一転
Case5のイメージソング
OneRepublic - Beautiful Colors
https://www.youtube.com/watch?v=Bzp3JAI-Q9E
折り鶴連続強盗殺人事件の真犯人が明かされる章に(したい!!)です。
湯気が天井へと立ちのぼり、白く濁った空気がゆっくりと店内を満たしていく。
視界が曇る。世界に薄い膜が張られたみたいだった。
頬に触れる空気はじっとりと重く、肌に浮かぶそれが汗なのか、それとも湿気なのか分からない。
気づけば、シャツの繊維の奥まで熱気が染み込み、逃げ場を失ったように体へ貼りついていた。
そんな中で、不意に軽い声が落ちてきた。
「なあ、君たち頼むもの決まった?」
十川ジャーナリストがひょいと身を乗り出し、こちらを覗き込む。
彼の真隣の近さに、反射的に背筋がわずかに強張る。
「まだです……」
「なーに、早くしてー。じゃあ、豚骨ラーメン、バリカタの麺で、ニンニク増して」
空気を読まないというより、空気を動かそうとしているような調子だ。
十川ジャーナリストに続くように、星野さん、辻と、注文が途切れずに重なっていく。
「鷹野!!ほら、頼めって!!」
呼ばれた彼は、店の奥――壁際の一番遠い席にいる。
薄暗さに沈むようなその場所で、ほんの一瞬だけ表情が緩んだ。
「じゃあ、醤油ラーメン、小」
カウンターに並ぶ、学生とジャーナリスト。
不自然な組み合わせでも、この場が崩れないのは、十川さんが無理やり均衡を保っているからだと、なんとなくわかる。親代わり――そんな言葉が、ふと頭をよぎった。
「暗いな〜最近の学生は、豆腐メンタルすぎますね〜」
星野さんは、
「さっきまで、敵対してた相手ですよ。『はいそうですか』とはなりませんよ。お互い酷いことしてきたんです」
に対して、
「みんな何かしら酷いことしてる」
と返す十川。
誰も、すぐには返せなかった。
ただ、視線だけが揺れる。
言葉を探しているのか、もう諦めているのか――沈黙だけが長く伸びていく。
その空気を、鋭く裂いた。
「部長さん!!この空気どうにかしてよ!!」
え……あ……わたし……
遅れて理解する。
自分が、この場で何かをしなければいけない立場だということを。
けれど、思考はどこか鈍いままだった。
教授が亡くなってから数日。時間は進んでいるのに、気持ちだけが、数時間前のようだ。
でも、私がサークル内部を改革すると宣言した以上、ここは……
「そうですね……えっと……じゃあこのあとみんなでゲームセンターに行きませんか?」
言った瞬間、空気が止まる。
「は?」「え?」
辻の視線は鬼瓦みたいに固く、鷹野の目は冷たく沈んでいる。
高梨くんと星野さんが、ぽかんと目を丸くしていた。
それでも――
その提案は、完全な的外れではなかった。
* * *
「よっしゃあ!!ストライク!!」
乾いた金属音が、ゲームセンターの喧騒を突き抜ける。
さっきまでの重たい空気とは違う、軽く跳ねるような音だった。
「ほら!!どうよ??」
振り返る十川ジャーナリストは、無邪気に笑っている。
「高梨くんすご!!」
その隣で、高梨くんが次々とボールを捉えていく。
軌道を読み、振り抜く打球は、綺麗にストライクゾーンへ収まっていく。
自然と、高梨に視線が集まる一方、誰も十川ジャーナリスト見ていない。
「高梨くん、野球部だったの?」
「まあ、そんなとこ」
軽い。けれど、その動きには確かな積み重ねが見えた。
ゲームが終わり、彼らが戻ってくる頃には、空気は少しだけ柔らぐ。
負けじと、辻と鷹野がバットを握る。
ヒュン!!ヒュン!!
