A.C.T
『おい!! 優香!! 優香!!!』
何度も何度も名前を叫んだ。
だが、声は激しく打ちつける雨音にかき消される。まるで、俺の叫びにノイズを重ねてくるようだ。
それでも、声を荒げ、血眼になって周囲を見回す。
空は真っ黒に染まり、歩行者の姿はない。
時折、ヘッドライトが闇を裂くように道路を照らし、濡れた路面に白い筋が流れる。
増水した川が、ゴウゴウと重たい音を立て、俺の声すら飲み込んでいく。
まさか……川に……?
胸にこみ上げる焦りが、喉を突き上げ、声はますます大きくなっていった。
その時、不意に腕をつかむ力強い感触。
『江!! 江!!!!!』
隆の声だった。
『離せ!!』
『江!! 頼む、聞いてくれ!!』
『彼女を見つけないと……!!』
俺の叫びを遮るように、隆が必死に口を開く。
『あいつから連絡が来た!』
その一言で、頭の中の喧騒が、スッと静まった。
『だから、帰ろう……』
隆の目が俺を見つめる。
切なさと安堵、そして言葉にできない濁った感情が、静かに渦を巻いていた。
* * *
数日後――
俺は、自分でもよくわからなくなっていた。
何かがおかしい。こんなにも自分を制御できないなんて、今までなかった。
正直、怖い。
誰かが話しかけてきても、耳に届かない。
教室の笑い声が遠くに聞こえて、ひどく苛立った。
何を笑ってる。何も知らないくせに。
優香のことを考えれば考えるほど、心臓が焦げ付くように痛くなる。
頭の中で何かがひっかいてくる。言葉にならない音。
それが蓄積して、蓄積して……
次の瞬間、俺は拳を振り抜いていた。
「……あ?」
目の前にいたのは、ただ話しかけてきただけの同級生だった。
俺は、そいつの胸ぐらを掴んでいた。
周りには、騒ぎに気づいた連中が押し寄せ、俺の両腕を抑え込んだ。
暴れてる? 俺が?
なんで?
床に散らばった白ごはんが、やけに眩しく見えた。
ひっくり返った弁当箱、食器の転がる音。
あたりにはざわめきと、遠巻きに俺を見る冷たい目。
その視線が、全身に針を刺す。
「江!!おい、落ち着けって!!」
声が聞こえた。
――古谷隆。増水した川が流れたあの日、橋の上で俺の腕に掴みかかったあいつだ。
「……なあ、こないだ言ったよな?あいつは、今ひとりで考える時間が必要なんだって」
「な、なんで……!? 俺に相談してくれればいいじゃないか……!」
喉の奥から、抑えきれない叫びが漏れる。
「お前、まさか……俺を押さえ込むために、あんなこと言ったんじゃ……」
「違う。信じてくれ。……なあ、わかったよ。だったら――あいつを、探しに行こう」
「……本当に、行くんだな?」
「もちろん。約束する。だけど、俺たちだけじゃダメかもしれない。助っ人を呼ぶ」
「助っ人……?」
その言葉がどう言うことを意味しているのか、実感が湧かなかった。
* * *
その日の夕方。いわゆる放課後の時間だ。
俺は普段通らない別館へと案内された。
廊下の窓から見える景色には、大きいキャンパスだと思わせる幾つかの建物、楽しそうに会話する学生の溜まり場と化した中庭、正門とキャンパスを繋ぐメイン通りが目に映る。
靴底の音が鳴り響き、横を通る学生の声が少し聞こえてくる。同時に、鼓膜を突き破る勢いの蝉の鳴き声。
そんな音たちが入り混じる先には、『A.C.T』と書かれた札がドアの前に差し込まれている。
『なんだよ、ここ?』
隆は、何事もないようにドアをノックする。
数秒後、ドアの奥から静かに現れる1つの影。その影はボブスタイルの黒髪と共に現れた。
『お、来た?』
『ああ・・・彼は、高梨江。僕の友人だよ』
『そう』
くるっとした瞳が隆から俺に。よく見ると、彼女の髪の毛先は黄色で染められている。
『よろしくお願いします、高梨さん』
軽く反射的にお辞儀するも、何をするかは全く聞かされていない。さっき助っ人を呼ぶとかなんとか。
* * *
中に足を踏み入れると、そこは静かなオフィスのような空間だった。
中央には木目の長机と数脚の椅子。奥には、ガラス張りの個室が二つ。どこかスタディルームを思わせる。
「今日は私たち以外、誰もいないから、真ん中の机使おう!」
明るく言い、俺は彼女に促されるまま、少し戸惑いつつ椅子へと向かった。
そのとき。
誰もいないはずの奥の個室から、ふいにもう一つの影が現れた。
ビクッと肩が跳ねたが、すぐにそれが人だと分かる。
長身で茶髪のセンター分け、眠たげな目にくたびれた服の男子学生だった。
「――あ、辻晴人。同じサークルメンバーだよ」
「サークル……?」
思わず反応してしまった俺の言葉に、場の空気がピリッと張り詰める。
その場にいた全員の視線が、同時に俺へと向いた。
「江……このサークルのこと、知らないの?」
俺の問いに唖然としたように、近くの彼女が頭を抱える。ややオーバーに見える仕草だったが、苦々しさの滲んだ視線がすぐに俺へと向いた。
「じゃあ、教えてあげる。このサークルはね、表向きはボランティア活動に従事したサークル。だけど本当は、学生の悩みや依頼――なんでも引き受ける“人助けサークル”なの」
「人助けサークル……?」
「私はこのサークルの部長、咲白杏奈」
彼女が微笑みながら名乗ると、隣の隆が補足するように口を開いた。
