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目が覚めるとそこは見覚えのない部屋だった。知らない天井、持ち上げた腕を見るに誰かが手当てをしてくれたのだろう包帯のキッチリした状態が見て取れた
「…」
両手のなくなった身体を前にアノスは落胆を隠せなかった。魔法の発動に際して起点となる部分を両方とも失ってしまったからだ
「ゴートンに報告を」
しかし、いつかの魔法を使おうとした時に自らに生じた変化を知ってかアノスは特に気にする様子はなかった
立ちあがろうとするも起き上がれずにベッドに戻された。全身の筋肉が減った様な錯覚を受けつつ、辺りを見回すと納得の2文字に無駄な力みをやめた
リリアナとシルビアがアノスの両端でシーツを押さえつける様に眠っていたからだ
「リリアナ?シルビアさん?」
「ん…」
「…」
ゆっくりと起き上がった2人は目が腫れており、充血とクマが酷かった。アノスはそれに触れようとして自分の手がないことを改めて目の当たりにした
「ふむ、どうし…」
「アノス様」
「…」
「何だ?リリアナ」
「職務を全うできず
主にその身を削らせたことをお許し下さい」
「…お前の主はゴートンだろ」
「…」
「不問だ。これは…」
アノスの言葉を待たずしてリリアナは部屋を出ていった。2人になった室内。シルビアは両手を膝の上で重ね、何を言おうか迷っていた
「漁獲祭は順調?」
「…」
「最後に船を残せればよかったけど
老朽化が酷くて無理だったよ」
「…」
「グレイの処遇は…」
シルビアの平手打ちが飛んできた。しかし、アノスはそれを手首の辺りで止めた。止められた平手打ちとは逆の手でアノスを叩こうと振りかぶった手は空中で振り上げたまま小刻みに震えていた
「どうしたんですか?シルビアさん」
「分かりませんか?」
「…あれしか方法がなかった」
「本当にそれだけですか?」
「…」
「本当にそれだけですか?アノスさん」
「…」
「答えて、下さい」
「…」
「私たちは必要でしたか?」
「うん、必要だった」
「他に方法は…」
「あれが最善だった」
「私たちは役に立てましたか?」
「うん」
「本当に?」
「うん」
「…」
「…」
淡々と続く会話に反論の余地がある様に思えないシルビアは言葉に詰まり水面で口を動かす鯉の様な様子を見せ、押し黙った
目の前を見つめていた視線が下へと下がり、手首で塞がれていた自分の手でアノスの中途半端な腕を引き寄せ、ベッドの端の上で両の手を包み込んだ
「アノスさん程の人がそう言うなら
アノ、ス、さんが…そういうなら
それが、本…どう、に」
堰き止めていた涙がポロポロと頬をつたい、垂れる鼻水と混ざっていく、シルビアの表情は真顔からしかめ面になり、鼻を啜り始め、紡ごうとした言葉は震える唇で形を保てなくなり、ぐちゃぐちゃになって叫びになり、アノスの小さくなってしまった手の中で大声で泣き散らかした
部屋に響く泣き声にアノスは何もできずに慰めることしかできなかった
◆◇◆◇◆
「…どうぞお入り下さい」
泣き疲れて眠るシルビアを撫でるアノスはノックをしようとする人物に向けて声を掛けた。扉の先ではいつ気づかれていたのか皆目検討のつかない状況に驚きつつも姿を現す決心をした男が扉を開けて入ってきた
一目でわかるのは輩ではなく、騎士の装いであることと胸の甲冑の造形から王国騎士団のモノ、豪華な装飾品の兜が役職持ちであることを読み取ったアノスは座り姿勢ながらに頭を下げた
「この様な格好で
申し訳ございません」
「いえ、フラワーライト様から
お話は伺っております英雄殿」
ジルバレー王国騎士団団長───バーテンは頭を下げる少年アノスを英雄と呼び、敬意を示した