鋭い音だけが、空を切る。
当たらない。でも、その不器用さが、逆に場を和ませていた。
* * *
ほんの数時間。
カラオケルームは、熱気、アルコール、外れた音程で満ちていた。
空になったグラスがテーブルに転がり、ソファでは十川ジャーナリストが完全に潰れている。
その中心で、私はマイクを握っていた。
「みんな忘れてるんじゃない?私がロックバンドのボーカルだってこと!!」
アルコールが、思考のブレーキを外している。
男性陣の歌は、正直、耳に優しくなかった。
その反動で、胸の奥に溜まっていた何かが、一気に弾ける。
スマホをテーブルに置く。
音量は最大。
エレキギターのイントロが、空気を切り裂く。
もう、周りなんてどうでもいい。
溜め込んだ感情も、言えなかった言葉も、全部まとめて吐き出すように――声を張り上げる。
「じゃあ聴けよ、私たちバンドのオリジナル曲!!」
喉が焼けるような感覚。
それすら、心地いい。
そして――
「マーモットは私の心臓!!マーモットは私の心臓!!」
その瞬間、周囲が一点に収束する。
笑われてもいい。引かれてもいい。
そんなこと、どうでもいい。
私は、ただ叫ぶ。
マーモットしか勝たんのだ!!!
* * *
ガチャリ!!
「え?ちょ!!なんで!!びっくりした〜」
「は?なんでこっちに帰ってきた?」
気分が高ぶっていた影響で、なんか家で一人になりたくない。でもサークルメンバーに迷惑かけたくない。
同じ都内に住む実家へと帰ってきてしまったのだ。本当に勢いだけ。
玄関の先に見えるのは、キッチンから顔を出した母親の驚いた姿。
廊下を通る兄貴の姿。
「もう帰ってこないじゃなかったの?」
「実の娘が帰ってきて悪い?」
「そんなことはないよ!!」
嫌味にも聞こえる母親の言葉だが、表情は嬉しそうに、口角の上がり具合が目に映る。
母親の反応を見る限り、兄貴には感謝すべきだね。
以前の斎藤ルカの件で、兄貴にはお世話になった。あの後、警察が大学に乗り込む事態となり、私は事情聴取を受けた。だが斎藤ルカさんは私たちを庇ったことで、報道に名前が載らなかった。
兄貴は母親には心配させないように、『私が事件に巻き込まれたこと』、その話題を話さなかったことが、母親の笑顔からよく伝わる。
何事のなかったかのように、
「んかすごい疲れちゃって、一人でこれ以上かかえこむと死にそう」
そのまま、勢いで年季の入ったソファにダイブしょうとしたとき
「わ!!!!え!!!!」
ソファに座り込んでいた金髪の女性が振り返る。
肌は白く、水色の瞳さえ光沢のように光る。
瞳のぱっちりした大きさ、鼻の高さ、骨格が綺麗な顔ラインを保つ。
「外国人?」
「前に連絡したじゃない!!あんたの部屋空いたままだともったいないから、ホームステイする留学生に明け渡そうと思って!」
母は、スッと切り替えて、英語で流暢に話した。
「This is my daughter. Anna」
母と私を行き来する視線と説明で状況を把握した外国人。
「あ!!は…はじめま…して。私、エヴァです」
私は機転を利かせて、
「Nice to meet you!! I'm Anna Sakishiro. I can speak English,so if you want, talk to me」
と返答する。
「ありがとう。でも……ここ、日本。だから、日本語、はなす」
「えらいわね!!そういうところ、杏奈にも見習ってほしいわ」
「は?それってどういう意味?」
母親は私の質問に答えず、料理をしている。時間的に明日の朝ご飯を用意しているのだろう。
「腹減ってるなら、冷蔵庫にある残り物食べる?」
「食べる!!」
「はいはい……じゃあ温めるね!!」
あれ?珍しい。いつもは『自分でしなさい』の口癖がない。潔く冷蔵庫からタッパを取り出し、器におかずを乗せる動きに移る。
私もつい、そんな家庭の暖かさに甘えたくて、エヴァと同じソファにそっと座り込む。
「エヴァさんは、日本に来てからどのくらいいるの?」
「えっと……」
「ああ、ゆっくりでいいよ」
「1か月……」
