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A.C.T アクト:謎の大学サークルに依頼した件について  作者:
Case4 A.C.Tの罪について

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20/21

罪と罰 後編

「松本さん!!」


呼び止めると、

彼女は少しだけ驚いたように振り返った。

廊下の窓から差し込む夕方の光が、彼女の横顔を淡く縁取っている。


「断りましょう。新しい依頼の件……今は宮崎さんのこと優先すべきです!!」


一瞬、言葉を探すように視線が揺れた。


「……うん、そうだよね……」


声は低く、深いところで悲しみが滲んでいた。

無理に明るく振る舞おうともしない、正直な声だった。


「力になる。まだ次の新しい依頼まで時間あるから」


「ありがとう、翡翠……じゃあ、できることからしてもらおっかな?」


穏やかな口調。

けれど、その奥に沈んだ影は、はっきりと見えた。


*  *  *


それからの松本は、

二重生活を送るようになった。

時には、他の依頼が重なり、三重になることもあった。


表向きは、A.C.Tの活動。

闇バイトの噂について、学内で聞き取りを行い、

匿名で寄せられた情報を分類し、整理する。


学内のカフェテリア、図書館の隅、

夕方の講義棟の廊下。

場所を変えながら、彼女はノートとスマホを手放さなかった。


この案件は、大学側の関心も高かった。

顧問も頻繁に部室を訪れ、

「進捗は?」「困っていないか?」と声をかける。


でも、松本の本音は、

いつも別のところにあった。


*  *  *


部室の窓は開け放たれていたが、

夏の湿った空気はほとんど動かない。


「今日、宮崎さんから返事きた?」


私の問いに、松本はスマホを伏せ、少し困ったように首を振った。


「まだ……でも、昨日は“大丈夫”って」


その言葉を聞いた瞬間、

胸の奥が、ひやりと冷えた。


*  *  *


依頼人の宮崎優香は、少しずつ壊れていった。


「学校には行ってる」と言う。

けれど、教室の話はしない。友達の名前も出てこない。


代わりに増えていったのは、体調の話だった。


「頭が痛い」

「目がチカチカする」

「階段、怖い」


松本は、その一つひとつをノートに書き留めていた。

黒いペンで、日付と時間を添えて。

まるで医療記録のように、几帳面に。


ページをめくるたび、

“昨日より悪くなっている”ことが、誰の目にも分かる形で残っていった。


「……ねえ、これ。私、何か間違ってるかな」


ページには、

宮崎の言葉。

高校側の対応。

連絡の有無。

「様子見」「経過観察」という文字。


どこを探しても、

“解決”という言葉はなかった。


「間違ってないよ」


僕は、そう答えることしかできなかった。


その瞬間、

松本は少しだけ、ほっとしたように息を吐いた。

肩の力が、わずかに抜ける。


だがそれも束の間。


「やっぱり様子みてくる!!」

そう言い、荷物を手に取ると、部室から勢いよく駆け出した。



*  *  *


後に聞いた話からまとめた当時の状況だ。


午後の理科室は、独特の匂いがこもっていた。

アルコールランプの燃える匂い、薬品の刺激臭、

濡れた雑巾の生温かい湿気。


白衣を羽織った生徒たちが、

それぞれの実験台に散らばっている。

教師の説明は、教科書通りで淡々としていた。


宮崎優香は、実験台の端に立っていた。

ビーカーを持つ手に、必要以上の力が入っている。

ガラス越しに見る液体が、わずかに揺れた。


「最近疲れ目で、焦点もあってないんじゃ〜ん。ゴーグルのけたほうがいいんじゃない?」


通りすがりに、宮崎優香の保護眼鏡が外された。

胸の奥には、教室や廊下で毎日のように浴びてきた冷たい視線や嘲笑う笑い声が、まだ重く残っていた。


「失敗したら、また言われる」

「見られてる……」


