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「朝ですか」
リリアナ、それが彼女の名前だ。彼女はアーロン家のメイドを仕事としている物静かな少女だ。齢はアノスと同じかそれより少しした。何分彼女の正確な年齢は本人でさえ把握していないのである
仕事を淡々とこなし、いつも静かに物音を立てない洗練された所作は身につけるのにそれ程長くは掛からなかったことからリリアナの地頭の良さが窺い知れる
地頭の良さもさることながら、やはり環境が一番の要因なのかも知れない。アーロン家のメイドや執事は感情を表に出さず、ただ淡々と業務をこなすため、自我を表に出す他家の者と比べ優秀と評すことができる
◆◇◆◇◆
それはさておき、リリアナは朝の支度を終えると姿見で身だしなみを確認すると他の者と同様に扉を出た。挨拶はない。一糸乱れない整列を終え、各人が仕事へと就く
◆◇◆◇◆
リリアナは先日、ゴートンの専属メイドとなった。父親に頼み専属メイドに件のリリアナが任命されたのだ
「失礼致します、ゴートン様」
「リリアナか良く来た、少し待て」
リリアナが部屋に入ると書類の山に目を通すゴートンの姿があった。人目にはただ見ているだけに見えるだろうその一連の動作の中に、見て、考え、判断し、決め、次へと流れる様な作業をしていた
「朝食はいかが致しましょう」
「そうだな、運んできてくれ」
「かしこまりました」
ゴートンの領内評判はあまり良くなかった。根暗で引きこもり、兄とは違い民に目を向けない暴君気質なのだとか
しかし、実際には激務に追われる少年であり、本人はそのことについて一切の興味を持っていなかった
◆◇◆◇◆
リリアナが食事を持ってくるとゴートンは筆、判子、蝋印を置き、別の机と椅子に座り食事を始めようとして手を止めた
「何をしている?リリアナも食え」
「いえ、時間外ですので」
「まったく、融通が利かないな」
ゴートンは立ち上がるとリリアナに命令した
「リリアナ、その腹の虫を黙らせるべく
俺の残飯を食べろ」
「はい」
ゴートンが一切手をつけなかった食事がリリアナの口元に運ばれ、鉄仮面の少女の表情が僅かに綻んだ
「親父の面倒くさがりにも飽き飽きするぜ」
ゴートンは自分の書斎机から菓子の類をリリアナと自分の分を取り出すとひとつを自分の口に、もうひとつをリリアナの座る机に置いた
「どいつもこいつも言いなりなのは結構だが
子供にそれを強要するなよな」
「へふふぁほーほんはは(ですがゴートン様」
「リリアナ食べるか話すかどっちかにしろ」
「…」
「食うんかい」
◆◇◆◇◆
「時にリリアナ、兄さんの様子は?」
「アノス様ですか?」
「あぁ、近々儀式があるだろ」
「それはゴートン様も」
「俺は別にいい、興味もない」
いつのまにか片付いている書斎机の上に足を放り出したゴートンがうつらうつらとしていた
「兄さんは武、俺は知だ
親父を密かに追い出す算段はついてるが
如何せんその後が心配だ」
ゴートンは現状の『スキル至上主義』に異を唱えていた。戦争、それ自体は重要ではなく、残ったもの自体を重要視するそれがゴートンだ
アノスは父親と同じ『スキル至上主義』に傾倒しているが父親と違い、他者との交流に問題がない、加えて剣と魔法を修めたことでその武力は父親を上回っていた。全ては順調に思えた
リリアナがゴートンに毛布を掛け
部屋を後にした───その次の日までは
◆◇◆◇◆
その日ゴートンの思惑とは裏腹に【極】【神剣使い】となり兄、アノスを大きく遠ざけてしまうことになったゴートンは自分の作戦の瓦解により自室で茫然自失となるゴートンにリリアナが食事を持ってきた
「お食事をゴートン様」
「いらん、お前が食え」
リリアナはそれに手をつけなかった
「どうした?リリアナ」
「ゴートン様、私も外れスキル持ちでございます」
「それがどうした?」
「追い出しになられないのですか?」
「…お前には俺がどう見えてるんだ」
「お父上様に反抗をしない優れた次男」
「めちゃくちゃ直球だな」
「命令ですので」
「さいで」
ゴートンは気持ちよさそうに笑った。何か肩の荷が降りた様な、つきものが落ちた様なそんな雰囲気の一瞬、ゴートンの目つきが鋭くなった
「はぁ〜これがスキルの効果か」
ゴートンの視線の先では現領主のゴウマン・アーロンが何やら黒づくめの集団と話し込んでいたのが神剣使いの【気配察知】により嫌でも分かった
「親父」
ゴートンは静かに失望した。尊敬する所があったひとりの男が我が身の保身のために愛弟子にすら手をかけようとしているその姿に静かな怒りを持った
「リリアナ」
「ふぁい(はい」
「…リバレー領まで急ぎ向かって欲しい
兄さんもそこにいる」
ゴートンは静かに微笑み、リリアナは密かに『こいつ気持ち悪いな』と思った