第1話 エリーサベトのひらめきは突然に
清潔感溢れるオスタワ王国の超一流シェフたちが集まる広い調理場は、最高級の調理器具でいっぱいだった。これからディナーの仕込みが始まるというのに、調理場の端の方で何やらガヤガヤとシェフたちが集まっていた。
「お、お嬢様。そんな、それは私たちが調理いたしますので、あ、あ。無理なさらずに!」
「そうですよ、エリーサベトお嬢様。お料理はこの超一流シェフのメルヴィン・エモンにお任せくださいませ」
「何を言うか。一流なのは私もだぞ。さあ、さぁ。エリーサベト様。パン作りなんて、素敵なドレスが汚れてしまいます。調理場は戦場なんですよ?」
若き料理長のメルヴィン・エモンは金髪でスタイルも良い。オスタワ王国の侍女たちの間では人気者のシェフだった。いつもライバル視するヨアン・アセルマンは副料理長で、黒髪の体格の良く筋肉質。仕事終わりにトレーニングジムに通うのが日課である。顔は彫りが深い。見た目はかっこいいはずが、誰も寄り付かない性格をしている。デメリットは、神経質というところだろうか。清潔感を常に考えなくてはいけない調理場がゆえに人に対する思いも細かすぎるところがあった。
「そんなの、わかってますよぉ。でも、いいじゃない。今日くらい。私だって、料理くらいできていないとさ。誰にもご馳走もできないじゃない」
「ご馳走? お嬢様? 何をおっしゃるのですか。ここに超、超一流シェフがいるんですよ。私を超えるなんて、無理なお話です。プロに任せてくださいよ。ね」
「え、え。ちょっと、待って。待ちなさいよ」
ぐいぐいと背中を押されるエリーサベトは、作りかけの材料が気になって仕方なかった。パン作りに必要な小麦粉、砂糖、塩、バター、イースト菌を城下町の商店街で仕入れてきていた。それをそのまま、まな板の上に乗せている。これからって時に邪魔をされてしまう。もやもや気持ちのまま立ち去りたくない。ぐいぐいと出口の扉の前で立ちはばかる。
「エリーサベトお嬢様。こちらにいらっしゃいましたか。探しましたよ」
「あ。キュリアクス。待っててって言ってたはずでしょう。どうしてここに来たのよ」
調理場に戻ろうとした時、いつも怒らないキュリアクス・ゲウサでさえも怒りを見せていた。腕組みをして、じっとこちらを見ている。冷や汗がとまらない。
「だ、だってぇ。どうしても、パン作りがしたくなったのよ。自分で作って誰かに食べてもらったパンはこの上ない幸せでしょう?」
「それはそうかもしれませんが、貴方様はこのお城のお姫様。パン作りなんて、どこの姫がなさるのですか!?」
「えー?! そんなに怒られることなの?」
「あー……私らしくないしかり方をしました。これはザンドラの真似です。と言いますが、そのようにしかれと言われました」
「……ぷっ! 面白いわね」
エリーサベトは口をおさえながら、笑いがとまらない。何を言われてもパン作りはやるという思いが強くて、シェフたちをかきわけて、まな板の上で混ぜてこねた粉をさらに練り始めた。
「あのー、私たちはこれからディナーの準備に入るのですが、よろしいでしょうか」
「……だから言ってるでしょう。私はこれを作るまで出ていかないわ。ゴホゴホ」
小麦粉が吹き飛んでむせてしまう。成形はまずまずの出来だった。生地を寝かせるベンチタイムだ。エリーサベトは、パンの出来上がり工程に嬉しさを増す。
「……キュリアクス様。どうにかなりませんか」
料理長のメルヴィン・エモンは、ため息をついてキュリアクス・ゲウサに問いかけるが、彼は肩をくすめることしかできなかった。初めて作るパンは形は多少崩れていたが、どうにか膨らんできたようだった。ここにいるエリーサベトはザンドラがいないせいなのか生き生きとそして絶えず笑顔であった。ディナーの準備はいつもより遅れていたが、それでもいいかと納得させるキュリアクスだった。
「お嬢様、確認したいことがございます。そちらのパンはどなたに召し上がってほしいのですか?」
「……あ! キュリアクス。いいことを聞いてくれたわ。これはね、パトリックに渡すのよ。フルート演奏のレッスンがあるからその時に渡そうと思っているの!」
「そうなんですね。それはいいですね。さぞかし喜ばれることでしょう。パトリック様はお優しいですからね」
「え、それって私は失敗する前提で話進めている?」
「いえ、そんなことはございません」
棒読みでしかも無表情で話すキュリアクスはオーブンをちらりと見つめる。焦げ臭い匂いが周辺に広まった。
「え、え。まさか、私のミス!? そんなはずはないわ。レシピ通りにやったはずよ。ちょっと、メルヴィン! あなたね。オーブンの温度いじったわね」
「へ?! 私は何もしておりませんよ。何を根拠に……」
「え!? 何もしてないってどういうこと。お仕事きちんとしなさいよ。もう、パン作り成功すると思ったのに……」
オーブンの蓋を開けると、コロコロと真っ黒いパンが出てきた。焼きすぎたのかもしれない。
「これじゃぁ、渡すことができないわ……」
「黒こげのままで良いのであれば渡せますね!」
「ちょっとぉーーそれどういう意味?! おいしくないもの渡せっていうの?!」
「仕方ないですよね。こうなってしまっては……」
「あ、私、良いこと思いついちゃった」
さっきまで悲しんでいたエリーサベトはポンと手のひらをたたいてひらめいた。バットに焼き立ての黒焦げパンを乗せて、くるりとダンスしながら調理場を後にした。
やっとこそ、平穏な調理場になるとシェフたちは大きなため息をついて安堵した。
キュリアクスは深くお辞儀をして、立ち去った。
ディナー作りが慌ただしく始まった。コンロの火が付いた。
鍋に入った水がだんだんブクブクと空気を生み出していく。