「英雄などと
僕はただ家名に恥じぬ働きをしたまでです」
「…」
アノスはそれを否定し、視線を上げると単刀直入にバーテンに向かって問い掛けた
「して、何用でしょうか」
「…」
役職持ちの騎士が単独にて戦地以外に現れるその理由をアノスは知っていた。『訳あり』───特別任務や敗走などの緊急を要する事態、はたまた不測の事態に兵を置いて動かざるを得ない状況
齢が2回りも違うであろうアノスにバーテンは冷や汗を流した。フラワーライトから聞いていたにも関わらず『俄には信じられない事』───アノスの歳にそぐわない肝の座り様に
バーテンは咳払いを一つ行うと表情を正し『ナンバル山 頂上F級迷宮』攻略作戦の現状について話し始めた
◆◇◆◇◆
「現在国王陛下ならびにゴートン様が
ナンバル山にて行方不明となっております」
「それを部外者である僕に
伝えてもよろしいのですか?」
「フラワーライト様からの命令です」
ひとしきりの戦況を伝えたバーテンは呼吸を整えると言葉を続けようとした
「分かりました。回復次第戦線に合流します」
「!?今何と?」
『報告』───フラワーライトからの言伝はアノスへの現状報告だけだった
その真意は定かでないものの大凡アノスの姿を見て戦える状態であると確信を持って言える人は殆どいない
アノス自身を除いては
「戦線に合流します」
バーテンの反射的に飛び出した言葉にアノスは返事をすると信じられないバーテンは嘲笑にも似た呆れた声色でアノスを『諭す』様に言葉を放った
「…失礼ながら、その身体でですか?」
「この身体でです」
「正気ではありませんね」
「正気です。家長の危機的状況に
砕けてもいない剣が
鞘に納まるなんてことはありません」
唖然を露わにするバーテンは言葉を失った。両手を失って尚自らが『砕けていない』───休むに値しない、役目を終えていないと豪語する少年に告げる言葉が見つからなかった
異常、如何に主に身を捧げていようともここまでの『献身』───『忠誠』を超えた最早『狂信』の域にある人間を騎士団の中でさえバーテンは見たことがなかった
しかし、それは蛮勇とも見てとれ、バーテンは言葉を強くして真っ向から否定に入った
「主の不在に募る不安は私や騎士団も
10を理解できずとも味わった身です
ですがそれに急いて鈍らせた刃など
守れるものも守れは…」
「シルビアさん」
「英雄殿!」
理解の範疇を超えた狂人を前にバーテンは強硬手段に出ることにした。かつて優れた剣に突きつけるには酷なことと分かりつつも死にに行く様な人間を送り出せる者など王国騎士団にはいないのである
抜き放った剣先がアノスに向けられた
「英雄殿、いえアノス・アーロン
貴殿に決闘を申し込む」
「王国騎士団の方にそこまで買って頂けるのは
光栄ですが今は一刻でも早く」
「王国騎士団として貴殿をこれ以上
戦地に赴かせるわけにはいかないと
私が判断したまでです」
「団長クラスでしたか」
「貴方程の慧眼であれば
剣でなくとも筆として
戦況を左右することも可能かと」
「アーロンの筆はゴートンです
僕では決してありません」
「…」
「…」
バーテンが言葉で説き伏せようとするもアノスの返す手の何と強情なことか。問答はもう意味を成す状況ではなかった。とっくの昔に
それを理解したのかアノスも言葉ではなく『武』を持ってそれに応える姿勢を見せた
「王国騎士団が旗印、バーテンが
アノス・アーロンに決闘を申し込む」
「アーロンが剣、アノス・アーロンが
その挑戦を受けましょう」
互いに言葉ではなく剣でしか認めさせられない状況にそれぞれが剣を掲げ、それぞれに向けた。曲げられない信念と相手に向けた敬意の代わりとして




