糸口(サークルメンバー集結)
警察署の待合室は、妙に明るかった。
白い蛍光灯の下で、プラスチックの椅子に座りながら、ただ手を握りしめていた。誰も泣いていなかった。泣くという行為が、あまりにも現実を肯定してしまうようで、怖かった。
担当者は静かな声で説明をした。
事故の概要、確認された事実、今後の流れ。言葉は丁寧だったが、どれも遠くで鳴っているように聞こえた。
「真央さん……」
学生は私を気にかけてくれたが、学生たちの声に耳を傾ける余裕はなかった。
微かに覚えている言葉。「電車事故」「ホームから飛び降りた」のフレーズだけ。
「お兄さまの状態ですが……」
その一言で、胸が締めつけられた。続きを聞く前から、何を言われるか分かってしまった。
対面で説明を受けたとき、頭の中がぐちゃぐちゃだった。会えるかどうか、会うべきかどうか。そんな選択肢が、こんな形で突きつけられるなんて思ってもいなかった。
頭の中では、兄の笑った顔ばかりが浮かんでいた。少し不器用で、冗談が下手で、それでも困ったときには必ず味方になってくれた人。どれだけ歳を取って、うざくても、やっぱりお兄さんはお兄さんだ。
帰り道、駅のホームを避けるようにして歩いた。電車の走る音が、胸の奥をえぐる。世界は何事もなかったかのように動き続けているのに、兄だけが、そこから突然切り取られてしまった。
夜の静かな部屋に辿り着き、ようやく涙が出た。声を殺そうとしても、嗚咽は止まらなかった。
「お兄ちゃん」
名前を呼ぶたびに、もう返事がないという事実だけが、何度も突きつけられる。
悲しみは、激しく押し寄せる波ではなかった。息ができないほど重く、静かに、確実に沈めていくものだった。
* * *
数日後。大学の部室――A.C.T。
ドアには、油性ペンで何度もなぞられた「偽善者」「悪魔」の文字。
黒く、粘つくように残っていた。
乾ききらない怒りが、そのまま表面に張りついているみたいだった。
鍵は壊され、無理やりこじ開けられた形跡がある。
中に足を踏み入れると、ゴミ箱は倒れ、書類は床に散乱していた。机の上のファイルも開かれたまま。
誰かが焦って何かを探した――そんな痕跡だけが、生々しく残っている。
けれど、今はそれに構っている余裕はなかった。
重苦しい空気が部屋を満たしている。窓の外では蝉が鳴いているはずなのに、その声さえ遠い
私の意識は、ただ目の前の人物たちに向いていた。
長机を挟んで、メンバーが向かい合うように座っている。
私の両隣には、星野さんと辻。星野さんは静かに座り、
辻は腕を組み、唇を引き結んだまま沈黙を守っている。
向かい側には、高梨くん。そして、かつての一期メンバー――鷹野翡翠先輩。
二人の間には、目に見えない線が引かれているかのように距離がある。
さらに部屋の隅。壁に寄りかかるように立ち、ペンの端を唇に当てながらメモ帳を構えている男性。
ジャーナリストの十川さんだ。一度、病室で見かけたあの人。
冷静な観察者の目で、場を見渡している。
流れる沈黙を破る、高梨くん。
「まず状況確認と行きましょう……咲白さん、あなたはどうやって顧問が亡くなったことを知ったんです?」
低く、抑えた声。けれどその奥に、抑えきれない感情が滲んでいる。
所属していた頃の、どこか穏やかで辿々しかった面影はもうない。
代わりにそこにあるのは、恨み、憎しみ、そして絶望を湛えた鋭い眼差しだった。
私は一瞬、言葉を失う。
「私は……」
喉がひりつく。それでも、逸らしてはいけない。
「私たちが何をしようとしていたのか?」
と口を開き、事実だけを話し始めた。
宮崎優香。その名前をきっかけに、辻晴人からA.C.Tが過去に犯した罪を知ったこと。
彼女の件が乱雑に扱われたこと。
そしてその出来事に深く傷つき、自殺を図ってしまった松本楓の存在。
そこから、なぜ顧問・杉田圭太教授は、2年前から起こっている折り鶴連続強盗殺人事件にのめり込んでいるのか……私自身も彼に、その理由を突き止めようとしていたこと。
それらを全て話した。
「その時、報道を見たんです。電車で飛び降り事故が発生。死亡したのは、杉田圭太教授。そう報道してたんです」
言い終えた瞬間、静寂が落ちる。
十川さんが、静かに一度だけ頷いた。感情は見せない。ただ、事実を受け取る者の目だった。
「俺たちも同じ感じです。なぜ教授が、そんな決断をしたのか……問い詰める予定でした」
口を開く高梨くん。強く噛み締めた唇の端が白くなっている。悔しさが滲んでいた。
そのとき。