頭の中で繰り返される声に、

彼女の注意力は細かく削られていく。

ピペットの目盛りに、うまく焦点が合わない。


隣の実験台では、

クラスメイトが手際よく作業を進めていた。

誰も、彼女を見ていない。

それでも、視線はある気がした。


隣のクラスメイトが、

薬品のボトルを取ろうとして、

体当たりする勢いで肘を動かす。


その肘が、宮崎の腕に触れた。


集中力を失いかけていた彼女には、

それで十分だった。


手元が狂う。ビーカーが傾く。


こぼれそうになる液体を止めようと、

反射的に動いた、その瞬間。


不安定に置かれていたガラス器具が倒れ、

乾いた音を立てて割れた。


飛び散る破片と液体。

視界が、急激に白く弾ける。


「――っ」


声にならない悲鳴。


宮崎はその場に崩れ落ち、

両目を押さえたまま動かなくなった。


理科室が、騒然とする。

誰かが教師を呼び、

誰かが「事故だ」と叫ぶ。


松本楓が駆けつけてきた頃には、すでに遅かった。


*  *  *


病院の待合室。

蛍光灯の白い光が、時間の感覚を奪う。


事故の連絡を受けて、

松本が駆けつけてきたのは、

すべてが終わった後だった。


処置室の前で、彼女は立ち尽くしていた。

肩で息をしながら。


*  *  *


医師の説明は、専門的で、

松本にも僕にも半分も理解できなかった。


だが、次の言葉だけは、逃げ場なく突き刺さる。


「強い衝撃で、眼球内部に損傷があります。視力の回復は……」


松本の顔から、血の気が引いた。


処置室の奥で、

宮崎優香は天井を見つめたまま、

瞬きひとつしない。


「……見えない、です」


小さく、確かめるような声。


「なんか……暗いままです」


それが、

失われたものの大きさを、

何よりも分かりやすく語っていた。


誰かが、彼女を傷つけようとしたわけじゃない。

誰かが、突き飛ばしたわけでもない。


でも、

積み重なったいじめと、削られた集中力と、

「様子見」で放置された時間が、


――この結果を生んだ。


松本は、

何も言えず、その場に立ち尽くしていた。


「間に合わなかった」


絞り出すように震える声。

胸の奥が冷たく、重く、圧迫される。

事故は偶然ではない。

毎日のいじめが、宮崎の心理を追い詰め、緊張状態を作り、身体の動きに影響を与えた。

松本たち大学生の介入が不十分であったことと重なり、最悪の結果が現実になった。


その日を境に、松本は変わった。

笑わず、眠らず、食べず、ただ自分を責め続ける。


僕も色々試みたはずだった。彼女が元気になる方法。

しかし、宮崎優香の件がサークル内部で忘れ去られらたように、松本楓もどこか忘れられていく存在になっていた。


*  *  *


あの日、大学に着いたのは、まだ空が白みきる前だった。

構内は静かで、風の音だけがやけに大きい。

足が、自然とあの建物の方へ向いていた。


部室・・・手提げの荷物。あれは、松本のものだ。

もう来てるのか?でも姿は見当たらない。

重苦しい湿った空気を解放しようと、部室の窓を開ける。

そう外に視線を向けた時だった。


……いた。

屋上に黒い人影があった。

一瞬、声が出なかった。

シルエットだけで、誰か分かった。



*  *  *


駆けつけた先の屋上。

ドアが勢いよく開ける。


「……松本」


呼ぶと、彼女はゆっくり振り返った。

驚いた顔はしなかった。

むしろ、少しだけ、ほっとしたように見えた。


「翡翠……来ちゃったんだ」


声は、いつもより静かだった。

張りも、迷いもない。


「何してるの?」


自分でも、馬鹿みたいな質問だと思った。

松本は、空を見上げた。


「ね……宮崎さんさ、朝はまだ、暗いって言ってた」


その一言で、全身の血が冷えた。


「……戻ろう。話そう。ちゃんと、話そう」


一歩、近づく。

彼女は、それを見て、首を横に振った。


「翡翠は、悪くないよ」


「違う、そうじゃ——」


「私ね」


