逃亡
二人の大人の男性が警察手帳を見せる。本物の警察だ――。
『実は、斎藤ルカさんについてお聞きしたいことがありまして。最近家に帰っていないようなのですが、大学内で見かけたことは?』
『私は知り合いではないので……よくわからないです』
『じゃあ、この顔を見たことはある?』
警察よりも柔らかな声で、学生課のスタッフが写真を差し出してきた。
改めて写真を見ると、星野さんとどこか似た幼い顔立ちに、キリッとした目。黒髪のショートヘアがよく似合っている。
『どうやら、ここのサークルはいろんな方の相談を受けているそうですね。斎藤ルカさんという方がここに来たことはありませんか?』
どこまで話すべきか分からない。冷静に対応するしかない。
『来てませんよ』
『……そうですか? そのパソコンは?』
警察が指差したのは、A.C.Tのグループアカウントにログインされた依頼ページの映るPC。
――開かれたら終わりだ。
『これは、彼のPCですが?』
『そこに活動記録が残っていたりしませんか?』
『ありますけど、彼女に関するものは何も出てこないと思いますよ』
『少し拝見しても?』
『どうぞ』
辻さん!!! 何を言ってるんだ!?
思わず心の中で彼の名を叫び、鋭い視線を突きつけた。だが、辻さんは表情ひとつ変えず、警察にPC画面を見せている。
――アンタってやつは……。
ああ、もう終わりだ。悟ったように目を閉じる。
沈黙が流れる。
『念の為、写真で撮っても?』
『どうぞ』
写真のシャッター音が響く。
え……?
ゆっくりと目を開く。
『ありがとうございます。お二人に伺いたいのですが、斎藤ルカと聞いて何か噂などありませんか?』
『いえ、少なくとも自分は知らないです』
『あなたは?』
真っ直ぐに突き刺さる視線。
『自分も心当たりないです……何か、あったんですか?』
俺の問いに、警察の顔つきが険しくなる。
『実は、斎藤ルカさんは闇バイトに関与している可能性があります』
『闇バイト?』
その時、奥の個室からくしゃみの音が。
一同が振り返る。そこには個室が二部屋あるが、人は誰もいないはず――まさか! 段ボールの中に潜んでいる彼女のくしゃみか!?
『他に誰かいるんですか?』
学生課スタッフが足を踏み入れようとする。
『……俺のくしゃみですよ』
横目で警察の表情を盗み見る。さっきと違う、疑念を含んだ眼差し。
――やばい嘘だったか!? 心の中で反省の渦が広がる。
だがそれほど、自分が落ち着きを失っているのだと自覚した。
* * *
数十分後、警察と学生課は聞き込みを終えて部屋を出ていった。廊下に響く足音が遠ざかるのを感じながら、俺は大きく床に倒れ込む。
緊張と不安、焦り……あらゆるストレスに押しつぶされる思いだった。
胸の奥に溜まっていた空気を吐き出すと、少しは楽になる。
だが、本題はこれからだ――斎藤さんを大学から逃がす方法を考えなければ。
段ボールから斎藤さんが飛び出してきた。
『あああ!!! 暑い!!! 死ぬわ!!! マジで!!!』
『斎藤さん、今度はここから逃げないと!!』
『あ、そうね……では、大学を出るまでフォローしてくれる?』
『あのね、斎藤さん……俺たちはボディガードじゃないんだけど……』
その時、扉が開いた。え、また警察!?
