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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

短編ホラー

みそぎ

作者: 壱原 一

きっちり刑期を終えたのに理解できない輩が多く、しつこい嫌がらせが相次いで又もや職を失った。


これでは一体なんの為に法に服したのか分からない。


儘ならず苛立つ胸の内を、常の如く支援団体の人へ切々と打ち明けていると、見兼ねた支援団体の人が特別なみそぎを行える所をそっと紹介してくれた。


かつて自分と同じ境遇で禊を行った人達や、その人達を手伝いたい親しい人達、及び篤志とくしの人達が全国各地に居て、禊を行えば後の面倒を色々見て貰えると言う。


場所や時間に限りがあるし支援団体とは無関係なので、お眼鏡に適った本当に必要な人にだけ紹介しているとのこと。


暫く外部と連絡を絶って泊まり込みを要するそうだが、スマホもアパートも料金の支払いに窮していたので寧ろ都合が良い。


漸く報われる気持ちで指定の日時に駅前へ向かい、迎えの車に乗って住宅街のマンションに着く。


持ち主兼管理人が篤志の人達の1人で、マンションの下半分、計28室が禊用に確保されているらしい。


予告された通り外部との連絡を絶って、運ばれて来る家庭料理と水差しの水のみを摂り風呂に入って寝るだけの生活を、寝具や身嗜みの用具以外なにも無い部屋で繰り返す。


窓は採光の上辺を残して綺麗に塞がれていて、硝子に目隠しシートが貼られ外は見えずとても静かだ。


テレビやタブレットは元より、カレンダーも時計も本も無く、外出は必ず防犯カメラに撮られて話が流れる約束の為、早寝早起きに加えて暇に飽かせて運動に励み生涯随一健康的な好調に至る。


同時に外からの刺激が乏しく注意が内へ内へ集まるのか、夢も見ない心地よい熟睡に始まり、何か夢を見た風な起き心地を経て、間も無く幼少から現在までの断片的な記憶や象徴の夢を見たと、起きても覚えているようになる。


飲食とそうした夢以外は一切が凪いでいるので、飯も水も丁寧に味わう。


夢は頻繁に思い出し、前後を辿ったり、細部を掘り下げたりして、寝しなに声を想起したり、起き抜けににおいを嗅いだり、腹筋運動に上下して線状に振れる視野の隅へ、ぱんぱんに顔を腫らして壁にもたれてくずおれる□の姿を見たりする。


楽しみに心を躍らせていそいそ持ち上げた丼ぶりが、弛緩し切ってずっしり重い濡れた後頭部だったりする。


風呂の折れ戸を開いた影でうずくまる□が謝っていたり、ふと鼻の奥が鉄臭くなり指の背で鼻の穴を拭うと□が最後の方に吐いた血の塊が付いたりする。


スタッフに伝えると、自然な経過だと教えられる。乾いて荒んだ心身が健やかに潤い行くに連れ、性根や骨肉に浸み込んだ罪や穢れが浮き上がり、禊によって洗い流す準備が整いつつあると。


辺りが輝く心地がする。


本当に洗い流せるのだと目の覚めるような実感が湧いて解放感に胸が震える。


あれ以来、陰気に籠もって澱んだ世界が、すっかり洗い清められて鮮やかに息を吹き返す。


人生を取り戻せるのだ。


どれほど辛く苦しくても、きちんと裁判を受け、しっかり罰を終えておいて良かったと心から思う。


そうでなければ支援団体の人に出会わず、此処を紹介される機会も無く、こんなに朗らかな気持ちは一生得られなかっただろう。


俄然、意気を新たにして、益々くっきり浮かび上がる罪や穢れに満足を覚えつつ過ごす。


いよいよ自分の禊の番が回って来た。


*


当日、飯を食い終えて何時もの水差しから水を干す。


スタッフが7人も部屋に来て、手際よくブルーシートを張り巡らす。


遂に始まった禊への期待に脈が上がり足元が覚束ない。スタッフが動き回る毎に部屋の空気が厳かになり、両隣と上下の部屋から薄ら笛の音が聞こえ出す。


天井や壁や床の全面が柔らかく発光し始める。


手持無沙汰に突っ立って役に立たない奴らも居て、そいつ等はみんな□の声で謝り色んな汁を垂らして臭い。


慣れているので恥ずかしがらずと至って静かに促され、無論はやく洗い流して欲しいので服を脱ぎ仰向けに寝る。


23人のスタッフは半透明のレインスーツと青い手袋と白いマスクを身に付けている。台所でしか見掛けないステンレスのボウルやバットを抱え、ステンレスのお玉を持って自分の周りを取り囲む。