「結局、逃げたんですよ」
鷹野先輩の一言が、鋭利な刃のように空気を裂いた。
場の温度が一瞬で下がる。
「お前さ……」
低く名を呼んだのは辻だった。抑えていた感情が、溢れ出す。
辻は椅子を蹴るように立ち上がる。
「お前の気持ちもわかってるし、わかろうとしてるつもりだ。なのに、教授のことを理解しようとさえしてないだろ?」
「理解しようとした矢先に、死んだ。逃げてるとしか思えない」
鷹野先輩は一歩も引かない。冷えた目の奥に、燃え残った怒りがある。
「なんで!?お前はそういう言い方しかできない!?」
次の瞬間、辻が鷹野先輩の胸ぐらを掴んだ。椅子が大きな音を立てて倒れる。
「辻!!」
私は反射的に立ち上がり、彼の腕にしがみつく。筋肉が硬く、震えている。必死に引き剥がそうとするが、彼の手は簡単には離れない。
「喧嘩しにきたわけじゃないでしょ!!」
だが辻の拳は、緩むどころかさらに力を込める。
「なら説明してほしい。なぜ教授は自死を選んだのか……」
鷹野先輩の声は静かだった。だからこそ重い。
その問いに、誰も答えられない。
辻の唇が震えると、やがて、掴んでいた手がゆっくりと離れていく。
蝉の声が、ようやく耳に戻ってきた。
私は深く息を吸い、震える心臓を押さえつける。そして、その静けさを切り裂くように、鷹野先輩へと視線を向けた。
「鷹野さん、聞かせてください。今回SNSで投稿者不明のこの文面、誰がやったか心当たりは?]
[SNS投稿]
投稿者:匿名アカウント(ID非公開)
「A.C.Tの罪を自白させろ」
これは“事故”でも“個人の問題”でもない。
2年前、茜森大学に在籍していた元学生が自ら命を絶った。
その背景に何があったのか、なぜ誰も責任を取らなかったのか。
サークルの圧力、隠蔽、見て見ぬふり。
もう忘れた顔して前に進んでる人たちへ。
あなたたちは本当に無関係ですか?
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【〇〇大学 元学生自殺―学内トラブルの可能性】
(※ニュースサイトへのリンク)
この投稿内容を見せた途端に
「私ですよ」と即答する鷹野さん。
「なぜ?」
「ここのサークルがいかに悪徳な組織か知らしめるためです。斎藤ルカさんの件覚えてます?闇バイト事件に関わってしまった彼女にここを紹介したのは私です」
「は?」「なんで?」
星野さんと私から漏れる言葉。
彼はまるで事務的な報告でもするかのように淡々と続けた。
「教授は、折り鶴連続強盗殺人事件に興味を示しているようでした。それ以外のことはまるで興味がないかのように。だから、斎藤ルカさんのような闇バイト事件に関わった人間をこのサークルに誘導すればどうなるか試したかったんです。それに、闇バイト事件に関わった張本人なんかの依頼に関われば、このサークルは潰れる。そう思ってました」
隣の椅子がガタリと倒れる。
前のめりで、机をまたがる勢いで、立ち上がった。星野さんだ。
「ルカは……都合よく利用されたってわけ?」
低い。けれど震えている。
いつもと違う、抑えのきかない口調だった。
「そういうことですね」
骨と肉がぶつかる鈍い音。
次の瞬間、激しく背中を打ちつける騒音が響く。
「星野さん!!!」
「お前!!!」
星野さんを取り押さえるので必死だった私。
目の前には、尻餅をつき、下を俯く鷹野の姿。ゆっくり顔を上げた彼の鼻から垂れる赤い一筋。
「暴行までするんですか……」
「星野さん、落ち着いて!!鷹野さんも!!! 人を傷つけるようなこと言って楽しいですか!?」
「別に……」
私もこれ以上黙ってられない。
鋭い視線、怒りを込めるように頬に力が入る。
「あなたこそ、教授のこと、何も知らないじゃないですか。確かに、人間性を疑う行動は多かったと思います。でもあの人なりに、私のことを考えてくれていました」
「……」
「依頼を終えた後、自ら、私たちのところに来るんです。依頼の結果や私たちの精神状態の確認を毎度してくれていたんです。依頼は精神的にも感情移入してしまうこともある。そんな私たちのメンタルケアを寄り添ってくれていました」
鼻で笑う鷹野さん。
「それだけじゃない。その後の経過確認のため、依頼者のもと一人一人訪ねてたそうです。私たちだけじゃない。依頼者までも気にかけていたこともありました。私も知らなかったけど、昨日真央さんから聞きました。」
「すべての依頼じゃないでしょ?」
「それでも、彼なりの誠意を持って、やってたんです!!