「へ〜そうなんだ?日本はどう?慣れそう?」
「楽しい!!」
「そう、よかった!!あ!!連絡先交換しない?時間があったらさ、いろんな場所に案内するよ!!」
と同時並行で携帯電話を取り出す。
エヴァはこくりと頷き、携帯電話を取り出す。
バーコードを読み取り合い、友達追加をタッチ。
何気ない会話を二人で続ける一方、部屋の隅ではテレビがつけっぱなしになっていた。
さっきまで流れていた、明るい笑い声が飛び交うバラエティ番組。どこか遠くの世界の出来事みたいに、その音だけが部屋に軽く跳ねている。
エヴァはその音に合わせるように、小さく笑みを浮かべていた。ぎこちないけれど、場に馴染もうとしているのがわかる笑い方だった。
――そのとき。
番組が切り替わる。
軽快な音が途切れ、低い電子音が鳴った。
『速報です――』
アナウンサーの落ち着いた声が、急に部屋の空気を引き締める。
『本日午後、都内で電車の接触事故が発生し――』
その瞬間だった。
隣にいたエヴァの肩が、ぴくりと揺れた。
最初はほんの小さな反応。聞き間違いかと思うほどの、わずかな震え。
でも、次の瞬間にははっきりと呼吸が、浅くなる。
「……エヴァ?」
声をかけると、彼女はゆっくりとこちらを向く。
けれど、視線が合っていない。焦点が定まらず、どこか遠くを見ている。
テレビの音が、やけに大きく感じる。
『現場では――』
「エヴァ、大丈夫?」
もう一度声をかける。
彼女の呼吸がさらに速くなる。
胸が上下するたびに、空気をうまく取り込めていないのが分かる。
「……っ、……っ」
声にならない音。
喉が締め付けられているみたいに、うまく言葉が出てこない。
そのまま、彼女の身体が小さく前屈みになる。
「杏奈!!テレビ消して!!」
キッチンから母親の声が飛ぶ。
慌ててリモコンを掴んで電源を切る。
画面が暗くなった瞬間、部屋の音が一気に引いていく。
それでも、エヴァの呼吸は落ち着かない。
「大丈夫、大丈夫……」
自分でも驚くくらいぎこちない声で、繰り返す。
* * *
しばらくして。
エヴァを部屋で休ませたあと、廊下で兄貴に呼び止められる。
「ホームステイの依頼があった時に、エヴァの母親から発作症状を聞いたことがあって」
「そういうこと早く言ってよ、でもこの都内なんて、電車だらけでしょ?今までどうやって?」
「それがな、来日最初は全然大丈夫だったんだけど、最近また発症したらしい」
ソファで震えていたあの姿が、どうしても頭から離れなかった。
――何かを抱えてる。
そして、それは多分。
見えているより、ずっと深い。
* * *
「あ、もしもし?十川さん」
夜気を含んだ風が、公園のブランコをわずかに揺らしていた。
街灯の光が地面にまだらな影を落とし、その中で私はスマホを耳に押し当てる。
「何?何か忘れ物とか?」
軽い調子の声。けれど、その奥にある“聞く姿勢”は変わらない。
私はベンチに腰掛ける。冷えた木の感触が、妙に現実を強く意識させた。
「あの……杉田教授の電車事故、知ってますよね?」
「知ってると言っても、君たちと大して情報量は変わらないけどね〜」
「本当に事故だと思います?」
一拍、間が空く。
風が強く吹き、木々がざわめいた。
「んん、それは話を聞いてからじゃないとね、妹さんだっけ?」
「そ、そうですよね……」
「ただ!!」
急に声のトーンが上がる。
思わず背筋が伸びる。
「事故なら偶然にしても上手すぎる」
その一言が、胸の奥に重く沈む。
「……」
言い返せない。というより、同じ違和感を抱えていたからだ。
「部長さんなら、どうするの?」
問いかけられる。逃げ道のない問い。
街灯の光が、手元を照らす。震えている指先が、やけに鮮明に見えた。
* * *
数日後。
8月も中旬に入りつつある。
「みんな、呼んでごめんね!!今日もさ、A.C.Tの力を借りたいの!!」
目の前には、鷹野先輩、辻、星野さん、高梨くんがテーブルを囲うように並んでいる。
私の手で……いや、私たちの手で終わらせる。だって、折り鶴連続強盗殺人事件の全貌が見えてきた。そんな気がしたから。