56本の腕の群れが乾いたステンレスのお玉の背で自分の体を撫で回すと、冷たくすべすべした感触が骨の内側に注がれたように全身を貫いて駆け抜ける。


感触は渋滞して、瞬く間に破裂して飛び散り、驚きに開いた口の形のまま息んだ喉で声を上げる。


全開の目や口から体液が溢れる。鼻の穴には□が最後の方に吐いた血の塊が付いている。


3人きりのスタッフが、5人の□と顔を見合わせて良さそうですねと頷き合い、これから禊を始めますよと自分を見下ろして宙に浮く。


罪と穢れに塗れた所が全て洗い流されますよ。


後にはすっかり洗い清められた綺麗な貴方が残りますよ。


左足の爪先の前に居る□がボウルの中身をお玉で掬い、甘茶をお釈迦様の像に掛ける仕草で左足の爪先に掛ける。


爪の付け根の辺りから甲の半分あたりまでお玉の中身がちょろちょろすべり、触れた端から痛みが走って罪と穢れがべろりと剥ける。


真っ白な厚い上質紙の、裁断された断面の、ぐしゃぐしゃの繊維の毛羽立ちが指先をざっくり切るように、罪と穢れに刃を入れて掬い取って剥がして行く。


みそぎ。


みそぎだ。


これがみそぎ。


痛い。ごめんなさい。ごめんなさい。


□が謝る大声が聞こえる。何が悪いか理解してないのに取り敢えず謝る愚かな声。


そんな謝罪に価値は無いし煩いから黙らせる為に足で蹴り付けて拳を振るう。


74人のスタッフがびくともせずに押さえ付けて91人の□が次々にお玉で掬って掛ける。


罪と穢れに塗れた所が全て洗い流されますよ。


後にはすっかり洗い清められた綺麗な貴方が残りますよ。


後にはすっかり洗い清められた綺麗な貴方しか残りませんよ。


□を蹴り飛ばし踏み付けた足が、□を殴り倒し掴んで引きずった腕が、□を卑しんであなどり声が嗄れるまで謝らせ絶対に許さなかった身に浸みた罪と穢れが全て洗われみそがれて流れ落ちて行く。


□は自分を軽んじて一度も抵抗しなかった。


最後のほう血の塊を吐きぱんぱんに顔を腫らして壁に凭れ頽れたまま、もう止めてと口答えしたので二度とそんな口が利けぬよう必死になっていたら死んでいた。


痛みで視界が白く染まり、段々あかく変色する。徐々に黒く侵食されて狭まって行く只中に、802人の□の目が星屑の如く散りばめられる。


全体が赤々と充血し、瞳孔の散大した遠い目が、満天の星空の如く1,030個ちらばり部屋の光を吸い込んで瞬きなく増え続ける。


*


それで残ったのが自分だって起きた後おしえてもらいました。


確かに全部おぼえてますが、あんなに乱暴で身勝手なのが自分だったなんて凄く厭です。たくさん泣きました。


スタッフさん達は落ち着くまで傍に居て、背中をさすってくれて、お水をくれて。みそぎは無事に終わったから、後は元いた所へ戻るなり、此処へ残って奉仕するなり、また別の所へ行くなり、好きに選んで良いですよって言われました。


此処のご飯とお水を食べたり飲んだり出来ないなんて、考えただけでも落ち着きません。焦った、いらいらした気持ちになって、涙が出て体が震えます。


だからお給料の代わりにご飯とお水を頂いて、残って奉仕しています。


奉仕は償いになるそうです。


しかも、同じ境遇の人達のみそぎのお手伝いにもなるそうです。


とっても有難いし、素晴らしい事です。


生涯を捧げたいと思っています。



終.

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