「私には理解したがいですね、こんな不安定なサークル組織、早く解散すべきです。個人情報の不正も。それだけじゃない。依頼人の数人が、連続強盗事件の共犯者になっている。依頼を通して脅してたと考えるべきです」
言葉一つ一つに込められていく鷹野の怒り。
「それは……」
「もし教授が意図的じゃなかったとしても、情報が流出してる点についてどう考えですか?それを聞きたくて、訪ねに来たのに、教授は亡くなった。学生課の杉田真央さんもいない。はあ、話になりませんね……」
ため息混じりの言葉に、高梨くんが続く。
「咲白さん、辻さん、何か知ってるでしょ?」
「え?」
と何も知らない私まで、火の矢が届く。
「何か杉田教授に頼まれてたんじゃないですか?」
鋭い眼差しを突きつけられる。まるで取り調べ。
「知らない」
「では、情報を管理しているラップトップPCを見せてください」
空気がぴたりと張りつめる。
ここで断れば、疑いは決定的になる。
でも、見せれば何が出てくるのか、私にもわからない。
ゆっくりと辻のほうを見る。
「辻……持ってるでしょ?見せてあげて」
軽く視線に映る辻の顔は険しく、苦悩が描かれている。
彼は恐る恐るPCをテーブルに置く。
高梨は、それを手に取り、開く。
しばらく画面と睨み合う視線。
隣から覗き込む鷹野も加わり、画面に打ち込まれた情報に目を通していく。
10分は経っただろうか。
流れる沈黙と呼吸音さえ大きく聞こえ始める。
やましいことはない。大丈夫。
そう念じた。
その時。
ラップトップから距離を取る高梨と鷹野。
「もうデータは消したんだろうね」
疑いがまだ晴れない。
「咲白さんは知ってたんですか?宮崎優香の件」
私と高梨は同じ学年であるが、サークル所属期間で言えば、私の方が長い。
先輩の辻や、杉田教授から聞いていたんじゃないか――
そういう含みを持った視線。
もちろん、
「知らなかった」
「なら、このサークルを解散すべきだと思わない?」
そう尋ねられた時、思考が止まった。
今までの活動が無意味に思えた。いや、思ってしまった。
救えたなんて本当に思えるだろうか?
みんなの人生を狂わしてるだけではないだろうか?
でも、否定する自分もいる。
それは、無意味だと認めたくないからじゃない。
確かに信念を感じたからだ。
「未熟な学生を助けようとする教授の……そして私たちを助けようとする気持ちは嘘じゃないと思う」
「あ!!!!!!!!」
部屋の隅。
メモ帳を片手に、ペンを持ったまま立ち上がる十川ジャーナリスト。
さきほどまで傍観者だった彼女の目が、今は妙に輝いている。
「杉田教授に何があったか思い出したかもです〜」
語尾は柔らかい。
けれど、その一言で部屋の空気が一変した。
「教授の娘さんが巻き込まれたんですよ〜強盗殺人事件の被害者として。名前は、杉田由美」
十川曰く――
事件が起きたのは、二年前の夏。
折り鶴連続強盗殺人事件が“連続”と認識されるよりも前、被害者として命を落としたのが、杉田教授の一人娘・杉田由美だったという。
表向きは、アルバイト帰りの若者が巻き込まれた単発の強盗事件。
だが現場には、のちに世間を騒がせることになる“折り鶴”が残されていた。
警察は当初、偶発的な犯行と判断した。
しかし同様の手口が続き、ようやく連続事件として扱われるようになる。
大学内では事実は伏せられ、教授自身も娘の死についてほとんど語らなかった。ただ、事件以降、彼の研究テーマや関心は明らかに変わったという。
若年層の貧困、闇バイト、SNS経由の犯罪勧誘。
「若い世代を孤立させてはいけない」と繰り返すようになったのも、その頃からだったらしい。
「じゃあ防止しようとしていた?」
いやそれだけじゃない。もっと執念があったはず。いやその勢いだった。
「犯人を探していた?でもなぜ大学内で?」
私の言葉に、みんなの中であらゆる可能性が駆け巡る。は……
「大学内に犯人がいた?」
「え?」
一斉に私に視線を上げた。
十川ジャーナリストは、嬉しそうに、
「ほら〜私の言った通り!!黒幕は大学生の可能性があるんですって〜!!」
その言葉を聞いた時、さらに空気が凍りついた。大学生の中に犯人が……犯人……サークル内にいる?