「意外と評判よくてさ。他大学でも噂になってるくらいだぞ」
「そんなに……? じゃあ依頼って、本当に何でも?」
俺が尋ねると、咲白さんは小さく笑って答えた。
「許される範囲ならね。もちろん、刑事事件は無理だけど」
そのとき、隆が少し真剣な顔で言葉を継いだ。
「ここなら、宮崎のことも何か手がかりが見つかるかもしれないって、思って」
サークルの概要を少しずつ理解していく中で、俺たちは正式に“依頼”をすることになった。
簡単な自己紹介のあと、隆と俺で状況を説明する。内容を聞き終えると、咲白さんが情報を整理しながら確認を入れた。
「つまり……いつも高梨江さんと一緒にいるはずの宮崎優香さんが、最近大学で姿を見せなくなった。
一応連絡は取れたけど、家にも帰っていない……そういうことですね?」
俺は小さく頷いた後、補足するように言った。
「……優香は視覚障がいがあって、普段は俺が手伝ってるんです。だから一人で出歩いていると思うと……心配で、夜も眠れないくらいで」
咲白さんは優しく頷きながら、視線を俺の方に向ける。
「分かりました。私たちで一緒に探しましょう。まずは、優香さんの知り合いや友人の名前を、思いつく限りで構わないのでリストにしてもらえますか? 私たちの方で連絡を取って話を聞いてみます」
すると辻さんがノートPCをスッと俺の前に置く。
「ここに、名前と関係性を書き込んで」
画面にはシンプルな表形式が表示されていた。
続き咲白さんは、隣に座る隆に視線を移す。
「古谷隆さん。優香さんの顔写真、私たちに送ってもらえますか?」
「はい、分かりました」
意外とすんなりと進むやり取り。でもどこがでこのサークルのことで不信感を持っているのも事実だ。
人気?とはいえ、聞いたことないサークル。無償で人助けをする? ボランティア? 無料ほど怖いものはない。絶対何か裏がある。でも優香を探すことが最優先だったし、人捜しをするのに、協力者が多ければ多いほどいい。そう自分に言い聞かせることで、彼女たちを信じることにした。
* * *
炎天下。
真夏の陽光が容赦なく照りつけ、アスファルトの照り返しで視界が揺らいでいた。
スーツの背中は汗でじっとりと湿り、シャツの襟元はすでに重たく肌に張り付いている。
男であろうと日傘が欲しくなるような、そんな刺すような暑さの中でも――事件は、いつもと変わらず、唐突に起こる。
「お疲れ様です」
現場を警戒する制服警察官が軽く頭を下げる。
挨拶に軽く頷き返しながら、黄色い規制テープをくぐって敷地内へと足を踏み入れる。
目の前に現れたのは、木造の一軒家。
黒ずんだ瓦、引き戸、縁側の格子――どこか懐かしさを感じさせる和風の佇まいだ。
住宅街の中にひっそりと建っているが、外観に特段の異常はない。
だが、玄関をくぐり、一歩足を踏み入れた瞬間――空気が変わった。
室内はひどく荒れていた。
畳の上には割れた食器の破片が飛び散り、押し入れから引きずり出された衣類が床を覆っている。
居間の中央では、木製のテーブルが斜めに傾き、椅子の一つは背もたれが折れていた。
家具の位置も不自然にずれており、激しいもみ合いがあったことは一目でわかる。
その先――畳の上、涼しげなブルーシートの下に、膝を曲げるように横たえられた人のかたち。
被害者は若い女性。
シートがめくられると、やや痩せ型の身体に、乾きかけた血の滲みが目に入る。
衣服は乱れ、首元にうっすらと絞め跡のような痣が残っていた。
「……かなり荒れてますね。金目の物、持ってかれたんでしょうか」
鑑識の一人が、呟くように言う。
室内の状況を見る限り、物取りの線が濃い。だが――
「また、闇バイトの手口か」
「確かに……財布や金品類、全部見当たりませんでした。現金も、口座情報の控えもなしです」
報告に、誰かが深くため息をつく。
だが、全員の視線が吸い寄せられたのは、次の瞬間だった。
遺体の顔の近く――
唇の間に、小さく、色鮮やかな“折り鶴”が差し込まれていた。
濃い紫の折り紙。
小さく丁寧に折られているが、濡れて少しだけ端が解けていた。
「……これで、五件目だぞ」
低い声が、室内に響いた。
折り鶴。
この奇妙な“サイン”は、過去にも見覚えがあった。
同じような手口、同じような犯行現場。すべての遺体のそばに、決まってこの折り鶴があった。
誰が、なぜ、これを遺すのか。
何かのメッセージなのか、挑発なのか――あるいは儀式か。
外では蝉が鳴いていた。
その声が、どこまでも不気味に、暑さとともに響き渡っていた。
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます!
おそらく1年ぶりの完全新作・第1話ということで、拙い部分もあったかと思いますが、読んでいただけたことが何よりの励みです。
これから物語は少しずつ動き出し、主人公が巻き込まれる出来事や出会いが増えていきます。
次回は、“宮崎優香の失踪”について衝撃的な真実へと近づいていきます。よければ引き続きお付き合いください!
ブックマーク・感想などいただけると、とても励みになります。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。




