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最も懐かしい記憶は狩の時だ
猪の胴を捉えた後に飛び出そうとした僕を静止した父上が剣を抜いて、眼前の絶え絶えの生き物に警戒を強めていた
「いいかアノス、生き物の最も恐ろしいところは」
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「父上、何をしているんですか」
眼前にて蹲る父上を見続ける最中、教えを頭の中で反芻しながら剣を握り込む、例えそれが親であっても『生き物』である以上は絶えるまで気を抜いてはいけない
首を落とされても『分』は動く土竜、刺してなお『報復』せんとする海の物、空の生き物は死んだとしても被害を与える『諸共』、死は区切りであっても終わりではない
それは試合、戦いの最中であっても同じことだ。生き物の『決死の覚悟』ほど恐ろしくも美しい一呼吸はない───それが父上の教えだ
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「なん、なんだ」
圧迫された肺で呼吸を何とかする。が視界がぐらつきまともに立つことすらままならない。ゴートンに続いてアノスまでもが自分を越えようとする
「なんなん、だよ!」
杖代わりにしていた剣を力強く押し込み立ち上がる。ふらつく足を踏ん張りアノスを睨みつける
弟と同じだ。その目『まだやれるだろ』という上から目線
「気にくわねぇ」
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イバシルの憤怒はより悍ましさを増した。嫉妬、狂気、憐憫への反発。幼少より積み上げられ、その原因を排除した後にひとつの区切りを見せていた。しかし、波風立てない領域から外へと出た心の内には再びドス黒い物が満ちていき───【形】を帯び始めていた
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「…」
父上が纏う空気が変わった。僕は、黙って剣を向ける。伸びてくる無数の黒い糸が『戦闘続行』を告げている
「『牙鉄』!!」
目の前に伸びてきた剣先が身を捩った僕の髪を梳いた。先程までの剣の筋とは訳が違う。やっぱり手を抜かれていたんだと少し嬉しくなる
「…」
僕のことを『身内』や『血縁』ではなく『生き物』として見てくれた。それだけで嬉しく思う
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「!?」
イバシルの動きが変わった。先程まで剣に振り回され、悪戯に力を使うだけの剣から変わり『アーロンの剣』を使い始めた
それもかなりの練度が窺える程に
「何が」
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アノスの牽制と攻撃含む5手に対し、イバシルはそれの倍を越す15手───様子見とされる初手から4、24手は観客から見て『互角』とする声が上がった
続く25手目にしてその均衡は綻びを見せ始める
「剣が…」
業前が同等といえど武具に関してはそうはいかない、受け手に立っているアノスの剣が限界を迎えるのが先なのは自明の理であり
「(このままじゃダメだ)」
それによりアノスは受けに回っていた26手目までを皮切りに攻めへと転じ、アノスの優勢が誰の目にも明らかとなった
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「おい、鉄なんだよな」
観客は固唾を飲んで見守った。等級が下位のものが上位のものを打ち破るなんてことはあり得る話ではあった。しかしそれは等級差が1つの場合であり、それの意味するところは基本『あり得ない』ということだ
「やばい、金が」
「水銀!頑張れ!!」
「負けんな!」
多くのものが等級の高いイバシルに賭けていたこともあり、会場の雰囲気は優勢とは反対にイバシルへの応援で溢れかえった
結果【極】へと至っていた【剛腕】にイバシルの折れかけていた意思が上乗せされることになり27から58手の優位はまた拮抗することになった
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「またそんな目で俺を見るのか!」
不意に叫んだイバシル、淡々と剣撃を返すアノス
「俺を見下すんじゃねえ!」
イバシルも気が付かない内に【極】へと至ったイバシルの剣筋はゴートンの真に迫る勢いで躍進を遂げていた。しかし、その成長曲線の先、既に鎮座するアノスとは未だ鳥と雲との差があった
疲れ羽ばたきに乱れを受けるイバシルと悠々と空を漂い続けるアノス
「…」
ここまでにおける100と12手、アノスの剣は次の一撃で砕けるか折れるかするのはアノスの目には明らかだった
「俺はお前に負けたら…」
頭に登っていた血が引き、取り戻した理性で何事かを口にするイバシルだったが放り投げられた『アンブラ・ディアボリカ』により剣と視界を一時的に妨げられ、不完全な理性ではその真意を悟ることはできなかった
「そんな目眩し!」
それを払おうとしたイバシル
『それに向けて放たれた牙剣』───それは空気の壁を優に貫き、アンブラ・ディアボリカの外套がなければ重傷になる一撃、イバシルに触れたと同時に遥か後方へと吹き飛ばした
「父上、ありがとうございました」
その一撃を持ってアノスの剣は砕け散った
◆◇◆◇◆
気を失ったイバシルから外套を剥ぎアノスはそそくさとその場を後にした。会場の空気は興奮と絶望で沸き立っていた
『迷宮殺しのアノス』───うわさ程度に囁かれていたそれらが僕の二つ名として定着し、酒場での共通の話題になってしまったのだった
◆◇◆◇◆
「お疲れ様です、アノス様」
「あれ?リリアナ?どうしてここに」
僕が会場を後にする傍をリリアナが通り抜ける。その後ろには兵士を連れている様子から只事ではない様子が窺える
「イバシル大罪人を捕まえにでございます」
「イバシル?誰それ?」
「お気になさらず、改めてお疲れ様でした」
「?うん」
大罪人か、よっぽどのことを犯したに違いない。僕は闘技場の待機場と通路を隔てる扉に手をかけてその場を後にした