松本は、手すりに軽く触れた。

掴むでもなく、寄りかかるでもなく。


「助けたかった……でも助けきれなかった」


風が吹いた。

彼女の髪が、揺れる。


「それでね。生きてると……ずっと、あの光景が頭にあるの」


私は、走り出そうとした。

本当に、一瞬。

でも。


「来ないで」

はっきりした声だった。

初めて聞く、拒絶だった。


「翡翠が見たら……きっと、背負う。でもごめんね……生きるの疲れちゃった」



つい溢れた彼女の本音。それが、最後の言葉だった。

松本は、私に背を向けた。

一歩。

ほんの一歩、前に出ただけだった。


——次の瞬間を、

私は、目を逸らせなかった。

肉が激しく打ち付けられる音がした。

人の体が、地面に落ちる音。

世界が、止まった。

足が動かない。声も、出ない。ただ、下を見る。

人が集まり始めていた。


誰かが叫んでいる。誰かが、救急車を呼んでいる。白いシートが運ばれてくるまで、私は、そこから動けなかった。

“死んだ”と分かったのは、医師でも、警察でもなく。彼女が、もう一度も、こちらを見なかったからだ。


それだけだった。


その朝から、

私は「もしも」を考え続けている。

あと一歩、早ければ。あと一言、違えば。


*  *  *


「僕の責任だ」


その言葉は、重く、低く落ちた。

テーブルの上に置かれたままのコーヒーカップが、かすかに揺れる。


向かいに座るジャーナリストの十川大輝さんと、隣の高梨江は、その一言を受け止めきれずにいるようだった。

驚きというより、どうしようもない現実を前にした人間の顔――

ただ、絶望するしかない、そんな表情に見えた。


「じゃあ……宮崎さんの目が見えなくなったのって……顧問のせいだろ……」


午後の光が柔らかく差し込む、少し古めかしい喫茶店。

壁に掛かった時計は、規則正しく秒を刻んでいる。

カウンターの奥では、コーヒーを淹れる音が静かに響いていた。


窓際の席に、私たちは三人で座っていた。

外では、夏休み中の学生たちが笑いながら通り過ぎていく。

その光景が、場違いなほど平和だった。


十川さんは何も言わず、

カップの縁を指でなぞりながら俯いている。

考えを整理する時の、彼の癖だ。


「だから杉田教授に罪を自白させたい・・・それで、あのサークルを解散させたいんです」


僕の声は静かだった。

だが、その奥には、押し殺してきた怒りと苛立ちが、濁ったまま沈んでいる。


十川さんが、ようやくペンを止めた。

細めた目で、こちらを見据える。


「感情的になるのは理解できるよ〜。でも、まずどうすべきかを整理しないと。飛び込みで探しても、無駄になる〜」


言い方は柔らかい。

だが、その言葉は、現実を突きつける冷静さを持っていた。


「では、どうすればいいんです?」


自分でも分かっていた。

今の僕は、考える余裕を失っている。

それでも、立ち止まることはできなかった。


だから、その判断を――

十川さんに、預けるように問いを投げた。


「そのサークル、顧問は杉田圭太教授だけ?他にいないの?支援してくる大人の関係者・・・」


「杉田教授の妹さんが学生課スタッフとして働いてます」


「あ〜なるほど〜、依頼人の情報は、そこから引き出しているってわけか〜」


十川は、淡々とメモに線を引いていく。

感情を挟まず、事実だけを並べる手つき。


「学内の連絡網、学生課のスタッフ、事務局……そこから夏休み中でも連絡が取れる可能性がある人を辿るべきでしょうね」


時計の針が、一秒進む音がやけに大きく感じられた。


その時だった。


「オープンキャンパス……」


高梨が、ぽつりと呟く。


「え?」


「明々後日、オープンキャンパスがあるんです・・・杉田真央さんは、スタッフだから受付とか対応するんじゃないですか?」


一瞬、喫茶店の空気が止まったように感じた。


十川の目が、はっきりと光る。


「それだ」


*  *  *


茜森大学の構内は、休日とは思えないほど人で溢れていた。

オープンキャンパスの日。

