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「少し待ってなさい」
彼女の名前はティナ・アーバレスト───アーバレスト家の次女で僕の許嫁、僕より年上なのだがやや幼さを残す外見をしている。しかしその外見とは違い、立ち居振る舞いは燐とし、筆舌に尽くし難い
戦闘においてもその燐とした姿が反映されている。林には勿体無い『睡蓮の花に似た氷像』───『氷牢』強固で分厚い氷の層幾重にも形成する内と外を隔てる牢獄はティナの魔法だ
「氷牢を守りに使ったんだ」
本来拘束として使う魔法を敢えて守りとして扱う柔軟さもまた素敵だと思う
「保護した子を
無防備にする訳にはいかないでしょ」
「ごめん、僕が不甲斐ないばっかりに」
「…別に」
ティナはぶっきらぼうに返事をすると氷牢の一部に触れ、中から少女を連れ出した
◆◇◆◇◆
「お姉ちゃんありがとう!」
「どういたしまして」
私が庇っていた少女の会話を聞き流しつつ、ブラッド・ウルフを観察する。統率が取れてないと言うよりは乱れがある陣形の取り方に違和感を覚えたからだ
若い個体だったのだろうか…それとも負傷していたのだろうか、灰になった今では憶測の域を出ない
いや、これは結果論だ。忘れよう。それよりも
「ところでアノス?」
アーロン家次期領主の彼が何故ここにいるの?儀式は?彼に限って逃げ出したとは考えられないし、それに
「アノスがさっき使った魔法。何よ、あれ?」
「え?」
疑問がついて止まない───目の前の黒焦げの地面を指す。彼の魔力量ははっきり言って多くない。発動した『ブレイズストーム』の負荷に耐えられるとは到底考えられない
「ブレイズストーム」
「…聞きたいのはそこじゃなくて」
私は目頭を押さえる。昔から何考えてるか分からない子だったけど、今日は輪をかけて変だ
「あの発動のさせ方よ」
「えっと、何か変だった?」
「…」
追求するのは後でいいか。何かしらね…この違和感は?そう思いながらも周囲を警戒する。ブラッド・ウルフの長を倒したとしてもB級油断は命取りになる
「それよりティナはどうして、こんなところに?」
アノスがあからさまに話題を変えた。初めて会った時から変わらない下手くそな逃げ方ね
「それはこっちのセリフよ
アノスこそ、何でこんなところに居るのよ?」
遠征の終わりにちょっと人助けをしてたら偶然会うなんて…全く運がいいってもんじゃないわね。ありがとう神様、女神様
「色々あって」
「またはぐらかすつもり?」
あぁ、その下手くそな言い逃れ!!
必死な背伸びが愛おしいわ!!!
「時間はあるわ、でしょ?」
「うん」
子供って素直で羨ましい。大人は見習えっての
「実は───」
散々問い詰めた甲斐あって彼は話し始めてくれた。しかし、聞くに耐えない惨状に私はアーロン家に殴り込みに行きたくなった。がアイツいるし何とかなるだろ
◆◇◆◇◆
ティナは僕の話を静かに聞いて、時々質問をすると少し考え眉間に皺を寄せていた。ここまで表情が変わるのは初めて見た
僕は神託の儀で外れスキルを授かったことから実家を追放されたことまでを包み隠さず説明した
「アーロン家の次期領主はゴートンねぇ」
「凄かったよ」
僕と違って
「アノス」
「そのうちアーロン家から連絡が行くと思う」
「アノス」
僕とティナの婚約関係は元々領同士の繋がりをより強固にする所謂『政略結婚』というものだ。
僕がアーロン家の次期領主でなくなった今、アーバレスト家が僕を結婚相手にするメリットは無いだろう
「アノス・アーロン!」
ティナが声を張り上げて僕の名前を呼んだ
「はい!」
「破談の件は…まぁ、いいでしょう。それよりも」
◆◇◆◇◆
「これからどうするつもりなんですか?」
彼の顔を掴み、こっちを向かせる
頬っぺた柔らか…じゃなくて、死人の目をしてる。このまま放っておけば何をしでかすか分からない
「リバレー領まで言って
そこで…冒険者になろうと」
彼が瞬きの後に視線を一瞬逸らした。嘘じゃないけど真意が別にある証拠だ。大方、冒険者になった後『階級』をあげて軍に志願でもするつもりでしょう
「では何故アーバレスト領には
向かわないのですか?」
アーバレストとリバレーは比べるまでもなく私の父が統治するアーバレスト領が近い、子供の浅知恵ですね
「それはティナ…さんに
合わせる顔がないからです」
… … …ほぁ!?何この可愛い生き物
いっちょん前に呼び方変えて突き放そうってか?
そうは問屋が卸さんわ
「呆れて物が言えませんね」
◆◇◆◇◆
ティナが僕の両頬から手を離した。相当怒ってるのが顔から伝わってくる。鋭く冷たい目で「何をしようとしてるんですか」と叱責を受けた
「アノス・アーロン」
「ティナ…さん、僕に家名は」
「いいから耳を傾けなさい
呼び方なんてどうでもいいでしょう」
ティナが氷像に手を置くと完全に消滅させた
「私があなたとの婚姻関係に口を出さないのは
政略結婚を前提としたからだと
思っていますか?」
「…はい」
「ではこうしましょう」
ティナが指から『家紋入りの指輪』を抜き取った
「え?」
それは瞬く間に氷に包まれていくとヒビ割れて粉々に砕けて消えた
「え?」
「これで私はただのティナです、アノス」
「え?」
「あなたと同じ、家名のないひとりの女です」
「えええ?」
僕は砕けた氷に走り出す。いやいやいや何をしてるんですか!?そんなことしちゃったら領主の家に帰ることも、街の出入りの免除も、ツケの支払いだって実質できなくなるんですが!?
「慌ててる慌ててる」
「いや、慌てるでしょ!」
◆◇◆◇◆
よし、気を逸らすことはできた
特権は惜しいけど、そもそも使ってなかったし、使ってないものはないのと一緒
てか、面白いほど動揺してるな
「アノス」
さて、ゴートン後はあなたが何をするかお手並み拝見と行きましょうか。それまで私はアノスと行動を共にするとしますか
「うわ、うわ、丁寧に封印までしてるし!」
「…」
驚いた。封印まで施したのを早々に見破られるなんて…解除されたら指輪返してきそうだな、こりゃ
◆◇◆◇◆
「どうすれば良いんだ…これ?」
粉々になった指輪のカケラは全部拾って見たけど『回復阻害』───モノが『ナオろうとする』力を相殺する力で封印されてるし、氷を溶かしても修繕は意味を成さないのが分かる
「仕方ない、アノスについて行くしかないね」
「ついて行く!」
僕の腕を掴んでティナはそう言い切った
反対の手にいる少女もそれに乗り気らしい。いやその子の家どこか分からないからその方角に進路を取らないと…ティナ・アーバレスト!
「何が仕方ないだよ、ティナさん」
「ん?呼び方、階級無くなったし
さんつけなくていいでしょ?ねぇ?」
「ねぇ」
要らん加勢はせんでよろしい
「でも年上は敬わないと」
「相手と親密なら要らない時もあるでしょ」
「でしょ」
「でも」
「ほら、私は誰?」
「…」
「ほぉら」
「…ティナ」
「はい、よく出来ました」
「出来ました」
「馬鹿にして!」
「怒った!逃げろ〜」
「逃げろ〜」
感じ変わりすぎじゃないか?全く、リバレー領の街まで真っ直ぐ行くつもりがとんだ道草を食う羽目になった僕だった