表と裏
雨上がりのアスファルトが、街灯の光を鈍く反射していた。
その濡れた道を、スニーカーの足音がひたすら駆け抜ける。
「止まれッ!」
背後から響く怒声。
大学生は振り返ることなく、細い路地へ飛び込んだ。だが、行き止まり。
目の前を遮るブロック塀の向こうからも、別の足音。
次の瞬間、肩を荒々しく掴まれ、壁へと押し付けられる。
「離せって! 俺、何も――」
「裏口の鍵こじってたの、刑事の目の前でやってただろ?」
「違うって! 俺はただ、頼まれただけで――」
すぐ後ろから制服警官が追いつき、両腕を強く押さえ込む。
刑事は肩を押さえたまま、荒い呼吸を整えつつ言葉を重ねた。
「頼まれた? 誰にだ」
「……他大学のやつだよ!!」
「じゃあ、そのポケットの中は何だ」
取り出された現金の束を見た瞬間、大学生の顔は凍りついた。
雨上がりの冷気よりも、刑事の声の方が鋭く刺さる。
「あともうひとつ聞かせろ」
「……なんだよ」
「――紫の折り鶴。現場に置けって言われたか?」
大学生は反射的に視線を逸らす。
わずかな動きも、刑事は見逃さなかった。
「……何それ。俺、知らねーし」
「お前みたいな末端でも、触ってりゃ指紋でバレる」
「……俺、マジで知らねーって」
赤色灯が路地の壁を赤く照らし、濡れた地面に揺れる。
その光の中で、彼は結局なにも語らなかった。
――今回の住宅侵入事件、もう一人の関係者を洗う必要がある。
* * *
アパートの一室。
リュックを背負い、玄関へ向かう母の後ろ姿はどこか寂しげだった。
見送るだけでは胸に引っかかるものがあり、俺は思わず声をかける。
「わざわざ、来てくれてありがとう」
母は振り返り、穏やかな笑みを浮かべる。
「…ごめんなさい。私、アンタのこと何もわかってないのに、口出して・・・これからはさ、もっと知りたいからさ、ちょちょこ連絡してきてよ」
――おそらく、優香のことを指しているのだろう。
その気持ちに俺も心を開いた。
「もちろん・・・」
母はそのまま地元へと帰っていった。
時計を見ると午前9時。
「やば、もう大学行かなきゃ!」
慌ててリュックを背負い、俺も家を飛び出した。
* * *
大学キャンパス。
授業を終え、廊下を抜けて奥の部屋へ。
扉を開けると、そこはA.C.Tの部室だった。
「お疲れ様で〜す」
部屋には辻さんひとり。PCに向かい、真剣な表情でタイプを続けている。
課題に追われているのだろう、と察した俺はそっと扉を閉め、手前の席に腰を下ろした。
自分の課題に取りかかろうとしたその時――。
「江、頼みたいことがある」
「は、はい!!!」
「さっき来た依頼を表に追加しといてくれる? あと日程が重ならないようにスケジュール調整して欲しい」
「わかりました」
「ありがとぅーす」
くだらないギャグを無視しつつ、俺はゴーグルにログイン。
A.C.Tの共有フォルダには、依頼の一覧やアンケート、詳細資料が並んでいる。
依頼内容は実にさまざまだ。
浮気調査、カンニングの手伝い――正直、そんなの自分で解決してほしい。
だが中には、自殺、複雑な家庭事情、陰湿ないじめといった重い案件もある。
それを平然とこなす辻さんたちのメンタルの強さには改めて驚かされる。
「あ、あの・・・」
「何?」
「辻さんとかって、依頼を受ける時、どうやって自分のメンタルを守ってます? 内容によっては精神的に持っていかれると思うんですけど・・・」
「ああ・・・話してもいいけど、条件がある」
「はい・・・」
「俺たちが高梨くんのこと信用してもいいって思えるように、依頼内容を完遂させてよ」
「え?」
「もちろん、俺たちもヘルプするけど、今回は君主体で動いてもらう」
「主体?」
そのとき、ドアが開いた。
入ってきたのは、一人の男子大学生。
「辻晴人っている?」
態度はあからさまに悪く、ガムをクチャクチャと噛む音が耳障りだ。
辻さんは立ち上がり、彼の前に立った。
「本当にありがとな」
「じゃあ、約束のもの」
渋々と財布から取り出した一万円を辻さんに手渡す。
「じゃあ、今度何かあったら頼むな」
「もうトラブル持ち込むなよ!!」
男はニヤリと笑って部室を出ていった。
残された俺は、疑問を口にせずにはいられない。
「ちょっと待ってください!!! なんですか、そのお金」
「ん? 依頼料金」
「いやいや、辻さんこそ、俺がこのサークルを信頼できるような行動してください!!そんな人からお金取ってなんて・・・」
「タダでだなんて、甘いんだよ!! こっちだって命懸けでやってんだよ」
再びドアが開き、一人の女子学生が姿を現した。
小柄で茶髪のロングヘアは前髪が深く垂れ、顔立ちも幼く見える。
「あの、A.C.Tってここですか?」
おどおどした様子を見せつつも、彼女は椅子に案内される。
「お名前は?」
「今日予約していた星野舞と言います」