いや、それは憶測でしょ?
まだ断定できない。でもおそらく同じことを考えたはずだ。そうみんなの視線が物語っている。
一度、頭を冷やす休憩時間を取る必要がある。
* * *
第二ラウンド開始。
またサークルメンバーが集結する。
「どっちみち、教授の狙いはあくまで僕たちの憶測。ここではっきりさせるべきなのは、サークルを解散すること。それで全てが落ち着くと思っています」
鷹野が切り口を提案する。
みんなの反応、周囲の反応を見る限り、同意の意志を感じる。
「俺もこのサークルは解散すべきだと思う。こんな誰も救えない組織なんて意味はない」
高梨の言葉が現実味を帯びてくる。
確かに筋は通る。そう思う。でも……
「これ見てもらえますか?」
視線の上がる高梨と鷹野。
私は、携帯画面を彼らに見せた。
メールの文面。
そこには、侮辱を並べたメールもあれば、感謝を連ねるメールも含まれていた。
『こんなサークル無くなればいい』
『人の気持ちを無碍にするなんて、最低』
『死ねばいい。死ね』
『ありがとうございました』
『助かりました』
『本当にお世話になりました』
「ほぼ五分五分の割合で、マイナスな効果とプラスの効果があることがわかっています。私が言いたいのは、あと5割の取り組みを変えていければ、この組織も無駄じゃない。私たちはまだ未熟といえど、それは学生だから。何かがダメだからだったって、全てを切り捨てる必要はない」
「2年間、何も変わらなかった」
鷹野は、松本楓さんが自死を選ぶきっかけとなった宮崎優香さんの件について言及している。
確かにあれから2年間、大きくサークル内部の取り組みが変わったと先輩から聞いたことがなかった。
「そうでもない。高梨、星野が入部してきたことがサークルの効果としても考えられるだろ」
辻は真っ直ぐに、鷹野の視線を捉える。
貫く言葉に、静まり返る空間。
時計の針だけがチクタクと一定のリズムを刻む。
「私は宮崎さんの件を聞いて、ショックを受けました。依頼に大小はないのに……彼女をおろそかにしてしまった。それだけじゃない。松本楓先輩の気持ち、サークルメンバーの気持ちさえ寄り添うことができなかった。私はこの件が先輩たちによって隠されていたことに、大変信用を失いました。なので、わたしが部長として、サークルの内部を改革していきます」
わたしの言葉に、
顔が上がり始めるサークルメンバーたち。
隅で怠惰な姿勢を見せていた十川ジャーナリストさえ、わたしの眼差しを捉えていた。
「まずは、1年以内に、サークル内部の情報共有の可視化は、学生ではなく、真央さんに託します。そして、依頼を請け負う件数の限定を考えます」
「それは……」
と思う星野さんには、こう答えた。
「おそろかにしないためです。そして、大学内でもカウンセリング室ははあります。そこと、より連携を取ることで、依頼人のその後の経過といった寄り添い方も可能です」
わたしは何をいっている?
でも止められない。口が頭で考えてることを放棄し、このサークルの改善案を次々と提案し始めた。
鷹野は放心状態。
「まあ解散はしなくていいんじゃないか?」
立ち上がるのは、十川ジャーナリスト。
「今解散したところで、なぜ情報が流出してるのかさえわかっていないんだよ〜。今日は、サークルメンバー内でのけじめをつける時間!!それに、君たちや大人たちに取材してからじゃないと、こちらとしてもーねー?」
鷹野はなんとも言えない複雑さが顔に刻まれる。
「ってことで、とりあえずサークルの存続を考えてみな? ほら、みんなで飯行こう、飯。腹減ってきたよ〜」
十川ジャーナリストにうながされる空気感。
「咲白さん……」
高梨の言葉がまた空気を張り詰める。
「信じていいんですね?……その気持ち…‥」
「うん……」
小さく、しかし確かに頷く。
高梨は、目を閉じ、深く息を吐いた。
「わかった」
長文のエピソードにお付き合いいただき、ありがとうございました!!
皆さんには感謝の気持ちでいっぱいです。
このエピソードでCase4は完結となります。
Case5から内容盛りだくさんの見所に溢れた新章になると思います。
ぜひ引き続き読んでいただけると嬉しいです。
完結まで残り2章!!!!