真新しいパンフレットを手にした高校生と、その保護者たちが、

キャンパスの坂道をゆっくりと行き交っている。


私たちは、人の流れに紛れるように歩きながら、

顧問の行方を知っているであろう妹――杉田真央を探していた。


受付のある建物の前に差しかかった時、

ふと、弾んだ声が耳に入る。

案内役の学生やスタッフたちの、作られた明るさを帯びた笑い声。


十川の足が、わずかに止まった。


受付付近で、数人の女性スタッフが来校者の対応をしている。

その中の一人。資料を手際よく整えながら、相手の目を見て微笑む女性がいた。


白く清潔なシャツに、控えめなアクセサリー。

疲れを隠すように背筋を伸ばした姿勢。


その顔に、どこか見覚えがある。


「あれ……」


十川は、ほとんど独り言のように呟き、

そのまま迷いなく近づいていった。


「すみません、ちょっといいですか」


声をかけられた女性は振り向き、

一瞬、目を丸くする。


「はい……?」


十川は名刺を取り出し、相手の視線より少し低い位置で差し出した。


「赤崎マガジンのジャーナリスト・十川大輝と言います」


いつも通り、手慣れた所作だった。

名刺を渡しながら、


「今騒ぎになっている件についてお伺いしたいですんが……」


と告げた、その瞬間だった。


女性――杉田真央は、

視線を逸らし、後ずさる。

そして、何も言わずに、その場を離れようとした。


十川は、間を置かずに続ける。


「教授の行方を探しているんです」


廊下へ向かって歩き出した彼女の足が、

ぴたりと止まる。


背後では、来校者たちの笑い声、説明をする声、驚き混じりの感嘆が、

遠くで反響している。


「私も探しているんです」


絞り出すような声だった。


「ご家族なんでしょ?一緒に暮らしてるのでは?」


「だから、帰ってきてないんです!!」


声が、思わず跳ね上がる。

受付係としての顔が、完全に剥がれ落ちていた。


「うむ、そうですか? では次の質問です。教授はずいぶん折り鶴連続強盗殺人事件についてのめり込んでいたようですね……何か理由が?」


「なぜそれを?」


その問いに、

私は自然と、後ろへ視線を送った。


背後から、二つの人影が近づいてくる。

人波を縫うように現れたのは、高梨江と、鷹野翡翠だった。


彼女は二人に気づいた瞬間、

言葉を失ったように口を開けたまま固まる。


「鷹野さん」


「あんたの兄さんのせいで、このサークルは地の果てまで落ちた……責任を取るべきだ……なんであれほど闇バイト事件にのめり込んだんです? 学校を守るためですか?」


言葉が、一つずつ突き刺さる。

彼女の肩が、目に見えて小さくなっていく。


逃げ場を探すように視線が彷徨い、

ついには、子鹿のように身をすくめた。


「なんで!!何を考えてる!!!!」


その叫びが、喧騒の中に溶ける前に。


携帯電話の着信音が、

唐突に鳴り響いた。


高梨江の携帯だ。


彼は一度、通話を切る。

無視する。


だが、数秒後、また鳴る。

さらに、また。


静かな電子音が、

妙に耳についた。


「誰から?」


俺の問いに、高梨は一瞬だけ迷い、


「同じサークルメンバーからです」


と答える。


「電話に出たら?」


鷹野の一言に、

渋々といった様子で、高梨は通話ボタンを押した。


「もしもし?」


・・・・・・



「え?」


声が、ほとんど出ていない。


「どうしたんです〜?」


私の問いに、高梨は、震える息を吸い込む。


「教授が……杉田教授が……死んだって……」


その言葉が落ちた瞬間、

オープンキャンパスの喧騒は、

一気に遠のいた。


誰も、すぐには動けなかった。

笑顔と案内板と、

祝祭めいた空気の真ん中で。


――死だけが、

はっきりと、告げられた。

次回、Case4最終回(予定)

そしてCase6完結に向けて、執筆中

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