協力
「助けてくださいって言われても・・・」
喉の奥が詰まり、声がそれ以上先へ進まなかった。
安易に「やります」と答えるのは、ただ期待を背負わせるだけの無責任。
そもそも大学生の肩に背負えるような問題ではない。
「私のせいなの。ごめんなさい」
咲白さんは、咄嗟に正座の姿勢に入ると、深々と頭を下げた。
「いやいや、急にどうしたんです?」
「彼女、私と個人的な繋がりがあってさ、ああ……前話したよね? タケルくんのこと……」
「タケル?……」
――そうだ。思い出した。
咲白さんにとって唯一、音楽を理解してくれた人・タケル。
だが彼は父親から逃げ出し、交通事故で命を落としたのだ。
「はい、覚えてます」
「彼女……タケルくんの妹さんなの」
――は?
頭の奥で白い靄が立ち込め、一瞬で思考が止まった。
まさか咲白さんにとって、過去との因縁に決着をつける依頼だったなんて……。
* * *
私(咲白)は自分を責めるしかなかった。
辻くんも高梨くんも巻き込み、顧問の先生にまで迷惑をかける。
それでも黙っていれば、斎藤ルカさんは警察に捕まってしまう。
――それだけは違う。
だから私は、この道を選んだ。もう後戻りはできない。
せめて彼女の心に少しでも寄り添えるように。
私はあぐらをかいた彼女の隣に腰を下ろす。
部屋は静まり返り、空気は沈黙だけで満ちていた。
「……本当に、いいんですか? 私たちなら、お父様と話をすることだって」
「無理だよ。あいつは……兄が交通事故で亡くなっても、すぐ切り替えて、私に期待を背負わせてきた。お前なら医者になれる。大丈夫だって……」
その声には諦めすら越えた呆れが滲んでいた。
「誰が医者になりてえって言ったんだよ。どうせ後を継ぐ奴が欲しいだけだろ!!!」
ドンッ――。
机を蹴り飛ばす靴の音が部屋に鋭く響き、思わず体をすくめる。
この怒り、この苦しみ。きっと一生、理解できない。
だからこそ私は――望みを聞くべきなのか。救うべきなのか。
寄り添おうとする表情の裏で、答えを見失いかけていた。
* * *
アパート近くのコンビニを出た帰り道。
俺(高梨)は揺れるビニール袋を片手に、隣を歩く辻さんを盗み見る。
いつも通りの無表情――その静けさがかえって不気味だった。
彼は本当にサークルのために動いているのか? それとも、別の思惑が……。
「辻さん」
呼びかけると、月光を受けたその横顔が淡々と振り返る。
「何?」
「辻さん、はっきりさせてください。あの依頼料金何なんですか?」
「まだそんなこと言ってるの?」
「斎藤さんにも、報酬を要求するんですか?」
わずかに――眉が動いた。
「あとさっき、彼女を逃す時に聞こえたんです。A.C.Tは依頼を通して、個人情報を収集してるんじゃないかって」
「……それが何?」
「それがA.C.Tなら、俺はこのまま放っとくわけにはいきません。これに、咲白さんも関わってるんですか?」
夜気が一瞬にして張り詰め、辻さんが一歩、俺に迫る。
「本当に親切なボランティア組織なんているの?」
「……あのサークルは、みんなを救うんでしょ。俺たちはそのためにも、1つ1つの依頼に責任を持つべきだ。それは決して金では解決しない。心であるべきです……」
言い切ると、辻さんの険しさはふっと消え、ポーカーフェイスに戻った。
吐き出した息が白く夜に溶ける。
「……高梨江、合格だよ」
「は?」と突きつける反応に、柔らかい声色が返ってくる。
「お前を試したんだ」と。
「今日見せたあの金銭も無意味なものじゃない。依頼の中にはたまにふざけたものもある。そういった依頼を撲滅するためにも、金銭を要求することで、優先度高い依頼を丁寧に取り組むんだ」
「そのお金は、どうするんです?」
「ボランティア活動の資金だよ。一石二鳥だろ?」
霧のようだったサークルの輪郭が、少しずつ形を取り始める。
この時、俺は少し――A.C.Tを信じてもいいのかもしれないと思った。
だがその瞬間、辻さんのポケットからスマホの通知音が繰り返し鳴った。
画面に浮かぶ名前は「咲白」。A.C.Tを見る目が変わりつつある状況の中、準備が整ったようだ。
* * *
咲白さんのアパートに戻ると、脇の路地に黒い車が停まっていた。
低く唸るエンジン音。張りつめた気配。
玄関前で落ち着かぬ様子で行き来する咲白さん。
俺たちを見つけると、彼女は駆け寄ってきた。
「ありがとう!! あとは私に任せて」
勢いのままにビニール袋を預かろうとする。だが辻さんは放そうとしない。
「ちょっと!」
「ここまで付き合わせて、帰るのは、面白くない」
「もういいよ。そんなに人いても困るし」
「高梨は。どうする?」
「……俺も、ここまで来て帰る気はないです」