振り返ると、そこに立っていたのは咲白さんだった。
『お待たせ、行きますよ!!』
『咲白さん……』
どうやら、事情は把握しているらしい。
俺と辻さんは伝達役。警察の配置を確認するのが役目だ。門という門は警察が目を光らせているだろう。裏口も把握済みだとすれば、活かせるのは一つだけ――今日のイベント、医学系の講演を利用する。
携帯で時間を確認すると、17時。講演が終わった直後だ。
周囲に警察の姿は見えない。(こっちは大丈夫)と連絡を送ったその時――
『また会いましたね』
背後から声。心臓が跳ね上がる。振り返ると、さっきの警察。
『そんなに驚かないで』
『な、何ですか?』
『あ〜いや、さっき撮らせてもらった写メを見てたら気になることがありまして』
さっきPC画面を撮影した写真を、画面越しに見せてくる。そこに映っているのは依頼一覧のページ。
星野舞さんの依頼内容は友人の名前が伏せられていた。だが、刑事の勘は鋭い。
『この依頼者、星野さんの友人というのは・・・斎藤ルカさんでは?』
『いや〜彼女のことではないと思いますよ』
『今日の面会予約を見る限り、依頼人の星野さんと会ったんですよね? 誰のことを相談してたは分からない?』
『今日は軽い面談でしたので、名前までは聞けなかったんです。依頼人の方、相当苦しかったみたいで……』
刑事は視線をゆっくり落とした。
『そうですか……わかりました。ありがとうございます』
その時、通知音が鳴る。A.C.Tからだ。
自然に身体を傾け、刑事に見えないよう携帯を開く。
(任務遂行します!!!)――咲白さんからのメッセージ。
同時に、建物内から学生たちが一斉に溢れ出す。さっきまでの静けさが嘘のように。
瞬時にして、目の前の広いエントランスは、多くの大学生で埋め尽くされ始める。
『へえ〜、今日なんかあったんですか?』
刑事は学生を見やりながら携帯をしまう。
『医学の有名な方が、講演に来てたみたいで』
『そうなんですね……では、失礼しました』
靴音を響かせながら刑事は去っていく。
振り返ると、斎藤ルカがロングのかつらと伊達メガネ姿で学生の波に紛れ、大学を後にしていた。
* * *
その夜、俺は咲白さんの自宅に呼ばれた。
夜道を歩くたび、全身に疲労が押し寄せる。
――犯罪者を匿うなんて、俺たちも罪に問われる行為だ。
だが、辻さんが「信頼できる行動をしろ」と言った理由が少し分かった気がする。
依頼人の思いを受け継ぐこと、そして時には守らなければならない時があるのだ。
ただ、いつかは斎藤ルカさんに自首してもらう必要がある。その話をするためにも、重い身体を引きずりながら歩いてきた。
顔を上げると、クリーム色のアパートが佇んでいる。
階段を上がり、101号室のインターホンを鳴らした。
出てきたのは、濡れた髪にパジャマ姿の咲白さん。風呂上がりの生活感が漂っている。
『どうぞ入って!!』
部屋に入ると、白い部屋の中央にテーブル。
そこにあぐらをかく辻さん。正座座りの斎藤さんと目が合う。
みんなが揃い、一声を上げる咲白さん。
『じゃあ事情を話すね。皆んな、彼女が斎藤ルカさんってこと、依頼は聞いてたと思うけど……大まかには合ってるよね?』
斎藤さんは俯きながらも、小さく頷く。
『ちょっと確認させてください!!! 斎藤さんは……本当に闇バイトを?』と問い詰める勢いで、彼女に迫った。
だが、無言のまま。
『答えてください!! それくらいのことはしたはずだ!!!』
『高梨!!!』
俺の言葉を遮るように、辻さんが声を張った。
『追い詰めてどうする? 話をしに来たんだろ?』
言い返せず、黙り込む。
『…刑事さんの話、本当』
斎藤さんがモゴモゴさせた口をゆっくり開く。
『私、親から夢を奪われて、精神的に追い込まれたんだ……』
黒髪のショートヘアを、自分で強く握りしめる。
『医学の勉強をして偉くなれって……“アンタだけが頼りだ”って……でも耐えられなくて。自分の行きたい学部に通ってみたんです。授業料なんて払えないから通えないままですけど……いつかは通えるようにって思って……』
『そのためのバイトで闇バイトに手を出したと……』
『闇バイトだなんて知らなくて!!!!』
顔を上げた彼女の瞳には涙が溜まり、声を上げる。
『助けてほしい……』