと締めた。
「ちょっと痛いわよぉ」
「あ、失礼しました。もう少し優しくしますね」
「うん、そうしてもらえると嬉しい」
エリーサベトは、マーナにひどいこと言ったかと考えるが、何も思いつかなかった。