その返答に、咲白さんの表情がはっきりと困惑に揺れた。
「とにかく心配するな」
辻さんは短くそう告げ、車の方へ歩き出す。俺も後に続く。
やがて運転席から現れた影。
ツンツンに立てたツーブロックの髪。ニヤリと笑みを浮かべながらも、視線だけは妙に鋭い。
「お前が高梨か?」
軽薄な笑みの奥に潜む危険な気配に背筋が冷える。
「あなたは?」
「俺?」
「私の兄貴だよ」
咲白さんの声が空気を裂いた。
思わず視線を二人の間で往復させる。
清楚で中性的な咲白さんとは対照的に、兄の纏う空気は粗野で危うい。まるで――血の匂いを背負っているかのように。
「ほら!! ぼさっとしてないで!!」
軽い叱責で我に返ると、俺は慌てて車に乗り込んだ。
* * *
車は夜の街を静かに滑り出す。
ハンドルを握るのは咲白さんの兄。後部座席には俺以外に、そして咲白さんと斎藤さんが身を寄せていた。
住宅街を抜けると、窓の外にはぽつぽつと家々の灯りが流れていく。やがてビルの群れと街灯が視界を満たし、夜の都会が広がった。
斎藤さんは、そのきらめきを背にしながら、どこか寂しげに窓外を見つめ続けていた。
* * *
二十分後、暗がりに沈む大学キャンパスへ戻ってきた。
「もうしまってるんじゃないか?」
運転席から校舎を覗くと、照明は乏しく人影も見えない。だが咲白さんは首を振った。
「私が泊まり込みの申請を送ったから、大丈夫」
その言葉に安堵し、一同は車を降りる。
正門の向こうに小さな影が見え、こちらへ駆け寄ってきた。事前に連絡を取っていた相手だとすぐにわかる。
その影は斎藤さんを目にすると、叫ぶように名を呼んだ。
「ルカ!!」
次の瞬間、勢いのまま抱きしめる。
「舞!! ごめんね、迷惑かけて」
斎藤さんの声に震えが含まれる。
そんな彼女の気持ちに、星野さんは必死に応えた。
「いいよ!!私も絵を完成させたいと思ってたんだ」
ヘッドライトが二人を照らし、光の中で寄り添う姿を浮かび上がらせる。
その横顔――斎藤さんの瞳からは、確かに光るものがこぼれていた。
* * *
暗い美術室に足を踏み入れる。
スイッチを押すと、蛍光灯が一列ずつ走るように点灯し、夜の静けさを押しのけた。
石膏像の白い顔が浮かび上がり、絵具の残り香と濁った水瓶が、止まった時間をそのまま閉じ込めていた。
「じゃあ、完成させよう」
星野さんの声に、斎藤さんは小さく頷き、満面の笑みを見せる。
そして俺たちに向き直った。
「本当にありがとう、みんな。もうあとは大丈夫ですから」
「……」
咲白さんは言葉を飲み込み、わずかに迷いを見せた。
「その提案なんですけど、私たちも二人が一緒に描いた絵見てもいいですか? ほら、やっぱり絵を見てもらう人って欲しいでしょ?」
「え? いや、恥ずかしいし、いいよ」
気後れしたように斎藤さんが首を横に振る。
「二人はどうしたい?」
咲白さんは俺と辻さんに視線を投げた。
だが答えを言うまでもない。
* * *
絵が完成し終わるまで、俺たち男子勢は暗がりの食堂へと向かい、自販機の明かりの下でドリンクを買った。
その間に、咲白さんの兄は大学を後にして車を走らせていた。
静まり返った美術室に残るのは、ペットボトルのキャップを開ける音だけ。
その時、不意に辻さんが口を開いた。
「なあ、この事件知ってる?」
スマホを見ていた辻さんが、淡々と画面を差し出す。
「え? 折り鶴連続強盗殺人事件……」
「……これさ、どんな意味があると思う?」
「何がです?」
「だから見たでしょ? 現場に折り鶴が被害者の口から発見されるって書いてあるだろ」
「ああ、その意味ですか?」
突拍子もない問いに、思考が一瞬止まる。
「折り鶴ってイメージすると、平和の象徴ではありますよね。それを口に入れるってことは、こいつらを殺すことは、平和につながるとかですか? 被害者ってどんな方たちなんです?」
辻さんは記事をスクロールする。
「……一般の高齢者とか、たまに若い人も亡くなっているそうだ」
「そうですか……でも気になるのは、平和ってなんの平和を訴えたいんですかね?」
「うーん」
辻さんの横顔に、わずかな陰りが差す。
「この事件がどうしたんですか?」
何気なく放った問いに、辻さんはすぐ表情を消し、外を見やった。
「いや、何でもない」
窓の外には深夜の闇。木々もベンチも校舎も、すべて黒い影にしか見えない。
――その時。
人影が動いた。数人。こちらへと近づいてくる。
咄嗟に身を低くした俺に、辻さんも怪訝そうな顔を向けた。
「どうした?」
「辻さんも、姿勢低くして!!」
小声で必死に訴える。
間違いない。警察だ。俺たちは尾行されていたんだ。
「早く美術室に戻らないと!!」
次回!!Case2・最終回!!