グラニュー糖の砂浜
ザッザッザッと砂浜を歩く音が聞こえる。
音が止んだ。
僕は水面を眺めた。
忘れもしない。
あの事故が起こったのは四月だった。
クラスメイトの冬山さんがトラックに巻き込まれて事故死した。特に仲が良かったわけでもないけれど、最初は全く意味がわからなかったし、信じられなかった。クラスメイトの担任も、みんな悲しんで、泣いていた。
僕へのいじめも一旦止んだ。
いじめが止んだこと自体は嬉しかった。でも素直には喜べない。友人(?)の犠牲の上で成り立っているものなんて嬉しいわけがない。
事故から二週間が経つと、周りは次第に、僕をいじめていたことを思い出したようだ。チョークの粉だらけになったり、外履きがなくて上履きのまま帰ったりと散々な目に遭っていたが、どれもこれも今までにやられたことだし、もう慣れた。
そんなことよりも一番心に突き刺さったのは、向井くんの「お前いつも壁の写真ばっか撮って気持ちわりぃの。」という言葉だった。僕だって、好きで壁の写真を収集しているわけではない。できれば壁なんて、写真だろうが見たくもない。
でも、あの日からずっと、僕は壁を眺めている。
向井くんに言われた言葉は流石に傷付いたので、こういう時は一番安心できる海辺で落ち着くことにしている。
その日は珍しく朝方だった。
四時半頃、今は家族もみんな寝ているだろうと部屋着のまま、スニーカーを履いて家を出た。
町は暗くて、静かで、僕のあくびしか聞こえなかった。
海に着いて、グラニュー糖みたいにサラサラした、粒が細かい砂浜に腰を下ろして風を待った。
砂浜は月明かりに照らされてところどころがキラキラと煌めいている。
ふと気付けば、隣に人影が見える。
誰…?と聞く間もなく、「久しぶり、波田野くん。」という優しくて涼しい声が聞こえてきた。
「あ…もしかして、冬山さん?」
見えない誰かは驚いたようで、僕は空気の揺れを感じた。
誰かは、「すぅ」と普段なら聞き取れない声量で息を吸ったかと思えば、ふふっと笑って言った。
「わかるとは思ってなかったなあ。」
「まあ、今は精神を研ぎ澄ましていたからね。」
「なあにそれ。」と笑う冬山さんの声を聞いて、僕は気が付いてしまった。
「忘れていたけど、冬山さんは今どこにいるの?」
「隣にいるよ。」
「やっぱり隣にいるの?」
「うん。」
「見えないけど?」
「ああ、そっか。」
冬山さんがそう言うのと同時に、三ヶ月前に見たきり見ていなかった彼女が目の前に現れる。
仄暗い光を纏った彼女は、いつか絵本で見たかぐや姫のようだった。
服装は事故の時と同じ制服だったので、多少光っていても、話していて違和感はあまりなかった。
彼女は砂を手に取っていじりながら微笑み、こう言った。
「私が死んで寂しかった?」
久しぶりの再会に喜び、驚いたのも束の間、さらなる衝撃が僕を襲った。
それ、再会して早々聞くことか?とは思ったけれど、彼女らしい、面白いところが変わっていなくて安堵した。
ここでの問題は返答の仕方がわからないということだ。
付き合っているわけでも、親友というわけでもないのに、ここで寂しかったと素直に言うのは少し気持ちが悪いと思うので、受け取る側の気持ちも考えられる僕は、悩んだ末に「まあ、それなりにね。」と無難な言葉を選んだ。
「波田野くんだって変わってないじゃない。」と、彼女の口から出た言葉は意外なものだった。
微笑んでいたので尚更だ。
まるで僕の心を読んでいるような言い方に多少は驚いたけれど、面倒なのでスルーする。
海の水平線から朝日がさしてきていて眩しい。
そろそろ夜明けだから…と僕が口を開きかけた時に視界に入り込んできた、朝の斜陽に照らされて煌めく深い青色の海は、宇宙みたいで吸い込まれてしまいそうなくらい綺麗だった。
僕は朝日を見つめながら、ある二つの重要なことを思い出していた。一つは今日も普段通りに学校があるということ。もう一つは、朝日が昇ってから冬山さんと会話をしていないので、まだ彼女が隣にいるかどうかがわからないということ。もしかしたら彼女は朝日を浴びると消滅してしまうかもしれない、とふざけたことを考えてしまった頭を整理して、ゆっくりと彼女のほうを向く。ちょうどそのタイミングで、彼女はすくと立ち上がり「また今夜、ね。」とだけ言い残しザッザッと音を立てながら海へ入ろうとした。さっきまで普通に会話していたせいで、彼女はもう死んでしまっているということを忘れていた。
それがいけなかった。
気付いたときにはもう腰まで海に浸かっていて、僕は咄嗟に「溺れちゃうよ!」と叫んでしまった。
言ったから気付いた。
もう遅かった。
彼女は死んでいた。
不思議なことに、彼女の腰から下は消えていた。
疲れているのかな。
今日、一時限目なんだったっけな。
彼女と目があった。
「溺れないし死なないよ。だってもう死んでるし。」
目を伏せながらそう言う彼女を見て、僕は自分が咄嗟に言ってしまった言葉がどれほど彼女を傷付けたかを思い知らされた。
冬山さんは、ちゃぽん、と音を立てて海へ入って行った。
僕はついさっきまで彼女がいた水面を眺めた。